伝・黒田官兵衛の鎧

2013-06-29 09:01:28 | Weblog

先日別府市のホテルで「伝・黒田官兵衛の鎧」の新聞記事が出ていましたので見学に行ってきました。

ホテルの方の了承を得て写真撮影をし、お話を聞いてきました。

市内の個人の方の所蔵品だとか。十月末日まで展示しているそうです。

    *武将の鎧としては造りが少し粗い感じが、、、。

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軍師黒田官兵衛(如水) 連載 6 豊前12万石

2013-06-26 08:48:55 | Weblog

軍師官兵衛を語るフリーペイパー6回目の連載は秀吉の九州征伐と豊前國12万石です。

秀吉の九州島津征伐の論功行賞で豊前国12万3千石の大名になった官兵衛ですがその石高が相応しいものか否か昔から諸説が入り乱れています。

佐々成政が肥後(熊本)50万石を賜ったのに比べて余りにも少ないのではないかということです。

秀吉は佐々成政と官兵衛が国人領主(地元の豪族)を上手く抑えきれるかどうか試したのではないかと思われる節があります。皆さんは如何お思いですか?

佐々成政は国人領主の一揆を抑えきれずに秀吉に切腹させられました。絶対君主、天下人の一声で大大名の首でさえ飛ぶ。それが戦国時代であり人の命は蜉蝣のようにはかないものなのでした。

官兵衛は宇都宮氏をはじめ豊前国各地の国人領主の一揆を無事鎮圧することが出来、その後14年間ほど豊前の国を治めました。官兵衛の生涯でも最も光り輝いていた時代(北条氏小田原城開城、文禄・慶長役、関が原の合戦、石垣原の合戦と九州征討など)だと思いますが官兵衛は石高の多少に一言も恨みがましいことは言ってません。

与えられた地位、役どころで己の力を最大限生かすことが戦国時代を生き抜く術であることを人一倍身に沁みて知っていた武将であるといえるでしょう。

この世を生きて行く上において官兵衛独特の世界観、人生観そして世のはかなさを身をもって感じていたのではないか、思うにあらゆるものに達観しているような感じがします。

故に「水五訓」や「如水円清」「我人に媚びず、富貴を望まず」「乱において文を忘れず、治において武を忘れざるが肝要なり」を己の生きざまとし生きる支えにしていたのではないでしょうか。

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軍師黒田官兵衛(如水)と宇都宮氏 in 築上町

2013-06-22 09:04:28 | Weblog

黒田官兵衛が九州島津攻めの論功行賞で豊前国6郡の領主となったとき反抗し滅んだ旧豊前国築城郡あたりを支配していた領主宇都宮鎮房の地元福岡県築上町から「豊前宇都宮氏と豊臣政権」のシンポジウム開催の案内が送られてきました。

築上町新川町長さんは今回のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が決定する前、我々豊前国中津黒田武士顕彰会が活動してきた「黒田官兵衛を大河ドラマへ」に呼応するように黒田官兵衛が大河になれば黒田軍と戦った地元の武将宇都宮鎮房も世に出るに違いないと精力的に活動していました。その熱意には全く頭が下がります。

大河ドラマの放映を地元観光浮揚のためにと一生懸命です。ご自身も歴史に造詣が深く素晴らしい首長さんです。これからも大いに頑張っていただきたいと思います。

黒田官兵衛ゆかりの市町村は中津市から近くを見渡すと築上町、行橋市、豊前市、上毛町、宇佐市、豊後高田市、国東町、杵築市、別府市、玖珠町、日田市、大分市などが何らかの関わりがあります。

その濃淡の差はありますが何処の首長さんの意気が高く観光に熱心か否か市民の皆さんは興味があるところでしょう。

戦国時代の歴史を紐解き大河ドラマ「軍師官兵衛」放映に関して訪れる多くの観光客を地元へお呼びすることができる千歳一遇のチヤンスと思われます。官民挙げてそのチャンスを生かすべく頑張りましょう。

 

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黒田官兵衛のよろい!?

