黒田官兵衛(如水)と中津歴史10

2022-02-07 20:50:52 | Weblog

廣池千九郎博士の著書「中津歴史」P58~P59です。

関ヶ原で西軍(石田三成)と東軍(徳川家康)が戦っているとき、ここ豊後の別府石垣原では黒田官兵衛(如水)軍と大友義統(宗麟の嫡子)軍が戦って、黒田軍の勝利となりました。

その戦で大友軍の名将吉弘嘉兵衛が勇猛に戦い戦死したことが記されています。

また、後藤又兵衛が後の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡したのち、中津の耶馬渓伊福の地に逃れ、豊臣家再興を祈って隠棲していたが、それも叶わずと知り、自死したとの伝説を伝えています。

後藤又兵衛の旧宅は中津の片端(かたは)の旧御木屋の跡なりとあり、今でもその地は中津城西門の近く、片端町にあり、古老から又兵衛屋敷跡として代々伝えられています。

 

 

 

 

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