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過日播磨の黒田武士顕彰会の総会にて、豊前中津時代の黒田武士について講演を頼まれましたので姫路迄行って来ました。
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播磨の黒田武士顕彰会は山下会長のリーダーシップのもと、活動も素晴らしく各地の黒田武士縁の土地を訪ねたり、歴史を検証したり皆さん頑張っておられました。
講演が無事終わりその後山下会長、神澤様ご夫妻、神福様に案内されて官兵衛神社にお詣りしました。
以前神社の落成まえに訪ねた時より素晴らしい佇まいで、感動しました。
今後播磨の黒田武士顕彰会の益々のご発展を祈念し帰路に着きました。
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母里太兵衛友信他二十二名より官兵衛室櫛橋氏宛ての
黒田氏連署起請文です。
黒田氏家臣連署起請文は何種類かありますが、
この連署起請文も主の安否の分からぬまま、
不安な日々が凡そ一年もの間経ったなかで,
気丈なる黒田氏家臣団の見事なる連帯感に
涙を催さざるものはあるべしやと
思うのであります。
(福岡市博物館所蔵)
天正六年、有岡城に荒木村重を説得に向かった官兵衛が数ヶ月も戻って来ない状況のなか、生死も分からず家臣たちは心配の余り動揺していた。
重臣達は如何なる事が起ころうとも、黒田家を護らんと連署起請文を書いて絆を深めた。
これは家老母里太兵衛他十一名による官兵衛室櫛橋氏へ宛てた起請文である。
幽閉されていた官兵衛が無事に救出され、黒田家はそののち戦国史に残る活躍をなした。
黒田官兵衛が荒木村重に有岡城の地下牢に幽閉されて、死生も分らず不安な日々を送っていた時、黒田家臣団は如何なる時勢になろうとも黒田家を裏切らず仕えて行く旨の連署起請文を官兵衛室の御本丸(奥方光姫.櫛橋氏)宛に差し出しました。
これは卓球選手石川佳純さんの先祖黒田藩士小川与三左衞門に当てたものです。
黒田藩には二十四騎が有名ですが、他にも名を残した家臣はたくさん居たのです。
官兵衛の人柄でしょうか、黒田家臣団の団結力は強く、戦場に於いても勇猛さは敵を震え上がらせる活躍をしました。
(福岡市博物館所蔵)
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先日のnhkファミリーヒストリーに卓球の石川佳純選手が登場しました。
先祖に官兵衛が有岡城内土牢に幽閉された時、決して黒田藩を離脱しないと血判を押した12人の忠臣の一人であり、そして関ヶ原の合戦にも参戦した小川与三左衞門がいるという事です。
そののち、秋月藩の重臣として勤めた。
今まで黒田24騎はよく知っているが、小川与三左衞門はあまり知られてなかったので石川佳純選手の先祖と言う事も相まってとても驚きました。
石川選手には黒田武士の血が受け継がれているのですね!
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