黒田官兵衛と黒田氏家臣連署起請文

2024-05-01 16:40:00 | Weblog

天正六年、有岡城に荒木村重を説得に向かった官兵衛が数ヶ月も戻って来ない状況のなか、生死も分からず家臣たちは心配の余り動揺していた。

重臣達は如何なる事が起ころうとも、黒田家を護らんと連署起請文を書いて絆を深めた。
これは家老母里太兵衛他十一名による官兵衛室櫛橋氏へ宛てた起請文である。
幽閉されていた官兵衛が無事に救出され、黒田家はそののち戦国史に残る活躍をなした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と黒田氏家臣連署起請文

2024-04-01 18:23:00 | Weblog

黒田官兵衛が荒木村重に有岡城の地下牢に幽閉されて、死生も分らず不安な日々を送っていた時、黒田家臣団は如何なる時勢になろうとも黒田家を裏切らず仕えて行く旨の連署起請文を官兵衛室の御本丸(奥方光姫.櫛橋氏)宛に差し出しました。

これは卓球選手石川佳純さんの先祖黒田藩士小川与左衞門に当てたものです。
黒田藩には二十四騎が有名ですが、他にも名を残した家臣はたくさん居たのです。
官兵衛の人柄でしょうか、黒田家臣団の団結力は強く、戦場に於いても勇猛さは敵を震え上がらせる活躍をしました

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛と石川佳純

2024-02-29 17:07:00 | Weblog
 

先日のnhkファミリーヒストリーに卓球の石川佳純選手が登場しました。
先祖に官兵衛が有岡城内土牢に幽閉された時、決して黒田藩を離脱しないと血判を押した12人の忠臣の一人であり、そして関ヶ原の合戦にも参戦した小川与三左衞門がいるという事です。
そののち、秋月藩の重臣として勤めた。
今まで黒田24騎はよく知っているが、小川与三左衞門はあまり知られてなかったので石川佳純選手の先祖と言う事も相まってとても驚きました。
石川選手には黒田武士の血が受け継がれているのですね!
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/01/07

2024-02-11 22:59:00 | Weblog
 
 

テレビ歴史番組の解説で人気の
 
歴史家磯田道史教授が中津に来ます。
 
福沢諭吉は旧中津藩士の生れで近代日本の先覚者、
 
黒田官兵衛は初代中津城主で戦国時代の名軍師
 
中津市が天下に誇る人物です。


 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と中津城

2024-01-01 00:35:45 | Weblog

  

新年明けましておめでとうございます。

本年が皆様にとって幸せな年となりますように

ご祈念申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と文禄・慶長の役

2023-10-04 19:23:15 | Weblog

文録・慶長の役で最も活躍した

武将が紹介されています。

黒田官兵衛、長政、

そして加藤清正です。

黒田軍、加藤軍は朝鮮の奥深く迄

進軍し、大活躍しました。

この時に勇猛果敢な働きをした

黒田軍の侍大将がその名も

黒田二十四騎として

今に伝えられています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と名護屋城・朝鮮出兵

2023-09-21 07:59:25 | Weblog

秀吉の朝鮮出兵である文禄・慶長の役では

快進撃を続けていた日本軍も秀吉の逝去により、

1598年(慶長2年)加藤清正縄張りの

倭城である蔚山城は

明・朝鮮連合軍に一時苦戦し籠城したが、

黒田長政軍などの援軍が到着しこれを撃破した。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と文禄慶長役

2023-09-02 09:30:53 | Weblog

肥前名護屋城には文禄慶長役の詳細が記念館をはじめ、

城内のあちらこちらに詳しく表示版などで紹介されています。

この歴史探訪の道の版にも当時の様子が見て取れます。

ひとりの絶対権力者である太閤秀吉の力は想像がつきかねるほど

強大なものであったのです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と名護屋城12武将陣址

2023-08-14 22:21:59 | Weblog

肥前名護屋城には当時180余の武将が居館を構えていました。

現在分っているのは150余と言われていますが、

秀吉の威光に従順にならざるを得なかった全国の武将の様子が

よくわかります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と名護屋城11 文禄役

2023-07-20 08:02:55 | Weblog

肥前名護屋城博物館には秀吉の掛軸がありました。

堂々として時の天下人の威風が感じられます。

文禄・慶長の役の詳細がびっしり詰まり、

資料や構成もしっかり展示され素晴らしい博物館です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする