中津市片端町にある黒田二十四騎の
一人、後藤又兵衛屋の敷跡と
伝えられているひと区画があります。
中津城西門そばにあり、
重臣の一人としての格が窺えます。
黒田二十四騎は、秀吉の命による
朝鮮出兵の文禄・慶長の役の時
出兵して大活躍した侍大将の中から
選ばれ、神格化されて伝われた
猛将の武将たちです。
中津から五千もの軍勢が唐津の
名護屋城から海を渡り、
大いに暴れましたが、
中には朝鮮の地で命を落としたり、
中津に帰ってきて亡くなったり
しましたが、福岡転封後も、
その勇猛果敢さは代々伝えられて行き、
福岡の春日神社にて神格化され、
黒田二十四騎図が奉られています。