黒田官兵衛(如水)と後藤又兵衛3 洞窟

2022-05-03 20:47:35 | Weblog

 

中津市耶馬渓町伊福の後藤又兵衛の墓から

少し山手に上ると、大坂夏の陣から生き延びて、

中津の地にたどり着いてしばらく潜んでいたと

言い伝えられている洞窟があります

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黒田官兵衛(如水)と後藤又兵衛2

2022-04-14 20:05:21 | Weblog

中津市耶馬渓町伊福にある、後藤又兵衛の墓です。

土地の古老が代々伝えられているもので、

大阪城で戦死したと伝えられている後藤又兵衛ですが、

実は生き延びて中津までたどり着き、

黒田家が中津の時代に又兵衛が可愛がっていた愛妾がこの地に匿っていた伝説によるものです。

豊臣家が再興するのをじっと待っていましたが、秀頼公が薨去した知らせを受け、失念のうちに亡くなったというものです。

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黒田官兵衛(如水)と後藤又兵衛

2022-03-19 08:07:31 | Weblog

廣池千九郎博士の中津歴史に載っている後藤又兵衛は中津に於いても様々な伝承が残っています。

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黒田官兵衛(如水)と中津歴史11

2022-03-03 07:08:42 | Weblog

モラロジーを提唱され、麗澤大学を創立された廣池千九郎博士の中津歴史の黒田編最終稿です。

秀吉の朝鮮出兵である、文禄慶長の役に、下毛郡山国町槻木毛谷村(現中津市山国町槻木毛谷村)生まれの毛谷村六助(木田孫兵衛)が朝鮮の地で大活躍し、その生涯が歌舞伎などの演目になり、日本や朝鮮で大人気になりました。

朝鮮と日本ではその内容が真逆になっているのも、面白い話題でしたが、それは伝承でもあり、真実は不明です。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と中津歴史10

2022-02-07 20:50:52 | Weblog

廣池千九郎博士の著書「中津歴史」P58~P59です。

関ヶ原で西軍(石田三成)と東軍(徳川家康)が戦っているとき、ここ豊後の別府石垣原では黒田官兵衛(如水)軍と大友義統(宗麟の嫡子)軍が戦って、黒田軍の勝利となりました。

その戦で大友軍の名将吉弘嘉兵衛が勇猛に戦い戦死したことが記されています。

また、後藤又兵衛が後の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡したのち、中津の耶馬渓伊福の地に逃れ、豊臣家再興を祈って隠棲していたが、それも叶わずと知り、自死したとの伝説を伝えています。

後藤又兵衛の旧宅は中津の片端(かたは)の旧御木屋の跡なりとあり、今でもその地は中津城西門の近く、片端町にあり、古老から又兵衛屋敷跡として代々伝えられています。

 

 

 

 

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黒田官兵衛(如水)と虎退治

2022-01-08 08:19:43 | Weblog

令和四年、明けましておめでとうございます。

今年の干支は壬寅(みずのえとら)という事で、

黒田軍と虎退治を思い浮かべる方も多いのでは

ないでしょうか。

1592年,秀吉の命により文禄の役で

朝鮮征伐に渡海した黒田軍は、

戦の合間に虎退治に赴きました。

長政は愛用の鉄砲で、

臣下の菅六助は刀で、

林掃部は槍で

それぞれ豪猛な虎を退治しました。

その顎骨は長らく福岡城の蔵に

大事に保管されていましたが、

残念ながら先の大戦での空襲で

廃塵と帰してしまいました。

中津時代の黒田武士軍は

史上最強軍団で、

朝鮮征伐や関ヶ原の合戦で

勇猛果敢に戦い数々の武功を立てました。

 

 

 

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黒田官兵衛と中津歴史9

2022-01-05 17:08:22 | Weblog

中津歴史P56~P57です。

黒田家による城井の宇都宮鎮房を中津城にての殺傷事件、その後関ヶ原の合戦まえに、朝鮮での失態で秀吉から領国を召し上げられた大友義統ご三成の甘言に乗せられ別府の浜脇に帰ってきて、東軍の城を攻め始めたことが記されています。

 

  

 

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黒田官兵衛と中津歴史 8

2021-12-31 13:19:00 | Weblog
中津歴史8 P54~P55です。
豊前国に領国を拝領した黒田家と、旧主宇都宮家や旧領主との戦いが記されています。


 
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黒田官兵衛と中津歴史 7

2021-12-31 13:06:00 | Weblog

中津歴史7中津歴史P52~P53です。

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黒田官兵衛と中津歴史6

2021-12-05 22:30:09 | Weblog

中津歴史のP50~P51です。

 

 

 

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