京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

自然でない美

2017年05月23日 04時42分36秒 | 社寺


京都市も夏のような気温になりました。
まだ5月なのに・・・。
これからは、そういう既成概念を棄てないといけないのかも。



「自然ってなんだろう?」と思います。
本日の智積院の庭だって、自然じゃないですからね。
人間が想う自然の姿ですよね。



本当に自然ならこのような雰囲気にならない。
鬱蒼と茂ったジャングルのような状態になります。
人間の美意識と表現する技術、たゆまなく保全する努力がこのような庭になっている。



この庭を見ながら「天道」と「人道」のことを思い出した。



庭を造っても、草や木は伸びる。それが「天道」。
それを綺麗に維持するために、庭の手入れをする。それが「人道」。
この「天道」と「人道」のバランスが重要なこと。



具体的にどうしていけばいいのか?
まずすることは、自分が自然に対して出来る範囲を決める。
と同時に「天道」に対してあまり心を煩わしてはならない。
でも範囲を決めたからといって神経質になってもいけない。
天に任せることも重要。



相手が人間の場合は、対応が違う。
愚人、悪人であっても、根気よく何度でも導きなさい、教えなさい。
その時、人間として目指すべき「世のために役立つこと」をめざして、自ら今の時点で出来る事を説けばいい。
きっとそうしていることは、その人を通じて自分にも、言っているのだと思う。
そう思うと世の中に無駄なものはなにもないのかもしれない。



人間が所詮人工物しか作れないのかもしれません。
でもそれが人間の人間たる所以なのかも。
なんて感じました。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

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Twitter→@kyo_otoko
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2 コメント

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こんばんは (cox)
2017-05-23 06:07:52
人間の考える「自然」って何なんだろう、と私も時々考えます。
このお庭の木々も「もっとボーボーに自由に伸びたい」とか下草だって「杉苔ばっかりえこひいきだ!」とか考えていそう。(笑)

大きな手水鉢、いいですね。
使った水は池に落とすのかな。。。
>coxさん、おはようございます (京男)
2017-05-23 06:21:18
人間も「自然」の一部ですね。ただ、人間が自分のためと考えるのは「自然でない」。
そのバランスがいい時は美しい。でもこの庭を違う文化の人間が見るとそうでもない。考えると切りがない。
こういう手水鉢、どうやって水を替えるのかな・・・。手動でくみ出し、掃除して新しい水を入れるのでしょうね。

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