黒田如水と熊谷外記

2007-05-24 12:05:01 | Weblog
関ヶ原の頃、石垣原の合戦で大友氏を破り、再び国東半島の安岐城を包囲、安岐城主直盛は西軍の美濃大垣城へ出陣中なので弟の熊谷外記が頑強に抵抗した。如水は力功を避けいたずらに殺しあうより降って出るように説いた。外記は「自分は屠腹するから家臣の命は助けて欲しい」と言って来た。如水は外記の潔さに感嘆し、家臣も外記も助けよう。自分に仕えるなら本領安堵、仕えたくないなら勝手にして良し。財貨は欲しいだけ持っていくように。と言った。外記は感激し9月19日開城し、如水の軍門に下り行平の名刀、茄子の茶器など名宝を献じた。外記は如水の厚遇を拝辞し去って上国に赴いたが城兵の多くは如水の配下になることを希望したので如水は彼等を召抱えた。

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