ここは、東福寺塔頭の同聚院。
1444年に東福寺の文渓元作禅師がその師である「琴江令薫」禅師を開山に誘い創立した小規模のお寺です。
↑この「土+万」という作字が結構好き
もともと東福寺があった場所に、924年藤原忠平が造ったそうです。名前が「法性寺」という大きなお寺があったそうです。どのぐらい大きかったかというと西は鴨川,南は稲荷山付近までだった。
そこに1006年、関白・藤原道長が40歳の祝賀にて丈六の五大明王(不動,降三世,大威徳,軍荼利,金剛夜叉)を安置する五大堂を境内に建立。
↑これは本尊ではないです
その法性寺伽藍や五大堂は火災でなくなった。
鎌倉時代になってその跡地に東福寺が建ったのです。
同聚院の本尊である不動明王坐像は、失われた五大堂の本尊である「丈六・不動明王坐像」なのです。
ということは、すごく古いものということになります。
火事の時は、必死で仏像を運び出したのでしょうね。
京都の社寺は多くの火災にあって、本当に古いものは少ない。
そこが和紙と木材で造った建物の弱点ですね。
でもその時代の権力者が寄進するのもすごいと思います。
いまの日本なら災害にあったらどうするんだろう?
まあ、そんなことを個人が心配しても仕方ないのかも。
京都の昔の姿ってどんなだったのかな?
タイムマシンがあれば各時代に見学に行ってみたいものですね。
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