秀吉の遺品分け

2007-05-10 14:24:30 | Weblog

慶長3年(1598年)8月秀吉(写真)が死んだ。伏見の前田邸で石田三成など五奉行が中心となって遺品分けが行われた。家康には画と金子300枚、前田利家には正宗の刀と金子300枚、三成に吉光の刀と金子50枚、清正に金子30枚、長政に金子20枚、ほか大名、旗本、陪臣(直江兼次ら)、御伽衆にいたるまで秀吉の遺品を賜った。しかし、如水には何もなかった。播州以来秀吉の天下統一に果たした功績随一の如水には何も無かった。おそらく三成らが画策し豊臣家から遠ざけたのだろう。三成らとの関係がいよいよ冷え切って、後の関ヶ原の合戦へとその感情的な対立は続いた。三成は有能な官吏であったが、先の読めないただの武将であった。己を謙虚にしその行為は世のため人の為になしうるや否やを必ずや見極めねば天下の政ごとは成就しない。

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