黒田官兵衛(如水)とキリスト教 16 泰西風俗図屏風②

2015-12-28 08:31:53 | Weblog

黒田家に伝わる泰西風俗図屏風の左半折を前回ご紹介しましたが、今回はその右半折です。

宣教師から贈られた珍しい品物を通じて、南蛮文化と呼ばれた先進的な文明があることを知りました。

各地の大名はまず鉄砲や火薬などの兵器に注目し、自国へ取入れようとしましたが、宣教師の使命は言うまでもなくキリスト教の布教でした。

その教えは戦国時代の殺伐とした世に生きる者として新鮮な感動をもって人々に受け入れられていったのです。

秀吉の狂気とも思える専制的な治政に嫌気の差していた官兵衛には特に心に響いた精神世界だったと思われます。

 

 

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黒田官兵衛(如水)とキリスト教15 泰西風俗図屏風①

2015-12-24 08:36:57 | Weblog

黒田家に伝わっている「泰西風俗図屏風」です。

黒田藩では藩祖官兵衛(如水)が熱心なクリスチャンであったことは、殆ど抹消されているが、この屏風が欧州の風物を描いた、単なる文化的遺産として残されたと思われる。

官兵衛(如水)が治めていた豊前中津、筑前福岡時代には城下に家臣を始め大勢のキリシタンがその保護のもとに居たのです。

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黒田官兵衛(如水)とキリシタン14 キリシタン信仰

2015-12-19 08:59:37 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が信仰したキリスト教は秀吉や家康の江戸幕府から迫害を受けましたが、明治維新までのおよそ三百年もの間、脈々と信者の方々に受け継がれて行きました。

見つかれば棄教を迫られ、聞かなかったら磔にされるのです。

信仰とはこのように心の強さを表す一面をもち、我々無宗教の者には命を懸けるほどのものであるのかとただ驚くばかりです。

 

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黒田官兵衛(如水)とキリスト教 13 初期の宣教師たち

2015-12-15 08:32:52 | Weblog

 

キリスト教には現在大きく分けてカトリックとプロテスタントの教派があります。

カトリックは歴史も古く教会には磔されたキリストやマリア像などを飾りますが、プロテスタントはルターの宗教改革(1517)により、教会には十字架のみで華美な装飾を廃止しています。

黒田官兵衛(如水)の時代はカトリックの宣教師ザビエルが1549年に鹿児島に到着し、その教えを日本国に広めようと活動を開始しました。

その活動は瞬く間に日本国中に広まり、当時の人口1200万人のうち、70万人ほどにも信者が居たと言われています。

戦国時代にあって、戦に明け暮れる世を儚み、死生観の教義、仏教の僧侶の堕落した姿を見た人々に新鮮な教えと受け取られ、信者が増えて行ったと思われます。

黒田官兵衛(如水)始めインテリな武将や一般の人々にも浸透して行きました。

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黒田官兵衛(如水)とキリスト教12 キリスト教の世界

2015-12-09 09:38:14 | Weblog

黒田官兵衛(如水)とキリスト教の世界を見てきましたが、その間フロイスの「日本史」などを紐解くと官兵衛のキリスト教に対する熱烈な信仰の様子が伺えます。

これまで戦国時代の稀代の軍師、秀吉を天下人に押し上げた名参謀などと戦人(いくさびと)としての評価に偏った観が濃いようですが、キリシタン大名としての官兵衛の姿がまた別人のように浮かび上がってきます。

官兵衛が独裁者秀吉に逆らってまで信仰し、キリシタンとして死んで行ったキリスト教の世界をもう少し見て行きましょう。

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黒田官兵衛(如水)とキリスト教11 キリシタン如水

2015-12-01 08:10:54 | Weblog

 

黒田官兵衛(如水)は思った以上に熱心なキリシタンであった。

官兵衛とキリスト教を調べて行くと、宣教師を保護したり、その教えを多くの人々に広めた真からのキリシタンであった事が分かる。

その影響力は秀吉を天下人にした輝かしい軍師としての名声を得ていた事や人格の清廉さなどが相俟って、山口の毛利氏はじめ多くの武将にも及んだ。

宣教師が布教を望んだ地に対しても、積極的に働きかけたことはフロイスの著した「日本史」など宣教師の記録に詳しく残されている。

 

 

 

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