黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像4

2016-06-26 07:40:06 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公の正室光姫(照福院殿)様の石像建立の写真を、福岡市在住の小池(櫛橋)様にお送りしましたら、大変驚かれ、感激されたとのご連絡があり、しばらく小池様とお話しました。

小池様は官兵衛に嫁いだ正室光姫の実家である櫛橋家のご子孫であり、ご先祖は藤原姓、歴史上の有名な藤原鎌足、平安時代中期の能筆家である三蹟(小野道風、藤原佐理/すけまさ、藤原行成)のなかの一人藤原行成の正当な血を受け継いでおられ、時の天皇家より「櫛橋」のお名前を戴き、今に続いている名家です。

小池様自身も大変素晴らしい能筆家で、その筆跡は流石に三蹟の血を受け継ぐだけのものであります。

また、光姫は以前このブログでご紹介したように「みつ」が正式の呼称です。

NHK大河ドラマで「てる」としたのは、従来歴史家が福岡市にある黒田家をお守りしている光雲(てるも)神社から推測した「てる」と呼んでいたからです。

放映直前に「みつ」と判明しましたが、時代考証が間に合わず、脚本上変更がかなわなかったようです。

*写真の左側より小池(櫛橋)様、黒田家第16代ご当主黒田長高様、小野(中津黒田武士顕彰会)さん。

 

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黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像3

2016-06-20 07:31:19 | Weblog

光姫(照福院殿)様の像には右手にお数珠が下げられています。

中津黒田武士顕彰会の後藤さんが用意してくれました。

こんなところにも細かい心遣いがなされています。

お数珠のある姿とない姿では大いに違っています。

京都にある実物の照福院殿様の肖像画にはちゃんとお数珠を持たれているのですが、像ではどうしたものかと悩んでいたところでした。

改めて見てみると画龍点睛の感がして、大いに満足しています。

早速、光姫様のご子孫である福岡ご在住の櫛橋(小池))玲子様に写真をお贈りしました。

喜んでくださったなら嬉しいです。

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黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像その後2

2016-06-15 07:54:46 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公の像の台座に新しく黒田家の家紋である「黒田藤」が取り付けられました。

見れば見るほど、素晴らしい出来栄えです。

光姫像を新しく建立した時に、石家さんが好意で黒田藤紋を作ってくださいました。

何となく官兵衛公も気に入ってくださっているようでした。

多くの皆さんに見て欲しいものです。

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黒田官兵衛(如水)と正室光姫像その後

2016-06-06 13:08:46 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公と正室光姫(照福院殿)様像の横に、お二人の由緒碑が出来上がりました。

立派な御影石製です。

これで観光客の皆さんが来られましても、お二人の睦ましい謂れが良くお分かりになる事でしょう。

世界中の若いカップルや、ご夫婦の方々が当地を訪れて、

「二人仲良く幸せな生涯を送れますように」と

お願いすれば、必ずや官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様は、その願いをお聞き届けてくださることでしょう。

 

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