京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

おかめ桜も花盛り

2013年03月29日 05時44分51秒 | 社寺


ここは、千本釈迦堂
26日に行って来ました。
この日は、歩数が合計13,000歩も歩いてしまった。
ちょっと歩き過ぎの一日。
その代わりかなり桜の写真が撮れました。
順次ご紹介していきます。







本日は、千本釈迦堂のおかめ桜。
満開ちょっと手前の状態でした。
千本釈迦堂は、通称で正式名は大報恩寺。
創建は鎌倉時代の安貞元年(1227年)で義空によって創建されました。本堂(釈迦堂)は応仁文明の乱などの度重なる災害にも焼けることなく残り、京都市内では最古の仏堂建築物です。


↑内側をみるとなんだか痛々しい


↑工事現場みたいだし

このお寺は「おかめ物語」が伝わっています。
引用させていただきます。
「鎌倉時代に大報恩寺の本堂(釈迦堂)を作った大工の棟梁(高次)は、大事な柱の寸法を間違い短く切ってしまいました。そのことを知った妻のおかめ(阿亀)が枡組を使うようにアドバイスし高次は無事に本堂建築の大任を果たすことができました。
しかし、おかめは女のアドバイスで棟梁が仕事を完成させたことを知られてはいけないと本堂の上棟式を待たずに自害してしまいました。高次は上棟の日、妻おかめの冥福とお堂の無事を祈っておかめの面を御幣につけて飾ったと言われています。
この話を伝え聞いた人々が、貞淑で才知に長けたおかめ(阿亀)の菩提を弔うために、大報恩寺の境内に宝篋印塔(おかめ塚)を建てました。この言い伝えから、大工の信仰を集め今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られるようになりました」
というような話です。
でもこういう話が伝わっているということは、おかめ(阿亀)さんが自害する意味がないということになりますね。
後日談があるんだろうな・・・その後、頭領の高次は、若い美形の女性と再婚した。そしてその女性が懐妊、無事女の子が生まれた。
顔を見るとビックリ。おかめ(阿亀)とそっくりだった!!
それで若い美形の彼女が韓国で整形していたことがバレたとさ。
それだけではない。彼女には浪費癖とギャンブル癖があった。
数年後、高次組は、破産してしまいました。若い嫁さんは女の子を置いて家出してしまいました。
そのショックで高次さんは、ストレスで顔面神経麻痺になり、ひょっとこ顔になってしまいました。
メデタシメデタシ。(終)


↑椿がきれいだった


↑こういうライト、はっきり言って邪魔。

なんかばかなことを書いてしまいました。
すんませんなぁ~。




↑2013年3月29日午前9時、ベランダ桜。今日も暖かそう。清水寺当たりもこんな状態だと思います。すぐ近くで同じ標高なんです。明日は人が多いだろうな・・・。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (6)
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