京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

「出世」を願う親心

2013年05月05日 05時13分41秒 | 風景・和菓子
今日は「端午の節供」いわゆる「子供の日」。
端午の節供は、男の子が健康で無事に育つように願った行事。
「子供の日」になったのは、1948年に制定と意外に新しい。
昔、男の子は育ちにくかった。
きっと生物的・遺伝子的に不安定なんでしょうね。
西洋医学が発達していなかった頃は、男の子に魔のようなものが取り憑き、成長を妨害するという考えた方があったのでしょう。
男子は、跡取りとして考えることが多く、無事に育ってもらわないとその家が途絶える恐れがありました。
だからどうやって魔から子供を守るのかが大変でした。
小さい時は、性別がわからないようにしたり、幼名を設定したりした。
名前を魔に知られると取り憑き易くなるのです。
名前を結構頻繁に変える人がいますが、それだろうか。



魔除けに、強い香り、例えば菖蒲や蓬を玄関先に飾ったりした。
それが京都で残っているのが、炭屋の玄関の写真のようなものです。
こんなことをしたら、飾ってある期間中、旅館に入れないお客さんもいるだろうな・・・。


↑旅館炭屋の軒先の菖蒲かざり

出世を願うことから、鯉モチーフのものを飾ったりした。
京都市内では、鯉のぼりは少なくなりましたね。
武者飾りは、関東の武家社会的なものなので京都ではあまり飾らないように思います。
私の実家は、鍾馗さんの掛け軸と金太郎人形ぐらいでしたね。
小さい時は、武者飾りに憧れていました。
それは、単に、弓と刀が欲しかっただけです。



そうそう憧れといえば、粽と柏餅があります。
いまは、長い期間売っているようになりました。
昔は、そうそう売っているものではなかった。
柏餅なんかもそうですよ。
5月4~6日ぐらいしか売ってなかったんじゃないかな?
いまは、一ヶ月以上売っていますね。
粽は、お店にとって手間なんでしょうね。長い期間売りません。
どうして食べたかったら川端道喜の粽があるけど、予算的に許せません。
私でさえお使いものに使うことはあっても自分のために買いません。
だから当ブログにも登場したことはないと思います。


↑鍾馗の旗、この画の中にあるように昔は鍾馗の旗を飾ったそうです。

出世の話しにもどります。
出世ってなんだろう?
いま世間でいう意味は「地位や名誉、お金がたくさん得られる立場になる」ような意味だろう。
昔で言えば「大将や総理大臣になる」「立派な博士(学者)になる」そんな意味ですよね。そのために小さい時から勉強する。「志」なんてことは、当たり前で言わなかった。
いま、21世紀も12年過ぎてしまいました。
「志」なく単純に「地位や名誉、お金があれば幸せ」と思えなくなってきたでしょうね。(確かに幸せの基礎ぐらいにはなるでしょうが)
「出世」という字は、「世を出る」と書く。
「地位・名誉・金」では、「出生」にならない。
それでは「世」だけになる。
社会的地位や名誉や金があっても「安心立命」状態にはならない。
なぜなら、それを維持しようとするからです。
お金なら、お金が減ることが怖くなる。社会的地位ならその地位に固着する。
それは「安心立命」とほど遠い。
現代社会は、「社会的地位・有名人=お金」という図式なんでしょうね。
それから「出て」客観的に眺めてみると見えてくるものがあるかもしれない。
「出世」とは、その状態になることではないだろうか。
「出(入自在)世」状態の視点を持つことが大切だと思います。


↑総本家駿河屋「出世鯉」



親として子供の幸せを願うなら「出世」・・・つまり「地位や名誉、お金」に振り回されずうまくコントロールし、世の中のために尽くし、自分もその恩恵に浸れるように大きな大欲を持ち、「自分のやりたいこと」と「自分ができること」の一致ができる人間になって欲しいと願うものです。
子供たち、親を越えて「出世」してね。
たのみますよ。


↑煉切、黒こしあん

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする