京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

鬼門の申さん

2008年03月24日 06時04分53秒 | 風景


御所の梅林に行った時、久しぶりに御所の中を歩きました。
空がとても広く感じる。
京都市内でもこんなに空が広く感じる場所があるのがちょっと不思議。



建物や木々がとても手入れよくて美しい。



さてこれは、いつかご紹介した御所の猿ヶ辻。
御所の表鬼門です。
敢えて凹ませてある。
そこに烏帽子を被ったお猿さんが金網の奥にいたはります。
ここから、邪気が入ってくるのを防いでいます。
この延長線上に比叡山があります。
比叡山には日吉社があり、これが比叡山のご神体なんだそうです。
この凹ませている意味は、鬼門をつくらないというかわからないようにしたんじゃないかな。
でも念のため猿を置いてある。
この猿、ときどき抜け出さハルらしい。だから金網が貼ってあるんやそうです。



鬼門は、陰陽道で北と西は陰、東と南は陽とされ、北東(表鬼門)と南西(裏鬼門)は陰陽の境になるので、エネルギー的に不安定になるやそうです。
だからその場所は、清潔にしてあまりモノを置いたりしたらアカンのです。
庭やったら桃の木を植えたりする。
この北東は艮(うしとら・丑と寅の間)なんです。だから鬼さんの姿は、角が生えていて、トラのパンツを履いているんです。
それを退治するのが、犬と猿と酉(雉)を家来を引き連れた桃太郎なんです。
よく出来ていますね。



文久三年(1863)5月20日に、この猿ヶ辻で公武合体派の公卿姉小路公知が襲われる事件が起きた。三人の刺客を相手に姉小路は気丈に戦ったが、深手を負いその二日後に息を引き取った。
いわゆる「猿ヶ辻の変」というものです。
現場に残された薩摩造りの手裏剣と銘奥和泉守忠重の太刀が証拠となり、薩摩藩の田中新兵衛が犯人とされた。田中は取り調べ中の一瞬の隙に刀を奪い、自ら喉をかききって自害した。田中は事件の数日前に飲んでいるすきに刀を盗まれており、自らの不明を恥じた末の自刃と言われる。結局、下手人は分からないままであったが、この事件を契機に一時期薩摩藩が乾御門の警備を解かれることになった。
歴史が色々あるんです。


03.24ベランダ桜
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする