黒田官兵衛の足跡をたどる ~長岩城址

2014-05-29 07:57:55 | Weblog

黒田官兵衛の一番家老栗山四郎右衛門利安(善助)と戦った旧豊前国下毛郡の雄、野仲鎮兼は城井宇都宮氏の流れをくむ一族で、歴史家の説では当時城井宇都宮氏よりも勢力があり、強かったのではないかとのことです。

ここ長岩城は戦の時に籠った居城でした。

数百年もの間、野仲一族を守ってきた要塞のような山城です。

一歩一歩土を踏みしめて上るにしたがって見事な鉄平石の石塁が眼前に現れてきます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛の足跡をたどる~長岩城・後藤又兵衛の墓・角牟礼城~

2014-05-26 07:53:21 | Weblog

25日、好天に恵まれたなか、第7回黒田官兵衛の足跡をたどるツアーを催しました。

中津市耶馬渓町の長岩城址、後藤又兵衛の墓、又兵衛が潜んでいたかまどが岩、豊後森の角牟礼城址、日田市の隈城址、中津市の一つ戸城址、平田城址を巡りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田長政の求菩提山寄進状

2014-05-23 17:52:19 | Weblog

黒田長政が求菩提山(福岡県豊前市)に寄進した書状が求菩提資料館で公開されるという記事が読売新聞に出ていました。

求菩提山は山伏たちの修験道のメッカとして中世の数百年もの間存在感を呈していました。

黒田官兵衛が求菩提山に上って、山伏たちと親しく交わったさまが髣髴されます。

求菩提山は中津城天守閣から眺めると遠く北西の方向に見え、歩くと半日はかかりそうですが、求菩提山の修験者集団が官兵衛にとって、かなり重要な情報源であり、味方にせねばならなかった一群であったと思われます。

この機会に皆さん求菩提資料館に足を運ぶことをお勧めします。

資料館には車ですぐ傍まで行けます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛 ㏌ 別府石垣原古戦場 新名所

2014-05-20 07:40:12 | Weblog

関ヶ原の合戦の時、黒田官兵衛が生涯を賭けて進軍し、九州中の西軍の城を攻めて行ったなかで最も大きな戦が石垣原の合戦です。

このほど実相寺陣跡他四か所の合戦場跡に説明案内版が設置されました。

NHK大河ドラマも後半はいよいよ九州が舞台になります。

中津をはじめ県下各地に大勢の観光客が来られると予想されます。

宿泊が期待される温泉地別府市は官兵衛で盛り上がってほしいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中津みなとふじまつり と 軍師官兵衛

2014-05-18 08:09:47 | Weblog

このほど中津みなとふじまつりが市内緑地公園で開催されました。

我々顕彰会も祭りを盛り上げるために「軍師官兵衛の歌と踊り」をご披露しました。

『 軍師官兵衛 』     作詞・ 豊前国中津黒田武士顕彰会

 1.播州姫路(ここ)に天下の日が昇る いざ立ち上がれ世の中は 群雄割拠の風が吹く

     我人に媚びず 富貴を望まず ああ 軍師官兵衛

 

 2.天が与えし試練ぞと 見上げる窓に藤伸びて 生きる希望に花が咲く

     我人に媚びず 富貴を望まず ああ 軍師官兵衛

 

 3.秀吉公の御為に 駆ける中国大返し 天下統一成さしめん

     我人に媚びず 富貴を望まず ああ 軍師官兵衛

 

 4.天下分け目のこの時ぞ 乾坤一擲鬨の声 兵の勇める如水原

     我人に媚びず 富貴を望まず ああ 軍師官兵衛

   *軍師官兵衛」の歌と舞はユーチューブで発信されていますが、ヤフーを開き「軍師官兵衛 踊り」でご覧になれます。 

好天に恵まれた空の下、中津市民吹奏楽団が演奏してくださり、顕彰会の兵どもの歌と舞は会場いっぱいにその優雅で勇ましい舞姿をご披露することができましたがとても見事でした。

