大分合同新聞記事

2007-05-31 12:11:24 | Weblog
大分合同新聞に先日中津黒田武士の会が博多どんたくに出演した記事が載っていた。まだまだ中津市民の方々は戦国時代に秀吉の軍師として天下統一に貢献した黒田如水の素晴らしさをあまりご存じないのが残念ですが、会としては徐々に顕彰の輪が広がっていけば良いと思います。

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母里太兵衛命日

2007-05-30 10:31:23 | Weblog
6月6日は母里太兵衛の命日です。菩提寺の嘉麻市の麟翁寺に姫路から神沢、神福さん博多から母里忠一さんがみえられるとか。もちろん中津黒田武士の会も行きます。希望者の方ご一緒しましょう。

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黒田公と宇佐神宮

2007-05-29 09:29:51 | Weblog
戦国時代1561年(永禄4年)大友宗麟により焼き討ちされた宇佐神宮は1592年(文禄1年)黒田長政公により二の御殿が造営された。クリスチャンの洗礼を受けている如水、長政であるが面白い。

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豊前中津の如水はも

2007-05-28 11:13:24 | Weblog
西日本新聞全九州版の記事です。豊前中津黒田武士の会の要請で割烹丸清の板前さん臼田さんには試作から随分とお世話をかけましたが、業務のかたわら「幻の味豊前中津の如水はも」を遂に完成してくれました。それを聞きつけてきた西日本新聞の中原記者が早速全九州版載せてくれ紹介してくれたのです。何しろ幻の味ですので出来る量もそう多くないようです。中津の名物「鱧しゃぶ」にもう一つ新しい味が世に出ることになりました。多くの方々に愛される逸品になるように祈っています。

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幻の味豊前中津の如水はも

2007-05-27 08:23:38 | Weblog
これが幻の味豊前中津の如水はもです。写真でしかお見せ出来ないのが残念。中津に来たら黒田如水公の思いのこもった逸品を是非味わって戴きたいものです。今日は中津市内リルドリームで第2回中津音頭大会があり黒田武士の舞もご披露することになっています。

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幻の味豊前中津の如水はも

2007-05-26 13:02:00 | Weblog
TOSTVの放送は大反響でした。なにしろ戦国時代にその勇名を轟かした黒田如水が秀吉の命で小田原城を開城させるべく城主氏直と実力者のその父北条氏政に陣中見舞いとして贈った豊前中津の「鱧の糟漬」のおかげで秀吉の天下統一が成し遂げられたのです。その幻の味が400年ぶりに復活しました。割烹丸清の若板である臼田さんがわれわれ豊前中津黒田武士の会の願いを聞き入れて試行錯誤し完成してくれました。酒の肴にもご飯のおかずにも一品料理として味わうのに最高です。撮影が終わったあと小野会長にモデルとなって食べるところをパチリ。えもいえぬ顔で食べているのがまことに可愛いでしょう。西日本新聞が先を越されちやまずいとばかりに同時に取材に来られました。記事は近々ご紹介しますね。何しろ黒田節が中津の時代のエピソードと言うのを地元のタウンマガジンに載せたあと、九州中にその記事を最初に紹介してくれたのが西日本新聞なのです。お世話になりました。幻の味はちょっと勇ましく知的ですぐれもの、まっこと黒田武士の味がします。

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黒田武士とはも

2007-05-25 15:49:38 | Weblog
一昨日TOSTVが「黒田武士と四百年ぶりに復活した幻の味豊前中津の如水はも」ということで取材に来た。撮影用に全員正装。カメラマンのカメラに緊張しながら豊前中津の黒田武士を何度か舞った。先日のNHKTVに続いての取材で、いよいよ黒田武士と鱧の糟漬が話題になりつつあるのが嬉しい。何しろ四百年ぶりに復活した幻の味であり、中津の歴史に残る名物料理が世に出ることになりました。とても美味しいです。皆さんの応援宜しくお願いします。

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黒田如水と熊谷外記

2007-05-24 12:05:01 | Weblog
関ヶ原の頃、石垣原の合戦で大友氏を破り、再び国東半島の安岐城を包囲、安岐城主直盛は西軍の美濃大垣城へ出陣中なので弟の熊谷外記が頑強に抵抗した。如水は力功を避けいたずらに殺しあうより降って出るように説いた。外記は「自分は屠腹するから家臣の命は助けて欲しい」と言って来た。如水は外記の潔さに感嘆し、家臣も外記も助けよう。自分に仕えるなら本領安堵、仕えたくないなら勝手にして良し。財貨は欲しいだけ持っていくように。と言った。外記は感激し9月19日開城し、如水の軍門に下り行平の名刀、茄子の茶器など名宝を献じた。外記は如水の厚遇を拝辞し去って上国に赴いたが城兵の多くは如水の配下になることを希望したので如水は彼等を召抱えた。

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黒田如水の生き方

2007-05-23 17:52:46 | Weblog
黒田如水ほど人命を尊んだ戦国武将はいない。死に及んでもその頃流行していた追腹(殉死)も「一人か二人の追腹を切らせるほど慕われるより家中の者大多数に慕われなければ大名の徳あるものとは言えない。そのためには平生から礼譲の心をもって接してやり、つとめて人の意見を聞くようにすることが大切で、これなくしては一朝ことある時にとうてい大事は成し遂げられない」と、追腹を禁じ、家臣はすべからく藩の為に尽くすよう諭している。多くの戦国武将は上意討ちを幾度となくしているが、如水は人を死罪にしたことは一度も無かった。戦国乱世を生き抜いた人としては珍しいことである。

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如水の異見会

2007-05-22 17:47:19 | Weblog
黒田如水は筑前国52万石に入部したとき、福岡城中に「異見会」というのを設けた。月3回、大広間において、誰が出席するも自由、会議内容の秘密を保持、低身分の者が上級者を批判するも可、その報復はしてはならない。という民主的な、今の世にも通じる会議である。この異見会が幕末維新まで黒田家を安泰にするために大きな役割を果たしたという。如水が家臣たちをとても大切にし、閉塞感のない組織作りを目指したのは当時においてはかなり革新的であり、黒田藩の行く末を思っての英断であった。(写真は如水の兜、胴丸具足)
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