黒田官兵衛(如水)とキリスト教異聞

2017-01-28 08:32:54 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が豊前国中津城主のころ、隣国の豊後の国に一艘のオランダ船が漂着しました。

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黒田官兵衛(如水)と高取焼6 高取焼略考

2017-01-16 08:43:39 | Weblog

過日、藤香会の催しで戴いた高取焼の略考です。

 黒田官兵衛(如水)、長政が朝鮮出兵(1592~1598)の際、井土という地で八山という陶工を見出し、筑前(ではなく、その時代は豊前国中津)に連れて帰ったことから、後の高取焼が誕生したようです。

高取焼は黒田藩御用窯として、今日まで営々とその技を受け継ぎ、今やその名声は筑前地方のみにとどまらず、全国的にも認知されるほどの銘品に育っています。

今後も益々多くの好士の皆さんに讃嘆される作品を創作されてゆくことを願ってやみません。

     *参考文献―福岡県史(編纂財団法人西日本文化協会)

 

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黒田官兵衛(如水)と高取焼5

2017-01-10 09:06:44 | Weblog

高取焼年表です。

注目すべきことは、文禄元年(1592)朝鮮人陶工八山が黒田長政に拝謁し、後藤又兵衛家臣桐山常右衛門が八山夫婦及び一子を連れて日本へ帰国したという記述です。

ご存知のようにその年、黒田官兵衛(如水)、長政は豊前中津城主でした。

関ヶ原の合戦(1600)までの8年間は、中津城下に棲んでいたことが考えられます。

長政が帰国した文禄3年(1593)年から慶長の役(1698/第二次朝鮮出兵)の間は大きな戦もなく、陶工たちの生活も落ち着いていたので、その間、黒田家は八山たち陶工に豊前国内で窯を築かせ、十分にその技を行使したのではないかと想像に難くありません。

さてその窯(黒田豊前八山窯?)は豊前国の何処にあったのでしょうか?

想像するだけでも楽しく興味のあるところです。

故に、古高取焼が幻窯たる所以でもあるのでしょう。

 

 

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黒田官兵衛(如水)ブログより新年のご挨拶

2017-01-01 13:22:46 | Weblog

2017年新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、黒田官兵衛(如水)公顕彰のブログをご愛読して戴き、有難うございました。

大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映により、天才軍師黒田官兵衛(如水)の人間像は日本中の人々の知るところとなり、益々魅力ある戦国武将としてその存在感を示して来ました。

大河ドラマで描き切れなかった官兵衛(如水)像をもっと掘り下げて行きたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

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