京都市も夏のような気温になりました。
まだ5月なのに・・・。
これからは、そういう既成概念を棄てないといけないのかも。
「自然ってなんだろう?」と思います。
本日の智積院の庭だって、自然じゃないですからね。
人間が想う自然の姿ですよね。
本当に自然ならこのような雰囲気にならない。
鬱蒼と茂ったジャングルのような状態になります。
人間の美意識と表現する技術、たゆまなく保全する努力がこのような庭になっている。
この庭を見ながら「天道」と「人道」のことを思い出した。
庭を造っても、草や木は伸びる。それが「天道」。
それを綺麗に維持するために、庭の手入れをする。それが「人道」。
この「天道」と「人道」のバランスが重要なこと。
具体的にどうしていけばいいのか?
まずすることは、自分が自然に対して出来る範囲を決める。
と同時に「天道」に対してあまり心を煩わしてはならない。
でも範囲を決めたからといって神経質になってもいけない。
天に任せることも重要。
相手が人間の場合は、対応が違う。
愚人、悪人であっても、根気よく何度でも導きなさい、教えなさい。
その時、人間として目指すべき「世のために役立つこと」をめざして、自ら今の時点で出来る事を説けばいい。
きっとそうしていることは、その人を通じて自分にも、言っているのだと思う。
そう思うと世の中に無駄なものはなにもないのかもしれない。
人間が所詮人工物しか作れないのかもしれません。
でもそれが人間の人間たる所以なのかも。
なんて感じました。
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このお庭の木々も「もっとボーボーに自由に伸びたい」とか下草だって「杉苔ばっかりえこひいきだ!」とか考えていそう。(笑)
大きな手水鉢、いいですね。
使った水は池に落とすのかな。。。
そのバランスがいい時は美しい。でもこの庭を違う文化の人間が見るとそうでもない。考えると切りがない。
こういう手水鉢、どうやって水を替えるのかな・・・。手動でくみ出し、掃除して新しい水を入れるのでしょうね。