軍師黒田官兵衛連載 Vol.8 小田原城開城

2015-01-30 08:31:05 | Weblog

家督を嫡男長政に譲り、半隠居していた官兵衛が再び歴史上に現れたのが、秀吉の小田原城攻めでした。

天下統一まであと一息の秀吉にとって、命に従わぬ大名は関東の雄小田原城の北条氏でした。

子飼いの武将に攻めさせたり、様々な策を講じても堅城小田原城は落ちません。

やむを得ず最後に秀吉は官兵衛に頼みます。

官兵衛は単身小田原城に乗り込み、城主北条氏政、氏直父子と直に会談し、命の大切さを諄々と説き、見事に無血開城へと事態を収め、籠城していた家臣など五万五千人の命を助けたのでした。

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軍師黒田官兵衛余聞 大河ドラマよ再び

2015-01-28 07:53:49 | Weblog

大河ドラマ軍師官兵衛が一年間にわたって放映され、各ゆかりの地では多いに盛り上がったとお聞きしています。

各地では連日多くの観光客がお見えになり、例年にない凄い経済効果があったようです。

この程、大分合同新聞に今後大分の大河ドラマ候補として、大友宗麟と福沢諭吉がありますよという文を載せて戴いた。

鹿児島県では篤姫、龍馬伝でフィーバーしたことから柳の下に三匹目?の泥鰌ならぬ島津義弘を大河へと運動しています。

観光事業が地元の振興のために非常に大事なことだと、行政も認識しているとは流石ですね。

さて、大分(皆様の都市)での熱意は如何でしょうか? 

地元の宝を掘り起こしましょう、期待しています。

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軍師黒田官兵衛連載 Vol.7 官兵衛と秀吉

2015-01-26 07:46:36 | Weblog

竹中半兵衛亡き後、官兵衛を参謀として重用してきた秀吉は、その天才的な智力を恐れるようになった。

ある時、俺の後を継いで天下を収めるものは誰と思うかとお伽衆(諸大名説有)に聞いたところ、徳川殿、前田殿、毛利殿など有力大名の名を挙げるも、秀吉は一笑に付して黒田官兵衛の名を挙げた。

それを聞いた官兵衛は身の危険を感じ隠居を申し出た。

官兵衛に二心無く、ただ只管戦の無い世を目指して秀吉に尽くしてきたが、天下人となった秀吉には己の地位を脅かすのではないかと、猜疑心のほうが強くなった。

しかし、官兵衛は、戦国の世を達観し、富貴を望むことなく粛々と己の出番の到来を待ち続けたのである。

 

 

 

 

 

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軍師黒田官兵衛連載 Vol.6 赤壁合元寺の変

2015-01-24 07:54:07 | Weblog

秀吉の九州島津征伐の武功で豊前国十二万三千石を拝領した黒田官兵衛は上方(大坂)への海路交通に良き地として、中津に城を築く。

新領主に反抗した国人領主は城井谷の宇都宮氏を残して悉くへ威圧される。

秀吉は伊予転封令に従わぬ宇都宮氏の殺害を官兵衛に命じる。

秀吉の命は絶対であった。

黒田家の泥を被って、長政が中津城で宇都宮鎮房を誅殺し、お供の家臣たちは城下の合元寺で黒田家臣と切合い,寺の白壁に飛び散った血がその後幾度塗り替えても浮き出て来たので,赤壁にしたというのが実しやかに伝わっている。

赤壁は中国伝来といわれ、奈良の陰陽師安倍晴明寺も赤壁で、赤は魔除けであるとお寺を訪ねた時に住職に説明を受けた。

実際は合元寺は元から赤壁であったのである。

 

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軍師黒田官兵衛連載 Vol.5 本能寺と明智光秀

2015-01-22 07:59:34 | Weblog

明智光秀が主君の織田信長を討った本能寺の変は日本の歴史上最も大きな時代の転換点となったひとつの出来事でした。

信長は天下統一を目指すほどの絶大な権力を持った武将でしたが、天才にありがちな異常で冷酷な性格の持ち主でもあった。

明智光秀は信長と全く正反対の人間であり、教養豊かな文化人でした。

光秀がやむにやまれず蜂起した下剋上の事件でしたが真相は闇の中、後世の歴史家が諸説を展開しています。

 

