黒田官兵衛(如水)が築いた石垣4

2016-05-30 08:18:51 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が築いた石垣は九州最古の穴太積石垣ですが、残っているお濠は僅かです。

内濠、外堀も殆ど埋め立てられ、裁判所や学校などが建てられ、市街地化しています。

お濠の近くは重臣、上士、下士家臣の住居が並び、その周囲に寺院や商家が取り巻いていましたが、今でも城下町の面影を残している街並みも残っています。

 

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中津城黒田官兵衛(如水)の築いた石垣3

2016-05-25 08:19:50 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が初めて大名となって築いた中津城や石垣は、戦国時代ゆえ何時戦が起こるかもわからない世の中であった。

築城名人と言われただけあって各所に工夫がみられています。

今残っているお濠の水は城の傍に流れている山国川支流の中津川から引き入れており、周防灘に近いところから、潮の干満により水量が変わるようになって、水の入れ替わりによりいつも澄んだ水がお濠を満たしていたのでした。

その通水口は薬研堀とよばれ、海水が入ったり出たりすることにより、フジツボや牡蠣が張りついています。

 

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中津城黒田の石垣2

2016-05-19 08:45:26 | Weblog

中津城の石垣は黒田官兵衛(如水)が築き、細川忠興が増築した。

その時、忠興が石垣の内側に増設した跡が見える場所があります。

戦時中、軍が城内に本部を置いたため、堀を埋め立て通路とした時に石垣を切り取ったのです。

排水路など当時の施工法がありありと見えます。

 

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中津城黒田の石垣

2016-05-14 09:02:15 | Weblog

中津城黒田官兵衛公築城の石垣は、城の南側にも残っています。

水面から石垣上部の間の半分くらいが官兵衛築城の石垣で、その上部は官兵衛公の後に入封した細川忠興が増築した石垣です。

数年前、堀と石垣の修復、調査した時に、判明したものです。

中津城の黒田の石垣は九州最古の穴太積の石垣で、大変貴重な遺産と評価されています。

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黒田官兵衛(如水)と光姫(照福院殿)像4

2016-05-05 09:02:14 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公と光姫(照福院殿)様像の除幕式には、多くの関係者の皆さんが駆けつけてくださり、良く造ってくれたととても喜んで戴き、大いに盛り上がりました。

その中で、中津の歴史と文化を学ぶ会(本徳会長)の皆さんも参加してくださいました。

官兵衛が大河ドラマに決定して、観光客が爆発的に増えたことから、ボランティアガイドを結成され、中津の史跡や歴史的な解説をされている皆さんです。

揃いの赤いユニフォームで親切なガイドをされていますので、中津へ来られたらぜひ一声かけてください。

勿論ガイド料は無料です。

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