2013-06-19 19:27:53 | Weblog

昨日の毎日新聞と大分合同新聞に別府市石垣(石垣原合戦場近く)のホテルサンバリーアネックスにて黒田官兵衛のよろいが展示されたと載っていました。

是は大変なことです。真偽はともかく一度見に行かねばなりません。

別府市にも民間から盛り上がりつつあることが大変嬉しく思います。

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軍師黒田官兵衛ゆかりの肥前名護屋城祉を訪ねる旅のお誘い

2013-06-15 08:01:12 | Weblog

7月21日(日)第3弾黒田官兵衛の足跡を辿る旅の日程が出来ました。

大好評でした第1弾の福岡、第2弾の城井谷ツアーに続いて今回の第3弾は官兵衛の縄張りにより太閤秀吉が朝鮮出兵の前線基地として築いた佐賀県唐津の肥前名護屋城址を訪ねるツアーです。

全て我々顕彰会の手弁当の企画なのですが事故とか何かあってはいけないので保険など万全を期して顕彰会会員の大石くんの旅行社にお願いしました。

車中、顕彰会のメンバーが官兵衛の物語や名護屋城について「軍師官兵衛を100倍楽しむ」お話しと官兵衛クイズなどを楽しんで戴き、お昼には「呼子のイカ料理」を堪能して戴く「歴史とグルメの旅」です。

先日、NHKの製作スタッフの皆さんも名護屋城址を視察しています。

大河ドラマ軍師官兵衛の一場面には欠かせない朝鮮出兵の前線基地名護屋城址ですが、太閤の命で全国より呼び寄せられた130藩以上の各大名がどこに陣屋を構えたかその跡を直に見て太閤との信頼関係やその存在感を体感してみるのも歴史の断面を知る上でとても面白くわくわくすることではないでしょうか。

なんと文禄・慶長の役の7年間に各武将と商人・職人たち十数万の人々が太閤の一声でこの地に呼び寄せられ城下町を築きこの寒村が一大都市へと変貌したのです。

そして太閤の薨去と共に一瞬のうちに消滅しました。まさに栄枯盛衰、一睡の夢物語の世界でした。

たくさんの大河軍師官兵衛フアンの皆さんのご参加をお待ちしています。

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軍師官兵衛 別府講演会記事 「灯」

2013-06-12 08:59:19 | Weblog

大分合同新聞「灯」欄に佐藤渓美術館長高橋鴿子さんが先日顕彰会が別府市で催した講演会の様子を載せて下さっていました。

そういえば講演会が終わってしばらく談笑したのを思い出しました。とても好意的に書いて戴いて有難く読まさせていただきました。

我々の地道な活動が少しでも目に留まってくださる方が居ることに感謝です。

この記事を見て別府市民の皆さんが少しでも軍師官兵衛に応援してくださることを祈念しています。

もうすぐ撮影が始まり初回放映まで半年余りとなりました。全国の大河ドラマフアンの皆さんに感動を与えてくれる1年間となるでしょう。

地元が燃えて全国にその熱風を発信して行かねばなりません。

いよいよ大河ドラマのエース登場なのですから!

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軍師官兵衛の足跡を辿る 6 城井谷図

2013-06-09 08:57:33 | Weblog

この度の軍師官兵衛の足跡を訪ねるにあたり地元の築上町が作った黒田官兵衛と宇都宮ゆかりの城井谷図を戴き皆さんにお配りしましたところとても喜ばれました。

この図を見て天徳寺や城井の上城などを訪ねて多くの観光客が築上町に来られることを願っています。

願わくはパンフレットに城井の上城址(築上町)に近い豊前市求菩提山資料館(官兵衛の桜狩りの和歌が残っている)も合わせて載せてくだされば相乗効果が出ます。隣町豊前市だから載せられないかも知れませんが豊前市のパンフレットとお互いに載せあえば築上町、豊前市とも観光客に優しい案内書になると思います。

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軍師官兵衛の足跡を辿る 5 大野小弁墓

2013-06-06 08:01:37 | Weblog

 

今回の初代中津城主黒田官兵衛の足跡を辿るツアーの最後である黒田軍の侍大将大野小弁の戦死地に建つ墓を訪ねました。

やっと通れるくらいの山道をどんどん上がって行き少し広くなった空き地にバスを止めそこから徒歩で大木の林立する小高い坂の獣道のような小薮の中を5分ほど上がってゆくとぽつんとその墓はありました。

