軍師黒田官兵衛生誕468年

2014-11-29 08:04:12 | Weblog

今日は黒田官兵衛公の生誕468年となる日です。

1546年11月29日のこの日、稀代の軍師黒田官兵衛は播州姫路に生をうけました。

その日、姫路の町は朝から大雪が降り、空には瑞雲たなびき、一面の白景色となり、これは英雄の生まれる兆候であると黒田家譜に書かれています。

今年最も注目された大河ドラマ軍師官兵衛が大詰めを迎えています。

全国の官兵衛フアンの皆様、今日は黒田官兵衛公を偲んで戴ければ幸甚に存じます。

 

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西の関ヶ原・石垣原の合戦悲劇の名将吉弘嘉兵衛統幸

2014-11-27 08:27:54 | Weblog

西の関ヶ原と後世に呼ばれた別府石垣原の合戦で奮闘空しく戦死した大友軍の総大将吉弘嘉兵衛統幸の治領地大分県豊後高田市都甲で吉弘嘉兵衛統幸を見直そうという会にパネリストとして参加してきました

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福岡城むかし探訪館

2014-11-24 08:41:26 | Weblog

 

福岡城内に福岡ドラマ館があり、顕彰会のメンバーと一緒に見に行ってきました。

福岡市も軍師官兵衛に力を入れています。

姫路で生まれ育ち、中津で遺憾なくその智略を発揮し、福岡で静かに余生を過ごした波乱の一生でした。

福岡は明治維新まで黒田家の治世で発展してきたのです。

隅々まで黒田官兵衛、長政の魂が息づいています。

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軍師黒田官兵衛 と 第34回大分国際車いすマラソン大会

2014-11-20 07:44:57 | Weblog

このほど「第34回大分国際車いすマラソン大会」が開催され、世界中から多くの選手が出場されました。

沿道には大分市民の熱い声援が飛び交い、選手の皆さんが大分路を疾走しました。

大会には多くのボランティアの皆さんが献身的に世話をされ成功裏に大会が催されたことは、大分県民としてとても誇りにおもいます。

我々豊前国中津黒田武士顕彰会は、大会終了後の選手と関係者の交流懇親会に招かれ、「軍師官兵衛」と「正調黒田節」をご披露しました。

外国の方には紋付き袴の男らしい日本の侍の舞に感嘆の声と大きな拍手を戴き、国際親善に寄与することができたことに、我々顕彰会としても喜びにたえませんでした。

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軍師黒田官兵衛と中津黒田武士顕彰会

2014-11-17 07:34:29 | Weblog

大河ドラマ軍師官兵衛が終盤に入って来ましたね。

戦のない世の中を目指して、信長、秀吉と己の生涯を賭けた官兵衛でしたが、その夢も秀吉の明の国王になるとの朝鮮出兵などにより天下人の傲慢さに世の中の状況はさまざまに変わって行きました。

秀吉の薨去後、官兵衛は己自身の知力で戦国時代の荒波の中に身を委ねつつ、前田利家、徳川家康と対峙し、あくまでも戦乱のない世の中を目指したのです。

このほど、我々豊前国中津黒田武士顕彰会の活動をさらりと大分合同新聞の読者の声に載せていただきました。

よく10年もの間、活動が続いたものだと会員の熱意と根性に感謝することしきりです。

戦国時代稀代の名軍師初代中津城主黒田官兵衛を全国の皆様に知って戴いたことに顕彰会としても嬉しく存じます。

大河ドラマ軍師官兵衛も佳境に入り、いよいよ目が離せなくなってきました。

全国の軍師黒田官兵衛フアンの皆様におかれましては、最後まで楽しんでいただければ幸甚に存じます。

 

 

 

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軍師黒田官兵衛と馬ケ岳城址 3

2014-11-14 07:39:08 | Weblog

馬ケ岳城址のパンフレットも充実しています。

豊前国入封後の黒田官兵衛や勇猛果敢な黒田二十四騎、筑前出奔後の後藤又兵衛との関わりなどもしっかり書かれていて、地元福岡県行橋市の熱意が伝わってきます。

観光客も増えているそうで、嬉しく思います。

 

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軍師黒田官兵衛と馬ケ岳城址 2

2014-11-11 07:44:31 | Weblog

大河ドラマの放映によって、馬ケ岳城址は登り口や竪堀跡も整備されており、行橋市の意気込みが感じられて嬉しくなりました。

暫く竪堀跡を歩いてゆきましたが、鬱蒼とする林の中に続いており、そのかみの武士(もののふ)どもがこの道を鬨の声をあげて駆けて行ったのだと思うと、何か心が震えるような思いにかられます。

 

 

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軍師黒田官兵衛と馬ケ岳城祉

2014-11-08 07:47:46 | Weblog

豊前国中津黒田武士顕彰会の皆さんと福岡県行橋市と京都(みやこ)町にまたがる馬ケ岳城址を訪ねました。

黒田官兵衛が豊前国中津6郡12万3千石を拝領し、最初に入ったのが馬ケ岳城で、黒田家にとっても記念すべき城址です。

馬ケ岳城は山城で豊前国6郡の北端にあり、山の姿が馬に似ていることから名づけられました。

山頂の本丸まで徒歩で1時間近くかかるそうです。

大河ドラマ軍師官兵衛が決まってから、標識板や歩道の整備が整えられ、観光客に優しくなっています。

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軍師黒田官兵衛と中津JC-豊の国だよ全員集合

2014-11-04 07:41:23 | Weblog

このほど中津JC(青年会議所)が恒例の「豊の国だよ全員集合」を催し、今年の大河ドラマで初代中津城主黒田官兵衛と黒田二十四騎の甲冑行列を行いました。

中津の若者が黒田官兵衛を取り上げて盛り上げてくれたのが何より嬉しく思いました。

我々も自作の「軍師官兵衛」の歌と踊りで花を添え、会の盛り上がりに協力しました。

何よりも、若者たちが黒田二十四騎の甲冑をまとい、楽しそうに行列している姿を見ると、これまで10年間黒田官兵衛を大河ドラマにと活動してきて良かったなと思うばかりです。

 

 

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軍師黒田官兵衛連載 24 黒田官兵衛と太宰府天満宮

2014-11-01 07:46:59 | Weblog

黒田官兵衛連載24は官兵衛と太宰府天満宮です。

慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦の武功により黒田家は中津から福岡52万石へと転封しましたが、官兵衛は福岡城の築城中2年間ほど太宰府天満宮本殿のそばに草庵を結び最愛の妻光姫と暮らしました。

当時、戦禍にあい社殿は見る影も無かった天満宮を官兵衛は再建しました。

菅原道真を祀る太宰府天満宮は勉学だけでなく和歌や茶道の神様でもあり、日々連歌会や茶会を催し平和な日々を楽しんだのです。

菅原道真は百発百中の弓の名手、遣唐使を廃止したり、国風文化の開化を推進したりと文武両道の素晴らしい施政者でしたが讒言により太宰府へと左遷されました。

その時詠める歌

東風吹けば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

菅原道真公は海路太宰府へ向かう途中、嵐で中津市中尾の浜に漂着し数か月滞在したのでその地に「菅公御着船旧蹟碑」が建てられています。

中津と官兵衛と菅原道真公は強い縁で結ばれているのです。

*写真は太宰府天満宮の如水井戸と中津市犬丸中尾の浜に建つ菅公御着船旧蹟碑

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