薦神社の神門は黒田官兵衛が福岡へ転封後、当地に赴任した細川忠興の寄進により創建されました。
この神門は国指定重要文化財に指定されています。
過日、細川元総理夫人佳代子さんと同席した会で、この神門の話をしました。
「細川忠興は転封して来た時にまず有力な神社仏閣に寄進したが、
それは彼らを取り込み、その情報力を重要視し,協力を要請したから」
と細川夫人は仰っていました。
余談ですが、クイズです。細川家では数百年にわたって毎日その日の記録(日記)をつけているそうで、その中でも一番ページの厚い日がある。
それは何日か分かりますか?と細川夫人に聞かれたことがありました。
さて如何でしょう、分かりますか?
答え:元禄十五年十二月十四日、つまり赤穂浪士討ち入りの日です。細川屋敷は吉良邸の傍にあり討ち入りの様子を塀の上から眺めつつ(幕府令で吉良家への助太刀、赤穂浪士への加勢は固く禁じられていた)、逐一詳細に記述したのです。吉良上野介を特定したのは(眉間の刀傷は講談話)寝衣に炊き込まれていたお香(貴人が使用するお香)だった。
などとお話しして戴きました。