辺りには樹木が生い茂るほか何もありません。

長政が城井谷攻めで大敗し退却する時に長政の身代わりになって敵陣の攻撃を一身に受け討死した侍大将大野小弁。何と恋も知らぬ?18歳でした。

墓が建立されたということは男の死に様が後世の人々に感動を与えたからでしょうか。

一同万感の思いを胸に抱いて中津へと帰り着きました。

長いようで短い一日でしたがとても良かったと皆さん大喜びの様子。顕彰会の皆さんの献身的な協力があって初めて成しえた今回の企画です。

ゆかりの地を巡りとても身近に感じたので軍師官兵衛の放映が楽しみだと皆さん仰ってくださいました。

次回の軍師官兵衛の足跡を訪ねる旅は7月21日(日)太閤秀吉が朝鮮出兵の前線基地に築城した大坂城に次いで日本で2番目に大きな城「肥前(唐津)名護屋城址と呼子の名物萬坊のイカの生き造りを味わう旅」です。

歴史とグルメのマッチングした「大河軍師官兵衛を100倍楽しむ」旅になりそうです。もちろん黒田武士顕彰会もボランティアで黒田官兵衛の説明をしながらご一緒します。

多くの大河フアンの皆様のご参加をお待ちしています。

*墓は大小2つあり右の大きいほうは天正19年となっていますが戦死したのは正しくは15年です。建てた方が勘違いしたと思われます。

また則松弘明さんの説では左の小さい方の頭部大野の大の字の欠けているのは日清戦争従軍の時、玉に当たらないようにお守りとして削って破片を身に着けて行ったのではないかということです。

 

 

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軍師官兵衛の足跡を辿る 4 天徳寺

2013-06-03 08:18:27 | Weblog

城井の上城址を後にして城井川沿いに下って行き、宇都宮氏の菩提寺天徳寺を訪ねました。

今回は我々の熱意が通じたのかなんと特別にご住職が寺宝を開帳してくださいました。

宇都宮鎮房公の肖像画、そして冑と陣笠の三点ですが態々宝物殿から本堂に持ってきていただいて皆さんに見せてくださったのです。

私もびっくりしましたが一同大感激です。本堂では感激のあまり肖像画を真ん中に置いてご住職を囲み記念撮影となりました。ご住職有難うございました。

その後、寺の裏にある宇都宮氏の墓地に悲運の武将鎮房、嫡子朝房、父長甫公のお墓に深く頭を垂れしばし慰霊鎮魂の意を表してきました。400年の時を越えて地元では素晴らしい武将であったと宇都宮氏のゆかりの方々がその遺徳を今に伝えています。

黒田官兵衛が大河ドラマにならなかったら、黒田軍と戦わなかったら、宇都宮氏は地方の一豪族のまま何事も無く歴史の中に埋もれていたことでしょう。

私共中津黒田武士顕彰会が「黒田官兵衛を大河ドラマに」と活動してきましたが昨年より宇都宮氏の地元築上町新川町長さんが官兵衛が大河になれば宇都宮氏も広く世の中に知られてくる、恩讐を越えて宇都宮氏を世に出さなければならないと仰っていましたがまさにその通りだと思います。

今、その望みが叶い官兵衛が大河ドラマに決定しました。町長さんも喜んでくださっているようで我々も嬉しいです。城井宇都宮氏や築上町が大河ドラマの画面に紹介される日を楽しみにしましょう。

 

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軍師官兵衛の足跡を辿る 3 城井の上城址表門

2013-06-01 08:06:35 | Weblog

城井川を遥かに上ってゆくと宇都宮氏の籠った城井の上城址があります。

その表門は自然の岩盤を利用したもので人が一人やっと通れるほどの空間があり、そこを潜りつつ険呑な坂道を登らねば通り抜けることができません。400年前、この門を前にして黒田軍と宇都宮軍が対峙したのです。

表門の入口を潜り抜け勇気ある方はどうぞ上ってください、決して無理はしないでくださいね、と伝えたのですがなんとここまで来たのだからと皆さん全員が険しい坂道を登って行きとうとう本丸跡までたどり着きました。

ここまで辿り着いたことで皆さんの満足度は頂点に達したようです。皆さん大満足でした。良い思い出になったのではないでしょうか。

  城井城址にて詠める短歌一首

     城井城の址(あと)にし佇(た)てば響き来る兵(つわもの)どもが雄叫びの声  (達)

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