秀吉の九州島津征伐の武功で豊前国十二万三千石を拝領した黒田官兵衛は上方(大坂)への海路交通に良き地として、中津に城を築く。
新領主に反抗した国人領主は城井谷の宇都宮氏を残して悉くへ威圧される。
秀吉は伊予転封令に従わぬ宇都宮氏の殺害を官兵衛に命じる。
秀吉の命は絶対であった。
黒田家の泥を被って、長政が中津城で宇都宮鎮房を誅殺し、お供の家臣たちは城下の合元寺で黒田家臣と切合い,寺の白壁に飛び散った血がその後幾度塗り替えても浮き出て来たので,赤壁にしたというのが実しやかに伝わっている。
赤壁は中国伝来といわれ、奈良の陰陽師安倍晴明寺も赤壁で、赤は魔除けであるとお寺を訪ねた時に住職に説明を受けた。
実際は合元寺は元から赤壁であったのである。
軍師黒田官兵衛連載Vol.4は官兵衛の盟友竹中半兵衛です。
歴史の綾はさまざまな様相を呈して想像を逞しくさせる。
秀吉の天下統一までの道のりの中で、前半の重要な役目を果たしたのが竹中半兵衛でした。
官兵衛が有岡城に幽閉され、信長の邪推により息子長政が殺されそうになったとき、一命を賭して長政の命を助けた。
もし、官兵衛が寝返っていたら半兵衛も主君秀吉も信長の怒りを買って命は無かったでしょう。
英雄は英雄を知るということです。
殺るか殺られるかの戦国時代、人を裏切らず、義を通した生き方はなかなか真似のできることではありません。
そういう友人を生涯に持てたことが官兵衛を歴史にその名を残させたのです。
我々も生涯の友を持てるかどうか、いや持ちたいものです。
それには自分自身の人間性を磨き高めなければ適わぬことでもあります。