黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎 黒田一成墓

2019-05-22 08:37:38 | Weblog

黒田二十四騎のひとり、黒田一成の墓所は福岡市博多区の崇福寺にあります。

 黒田一成は官兵衛が有岡城土牢に幽閉されていた時、世話になった牢番との約束で、もし運よく生きて救出されたら、そなたの子を家臣として養育しようと約束した。

信長の攻撃で有岡城は落城し、官兵衛は栗山利安や母里太兵衛によって救出された。

その牢番の子が黒田姓を賜って黒田一成となり官兵衛のために大活躍し、その子孫は幕末まで黒田藩の重臣として重用された。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と照福院(光姫)様

2019-05-11 09:15:01 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が生涯たった一人愛した奥方

照福院 (光姫)様の供養碑は

福岡市の圓應寺にあります。

官兵衛に嫁いで黒田家を守り

家臣に慕われた一生でしたが、

夫官兵衛が一年もの間、

有岡城の地下牢に幽閉され、

生きるか死ぬかのつらい目に遭った時、

秀吉の朝鮮征伐では功を立てるべく

海を渡ろうとして遭難した次男熊之助、

関ヶ原の合戦の前、

挙兵した石田三成に大阪黒田屋敷は囲まれ、

人質に捕らわれそうになり、

母里太兵衛らの機知で無事中津城に生還したこと、

その生涯は戦国時代にあって波乱万丈であった。

 

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黒田官兵衛(如水)と照福院(光姫)様

2019-05-11 09:15:01 | Weblog

黒田官兵衛(如水)の奥方

照福院 (光姫)様の供養碑は

福岡市の圓應寺にあります。

夫官兵衛が有岡城の土牢に幽閉されたとき、

次男熊之助が朝鮮に渡る時玄界灘で遭難、

関ヶ原の合戦の前、石田三成の人質になりそうになった時

光姫様の身にも三度の辛いときがあった。

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黒田官兵衛(如水)と太宰府 如水井

2019-05-01 09:46:17 | Weblog

令和元年のお祝いを申し上げます。

令和の元号は万葉集の中から

お言葉を選ばれました。

その元となったのは

太宰府天満宮と

その近くにある

坂本八満宮にあります。

黒田家藩祖黒田官兵衛(如水)は

豊前中津12.5万石の大名から

筑前福岡52万石の大大名と

なって赴任しましたが、

福岡城が出来上がるまで

太宰府の一角に住居を定め、

暫くお住まいになられました。

その住居跡に使用された

如水井が今に伝えられています。

戦禍で荒廃した太宰府天満宮は

黒田家の寄進で

立派に再建されました。

黒田官兵衛(如水)公と

太宰府天満宮は

深い由縁があるのです。

 

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