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軍師黒田官兵衛連載Vol.4 竹中半兵衛

2015-01-18 07:58:28 | Weblog

軍師黒田官兵衛連載Vol.4は官兵衛の盟友竹中半兵衛です。

歴史の綾はさまざまな様相を呈して想像を逞しくさせる。

秀吉の天下統一までの道のりの中で、前半の重要な役目を果たしたのが竹中半兵衛でした。

官兵衛が有岡城に幽閉され、信長の邪推により息子長政が殺されそうになったとき、一命を賭して長政の命を助けた。

もし、官兵衛が寝返っていたら半兵衛も主君秀吉も信長の怒りを買って命は無かったでしょう。

英雄は英雄を知るということです。

殺るか殺られるかの戦国時代、人を裏切らず、義を通した生き方はなかなか真似のできることではありません。

そういう友人を生涯に持てたことが官兵衛を歴史にその名を残させたのです。

我々も生涯の友を持てるかどうか、いや持ちたいものです。

それには自分自身の人間性を磨き高めなければ適わぬことでもあります。

 

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軍師黒田官兵衛連載 Vol.3 戦国乱世

2015-01-16 07:50:35 | Weblog

軍師黒田官兵衛連載Vol.3は戦国乱世と黒田官兵衛です。

今でも時々思うことがあります。

それは、もし織田信長が本能寺で横死しなければ、またもう少し長く生きていたら歴史は一体どうなっていただろうか、と。

 多分秀吉や家康の天下もなく、宣教師を上手く手懐け南蛮文化を取り入れた信長の破天荒な統治により日本国は大いに富める国に成っていたのではないか。

やがて信長が衰えた時に、実力を蓄えた官兵衛が信長より「俺の跡を継ぐのはお前しかない。頼むぞ」と委譲された天下を収める。

如何でしょうか?

ふむふむと頷くご同輩は歴史に造詣の深い方と信じ候なり。

 

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軍師黒田官兵衛連載 Vol.2 姫路城

2015-01-14 08:34:00 | Weblog

軍師黒田官兵衛Vol.2は官兵衛生誕地姫路城です。

播磨の黒田武士顕彰会の皆さんとの交流がお互いに大きな力となりました。

今、播磨の黒田武士顕彰会は黒田官兵衛銅像建立に向かって、頑張っているそうです。

素晴らしいことですね。

これは官民一体となってやらねばならない大事業です。

官の理解と民の熱意が成就するか否かの分かれ目と思われます。

全国に武将の銅像は各地にありますが、官兵衛公の銅像は未だ存在していません。

大河ドラマで一躍歴史の表舞台に登場した官兵衛公の銅像建立が今まさに待望されるときが来たといえるでしょう。

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軍師黒田官兵衛 連載Vol.1

2015-01-12 08:56:10 | Weblog

 

大河ドラマ『軍師官兵衛』が決定して連載の依頼が来ました。

第1号の連載ですが、緊張した文面が懐かしく思い出されます。

華々しい宣伝もなく、静かに始めたので読まれた方も少なかったのではないかと思います。

それでも読まれた方から次回の連載に期待してますと言われた時は嬉しかったです。

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軍師黒田官兵衛連載 26 総集編

2015-01-07 07:56:26 | Weblog

軍師黒田官兵衛連載第26回総集編をお届けします。

大河ドラマ『軍師官兵衛』が決定してから連載を頼まれ、今回26回目の掲載になります。

ということは、26ヶ月にわたっての連載になるという訳で、よくぞ2年余もの間、欠けることなく載せ続けてこられたものだと自分ながら感心しています。

黒田官兵衛を大河ドラマへとの熱い思いが毎月筆を動かさせたのでしょうか。

各月の関連した写真を第1回からすべて並べて掲載された今回の総集編を見ると壮観です。

その間の顕彰会の活動や皆さんとゆかりの地探訪へ出かけたことなどが、懐かしく思い出されます。

第一号からゆっくり読み直してみたいと思います。

 

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