黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎17虎狩り

2018-11-01 08:26:43 | Weblog

豊臣秀吉の朝鮮征伐には黒田軍も海を渡った。

戦の合間に長政が虎退治に出かけたとき、

黒田二十四騎の一人、林掃部は槍で大虎を仕留めた。

加藤清正が虎退治をしたことになっているが、それは講談の世界。

 

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎16母里太兵衛像

2018-10-20 08:51:27 | Weblog

筑前福岡には博多人形が有名です。

黒田武士の剛勇さを表現すると、それは当然母里太兵衛の像になります。

名槍日本号を左手に、呑み取った時の大杯を右手に抱えたポーズは

まさに黒田武士母里太兵衛の雄姿そのものです。

 

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎15 母里太兵衛像

2018-10-09 08:51:45 | Weblog

平服姿の母里太兵衛像です。

大身豪傑の母里太兵衛も戦の合間に寛いでいるさまが微笑ましく描かれています。

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎14 母里太兵衛3

2018-10-01 08:34:34 | Weblog

福岡市西公園にある黒田武士母里太兵衛像です。

名槍日本号を右手に、呑み取った時の大杯を左手にしたいかにも豪傑武者といった雄姿が頼もしく、福岡市民の誇りとなって立っています。

 

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎13 母里太兵衛2

2018-09-17 09:16:31 | Weblog

北九州市黒崎の春日神社に神として祀られている黒田二十四騎図の中の母里太兵衛像です。

年に一度、神社のお祭りの日に御開帳され、その雄姿が拝まれます。

 

 

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎12母里太兵衛

2018-09-07 16:02:35 | Weblog

 名槍日本号を福島正則から呑み取った母里太兵衛は、関ヶ原合戦の手柄で黒田家が中津藩12万石から筑前福岡52万石へと大躍進したのちに、徳川家より江戸城本丸の石垣工事を言いつけられますが、見事に成し遂げました。

 あまりの出来に感激した二代将軍徳川秀忠は工事責任者の母里太兵衛に感状を与えます。

 その時、祐筆が母里太兵衛を毛利太兵衛と書き間違いましたが、将軍家より頂戴したゆえ正すことはならず、そのまま「毛利太兵衛友信」を名乗りました。

 元の母里姓に戻したのはなんと明治になってからでした。

 

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎11 名槍日本号

2018-09-01 09:02:23 | Weblog

 黒田二十四騎と言えばまず頭に浮かぶのは、名槍日本号を呑み取った母里太兵衛でしょうか。正親町(おおぎまち)天皇から下賜されたこの槍は、足利将軍、織田信長、太閤秀吉、福島正則へと伝わり、伏見城下の福島屋敷で正則との酒宴の席で太兵衛が飲み取った由緒ある名槍です。

天下三名槍(蜻蛉切、御手杵、日本号)のひとつと称えられています。

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎10

2018-08-13 23:18:14 | Weblog

黒田官兵衛(如水)軍による中国大返しと黒田軍の朝鮮征伐(1592~1598年)ルート図です。

朝鮮へは中津城から出陣し、秀吉が築城(官兵衛の縄張り/設計)した名護屋城(佐賀県唐津市)から海を渡ってて行き、数々のドラマが起こりました。

地図で見るとすごい距離を、ほとんど徒士(かち)で行軍していたのです。

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎 9 文禄役

2018-08-01 08:39:42 | Weblog

 

文禄の役で黒田軍が朝鮮征伐で

攻め入った遠征戦跡です。

 この戦で大活躍した侍大将が、

その後伝説の

黒田二十四騎

称されることになりました。

コメント

黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎8

2018-07-21 08:36:43 | Weblog

黒田二十四騎図は寺院をはじめ各地に大切に保存されてきましたが、今では主に福岡市博物館の黒田家特設館に寄託されて、特別展示会には観ることができます。

コメント