黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎13 母里太兵衛2

2018-09-17 09:16:31 | Weblog

北九州市黒崎の春日神社に神として祀られている黒田二十四騎図の中の母里太兵衛像です。

年に一度、神社のお祭りの日に御開帳され、その雄姿が拝まれます。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎12母里太兵衛

2018-09-07 16:02:35 | Weblog

 名槍日本号を福島正則から呑み取った母里太兵衛は、関ヶ原合戦の手柄で黒田家が中津藩12万石から筑前福岡52万石へと大躍進したのちに、徳川家より江戸城本丸の石垣工事を言いつけられますが、見事に成し遂げました。

 あまりの出来に感激した二代将軍徳川秀忠は工事責任者の母里太兵衛に感状を与えます。

 その時、祐筆が母里太兵衛を毛利太兵衛と書き間違いましたが、将軍家より頂戴したゆえ正すことはならず、そのまま「毛利太兵衛友信」を名乗りました。

 元の母里姓に戻したのはなんと明治になってからでした。

 

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黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎11 名槍日本号

2018-09-01 09:02:23 | Weblog

 黒田二十四騎と言えばまず頭に浮かぶのは、名槍日本号を呑み取った母里太兵衛でしょうか。正親町(おおぎまち)天皇から下賜されたこの槍は、足利将軍、織田信長、太閤秀吉、福島正則へと伝わり、伏見城下の福島屋敷で正則との酒宴の席で太兵衛が飲み取った由緒ある名槍です。

天下三名槍(蜻蛉切、御手杵、日本号)のひとつと称えられています。

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