黒田官兵衛と黒田二十四騎21筑前国六端城

2019-01-15 08:35:10 | Weblog

筑前福岡黒田藩六端城です。

豊前、豊後、筑後國の領国境界沿いに、

築城された支城を北から辿ってみると、

⑯若松城・北九州市若松区(三宅三太夫・3600石)、

⑰黒崎城・北九州市八幡東区(井上九郎右衛門・2万石)、

鷹取城・直方市永満寺(母里太兵衛・1.8万石)、

㉒益富城・嘉麻市中益(後藤又兵衛・1.6万石)、

 松尾城・朝倉郡東峰村小石原(黒田⁽中間⁾六郎右衛門・2500石、一国一城令にて廃城)、

㉕左右良(まてら)城・朝倉市杷木志波(栗山四郎右衛門・1.5万石)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛と黒田二十四騎20筑前国図

2019-01-01 18:10:09 | Weblog

慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦の武功で、黒田家は豊前中津12万3千石から筑前福岡52万石の大大名として、大躍進しました。

入れ替わって豊前中津には細川家が入封しましたが、その際黒田家との軋轢があり、国境沿いに黒田家は六端城を築き、重臣を城代として統治させました。

この図の29が母里太兵衛が当初城代として預かっていた鷹取城、22が後藤又兵衛の益富城で、後に又兵衛出奔の後、母里太兵衛が治めました。

*明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって、今まで生きてきた中で一番素晴らしい年となりますように、祈念申し上げます。中津城には軍師官兵衛放映後も、多くの歴史ファンが訪れています。戦国最強の軍師黒田官兵衛の人気もまだまだ続きそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする