中津城西門

2007-10-31 10:47:17 | Weblog
昨日、石垣の胴木を見学に行きましたがその折西門に回ってみました。文献では母里太兵衛が33の首級を挙げた時この西門のそばに首供養塚を建てた。文禄の役での朝鮮出兵前のデモンストレーションとしたのではないかと推察されています。黒田藩で33の首級を挙げたときにはこうして供養塚を建てる慣わしがあったようですが、何で33なのかそしてこのように首供養塚を立てることにより武士としての相手の誉れを讃え供養したのであろうかと思いをめぐらすことは歴史を紐解くにあったってとても興味深いことです。
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中津城石垣胴木

2007-10-30 17:48:18 | Weblog
中津城の石垣発掘調査の様子です。石垣を築く上で重要な胴木が見えます。このようにして石垣が崩れないようにまず木を井形に組んで杭を打ちその上に石を積んでいきました。胴木も420年ぶりに顔を見せなにやらビックリしているのではないかと思います。この胴木を組む様子を黒田如水も見回りに来て色いろ指図していたと思うと何か愛しさを感ぜずには居れません。その頭を撫で撫でしてやりたいくらいです。調査が終わると又再び土に埋めなおして堀には水を入れるそうです。まだご覧になっていない方は420年ぶりに顔を見せたこの胴木を今のうちに見ておくことをお薦めします。
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中津城の石垣胴木

2007-10-29 10:49:16 | Weblog
黒田如水が中津城を築いたときの石垣を支える「胴木」が見つかったとの記事が先日の大分合同新聞に載っていた。石垣を築くには縄張り(設計)をし、石の重さで地盤沈下を防ぐために胴木を井型に敷いて木抗を地面に撃ちつけその上に石を積んでいくのだがその当時にこのような土木工事が行われていたことに驚きを禁じえない。小生も早速見学に行ったがこのようにして石垣を築いていったのだなとその土木技術力と動員力に改めて感心したことである。いずこの城もそうだが石垣の立派さに眼を見張るものがある。何千人、何万人もの人夫さんが石工達の指示により石垣を築いていった光景が眼に見えるようだ。
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中津城今3

2007-10-28 10:51:57 | Weblog
中津城を角度を変え山国川側から眺めてみました。鉄門が正面にありこうしてみるとなかなかの景観です。石垣も巷(ちまた)の喧騒を知るや知らずや古(いにしえ)そのまま我々の眼前にその優雅な姿を見せています。420年前黒田如水はどんな思いでこの石垣を築いたのであろうか。秀吉の命でここ豊前中津の地に入封しこの地に何百年も統治していた領主達と鬩ぎあい小さな反乱をひとつずつ鎮圧しながらの築城であった。その間、小田原北条征伐、文禄・慶長の役では長年にわたり朝鮮へ出兵、そして関ヶ原の役と日本の歴史を揺るがすような事件が起こりそのいずれにも黒田家はこの中津城から出兵して行き、戦国史に残るような重要な働きをしてきたのだ。中津市民の方々に中津城の素晴らしい歴史を今一度紐解いて頂き市民の誇りとして次世代へ受け継いでいって欲しいものです。
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中津城昨今

2007-10-27 11:51:42 | Weblog
本日発行された「タウンマガジン中津」の特集記事に中津城を買うべきか買わざるべきかということで関係する市民の方々の意見が載っておりました。不肖小生も粗見を述べさせていただきました。現状では売買の内容がもうひとつ明らかではないので踏み込んでの意見は述べられません。マスコミのニュースが面白おかしく広まっているようですが、未だ知られてない事が多々あるようです。ただ、お城が在ったほうが良いか、無くても良いかといえば在ったほうがいいとしか言えません。賛否両論それぞれ意図するところは間違っては無いようです。さて皆さんは如何お思いですか?
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ナレーション2

2007-10-26 11:19:39 | Weblog
昨日のナレーションは「豊前中津の黒田武士」でしたが、加えて「豊前中津の女黒田武士」という素晴らしい舞があり、当日も続いて舞を納めさせていただきました。私のお気に入りのひとつですがそのナレーションもご紹介します。舞姫たちに敬意を表しまして「~姫路、京の都、博多から黒田武士と共に移り住んだ綺麗どころの末裔ですので中津は美人が多い~」とうぐいす嬢がマイクでナレーションを読み上げると会場のお客さんが一斉にプログラムを見ていた顔を上げて舞姫達をずぅーと見渡すのです。その一瞬の心の動きが、、、、。何はともあれ「豊前中津の女黒田武士」は一見の価値ありですぞ!
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ナレーション

2007-10-25 16:34:47 | Weblog
先の光雲神社西公園鎮座100年記念大祭に「豊前中津の黒田武士の舞」を奉納しましたが、その折舞い始めにナレーションを入れました。どこの誰が何の意味を持ってここに舞を奉納させていただきますと観客の皆さんにご紹介するわけです。特に黒田武士が豊前中津に居たということを知らない方々が大半なので、そこのところを強調して皆さんにご紹介しなければなりません。いよいよ出番が来て舞台で音楽が鳴り始める前、構えたところから「酒は呑め呑め呑むならば~」と司会の方のナレーションが入ると舞台の上でどきどきしている我々も「もうどうにでもなれ!」と開き直れるのです。結構気が小さい小生としては豊前中津の黒田武士の歴史を学ぶつもりが舞までしなければならなくなって大変なのです。今度我々の舞をご覧になる機会があったら、心臓がどきどきしているのに気づかれないようにして顔を真っ赤にしていてもお笑いくださらんことを、、、。
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中津城と県文化財保存協議会

2007-10-24 08:52:37 | Weblog
今日の大分合同新聞に大分県文化財保存協議会の代表が中津城の購入を中津市にお願いしたいとの要望書を提出した記事が載っていた。記事には城下町の風情を残している一帯は後世に残していくべきものであり購入に向けて新貝市長に強力なリーダーシップを発揮して欲しいとあった。ながらく中津市の重要な景観として親しまれている中津城であるがぜひ良い方向に向くことを願わずには居れない。城下町中津に中津城がなくなってしまうのは寂しいと多くの中津市民は思っているのではないだろうか。
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閑話休題

2007-10-23 09:53:20 | Weblog
昨日から東京出張です。宿は新宿ワシントンホテル1554室、窓から都庁がすぐ目の前に見えます。人も小さく見えます。夜の新宿は人混みのなかを掻き分けて歩きました。

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光雲神社大祭3

2007-10-22 11:03:37 | Weblog
「豊前中津の黒田武士」に続いて「豊前中津の女黒田武士」を臼田先生以下五名の中津美女の皆さんで舞っていただいた。皆さん緊張の中にも堂々としていました。何しろ○○社中、○○流家元さんなど錚々たる方々が目の前にずらり並んで注目されているので相当なプレッシャーであることは間違いない。しかし、そこはそのかみの黒田武士に愛された中津美女であれば気の強さも心意気も天下の名槍日本号にも負けることなくその面目を果たさんと自信たっぷりに舞い上げることができました。何しろ既に博多どんたくや姫路城お城祭りといった大舞台を踏んできた皆さんである。負けん気は相当なものがあるようでまことに頼もしい限りです。後で会場から「女黒田武士の舞」なんて始めて拝見した。素晴らしい!と絶賛の声がしきりに飛び交うのに一同びっくりしました。とにかく中津の宣伝と友好に一役買えた事に大いなる喜びを感じたひと時でした。
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