中津みなとふじまつりと如水をー

2008-04-28 12:12:16 | Weblog
恒例の中津みなとふじまつりが26、27日に中津港の田尻緑地公園で催された。その舞台で中津黒田武士顕彰会も出演したが今回は新しく作った「黒田如水を大河ドラマへ」の横断幕をご披露した。好天にも恵まれ横断幕が良く日に映えて立派に輝いていた。
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黒田如水公の妻・長政公の妻 1

2008-04-21 12:26:14 | Weblog
黒田如水が幸せな一生を送れたのはその妻光姫(てるひめ)によるところが多い。多くの戦国武将は正室のほかに複数の女性を側室として傍に侍らした。家の存続の為でもあるが政略結婚で迎える正室と違い自分の好みで選べることにもよった。永禄10年如水22歳、御着城主小寺家の家老の時、城主小寺政職(まさもと)の姪で志方城主櫛橋伊定(これさだ)の娘を娶った。後世には光姫、お光(てる)の方、号幸圓と伝わっているが如水は生涯この妻を愛し妻以外の女性は傍に置かなかった。如水に目を付けていた光姫の父櫛橋伊定は結婚の1年前如水に「合子形兜(ごうすなりかぶと)/如水の赤合子として有名」と胴丸具足を贈っている。光姫は容色麗しく才徳兼備(黒田家譜/才色でなく才徳・つまり才も徳も素晴らしいお方であった)の妻で、翌年嫡子長政を出産した。如水は妻光姫をことのほかいとおしみ生涯光姫以外の女性には振り向きもしなかった。後に関が原の合戦の折石田三成の人質要請の網を逃れ大坂から中津へ無事に帰着したときはことのほか喜び、城内で北原人形芝居を催した。写真は福岡市円応寺の光姫供養塔。
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