何時までも鳴り響く拍手に充実感を胸に舞台をあとにしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師官兵衛 視聴率首位

2014-05-16 06:40:35 | Weblog

 

昨日の朝日新聞に大河ドラマ軍師官兵衛視聴率首位奪回の記事が載りました。

先週では荒木村重に幽閉され、これから苦難の日々が続いてゆく場面が予想されます。

約一年に亘ってのつらく厳しい牢獄の日々において、心を通じた牢番との交感の様子や藤の花のエピソードがどのように描かれるのか。

ますます面白くなってゆきそうです。今後の展開が楽しみです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大河ドラマ 軍師官兵衛 中津のフィーバーと真田幸村

2014-05-13 08:17:52 | Weblog

読売新聞に中津での大河ドラマ軍師官兵衛大フィーバーの様子が紹介されました。

先日、記者さんが取材にお見えになりしばらく「初代中津城主黒田官兵衛を大河ドラマへ」と活動してきた経緯や官兵衛の素晴らしさなどをお話ししました。

確かに中津へ観光客の来訪はとても増えてきました。

これから、秋にかけて九州へ秀吉軍が島津征伐へやって来て、官兵衛が豊前国六郡の大名となり、歴史に残る出来事に黒田軍が大活躍するころから観光客も増え、もっとすごいことになると思います。楽しみです。

昨日、2016年度大河ドラマが真田幸村に決定したと発表がありました。

地元上田市は真田の旗印「六文銭/〇が六個」に因み、60万人の署名を集めてNHK本社に「真田幸村を大河ドラマに」と熱い思いをもって幾度か陳情に伺ったと聞いています。

上田市や長野県の官民挙げての誘致活動(官はどこもなかなか動かないのです)が実ったことに心からお祝い申し上げたいと思います。

豊前国中津黒田武士顕彰会が九年ほど前から大河へと活動してきたことを振り返ってみても、その苦労がよくわかります。

おめでとうございます。本当に良かったですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍師黒田官兵衛探訪  母里太兵衛と中津

2014-05-09 22:04:16 | Weblog

中津城西御門そばに母里太兵衛の首供養塚があります。

首供養塚というのは討ち取った首を埋めたのではなく、供養のため、鎮魂のために塚を建てて供養をしたものです。

NHKしんけんワイド官兵衛探訪・母里太兵衛特集の撮影も徐々に進み、可愛いレポーターの稲澤さんと共に西御門から首供養塚を取材し、太兵衛がモデルの黒田節を顕彰会が舞うことになってお城の近くの南部公民館で撮影することになりました。

今回も小野京子先生に振付をしていただき、やっとのことで覚えた『正調黒田節』の撮影です。

皆さん見事に舞い終え、良かったです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛探訪  母里太兵衛 NHK大分しんけんワイド大分

2014-05-07 07:11:58 | Weblog

NHK大分放送のしんけんワイド大分の官兵衛探訪が放映され、今回は母里太兵衛の特集です。

 母里太兵衛は福岡民謡「黒田節」のモデルになった黒田藩の猛将で黒田八虎にも讃えられています。

黒田藩では戦場で33の兜首を獲った家臣の誉れを称えるために、首供養塚を建てる習わしがあったと本山一城先生に教えていただきました.

母里太兵衛の首供養塚が中津城下西御門そばに建てられてたということでご案内しました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週刊朝日と軍師黒田官兵衛

2014-05-03 07:35:04 | Weblog

『週刊朝日』が届きました。

先日、司馬遼太郎の街道を行くの足跡を訪ねて取材班がお見えになり、協力をしました。

5年前、播磨灘物語で取材に来られましたが、その時以来です。

丁度、小野会長が居ましたので記者さんと共にわいわい酒を飲みながら話が弾んだことが、そのまま記事になってとてもびっくりしました。

しかも、前回と同じく6ページに亘って顕彰会と共に中津が紹介されているのです。

掲載されているのは、P90~P95です。

皆さん、『週刊朝日』読んでみてくださいね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする