京都 晴明神社

2009-03-31 10:45:29 | Weblog
京都の黒田如水邸址は陰陽師安部晴明神社の傍にありました。そのかみの陰陽師は諸葛孔明や吉備真備、安部仲麻呂の如く占術や呪法を駆使して祈祷し吉凶や進むべき道を将軍に進言したり、祭祀を司ったりしましたが時代を経るにしたがい軍師(作戦参謀)へとその務めは変わっていきました。ゆえに安部晴明は黒田如水の魁なる存在と言ってもいいでしょう。如水公がこの神社の傍に住んでいたということは偶然ではない何かがあるように思われてなりません。神社にお参りしましたが何かしら霊気を感じるほどでした。
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あっ官兵衛銅鑼焼

2009-03-30 12:54:11 | Weblog
殿畑双葉堂が出店しているゆめタウン中津店にて「あっ官兵衛銅鑼焼」の実演販売会をしました。味も良いのでたくさんのお客様に愛される中津の新しい名物になれば嬉しく思いますし、贈り物や御遣物にも大いに使って戴きたいものです。
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中津 円応寺とお光の方(号幸円) 2

2009-03-29 13:18:27 | Weblog
浄土宗中津円応寺の由来板です。黒田如水開基とありますが文献では如水の妻お光(てる)の方(号幸円)が海難事故により亡くなった次男熊の助を弔うために建立した寺となっています。中津ではあまりご存知の方はないようです。如水の妻お光の方はどんな思いでこの寺を建立したのでしょうか。福岡に転封した後、黒田家はその地にも円応寺を建立したとのことですが一度訪ねたいところです。
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中津円応寺とお光(てる)の方(号幸円)

2009-03-28 11:35:41 | Weblog
中津市寺町に浄土宗円応寺があります。黒田家の中津藩時代、黒田軍は如水、長政共に文禄・慶長の役に朝鮮へ出兵して行きました。中津城の留守役を言い渡されていた如水の次男熊の助は父、兄の身が案じられてならず、また自身も加勢せんと父如水の言い付けを破り若い家臣と共に船で朝鮮に渡らんとした。しかし暴風雨に合い船は沈没し若い命を海底に散らした。嘆き悲しんだ母お光の方(号幸円)は供養のために円応寺を建てその御霊を弔った。戦国時代でも珍しくお光の方(幸円)は如水にただ一人の妻として(側室も置かず)愛され幸福な一生を送りましたが生涯に幾度か悲しい思いをしました。如水が小寺家の家老の時、織田信長に自分の嫡子長政を人質として差し出した。また、伊丹有岡城の荒木村重の説得に単身赴いたが村重のために1年もの間劣悪な牢に入れられ帰れなかった。その上、如水は裏切ったと思われた信長に息子長政を殺せと命令されたが竹中半兵衛の機知により助けられた。そしてこの熊の助の遭難である。熊の助が安らかに眠られんことを願って合掌してきました。
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週刊朝日 週刊司馬遼太郎3

2009-03-27 10:48:56 | Weblog
週刊朝日の中津編の取材中の両編集委員さんです。中津城の黒田如水築城の石垣をバックに撮りました。最近の発掘調査で新発見がありました。貝原益軒の豊国紀行には中津城には天守無しとありますが、築城当初は天守はあったことがその調査と他の文献により分かりました。全国的に人気と話題性のある黒田如水ですが中津市民にいま一つ盛り上がらなかったところ、当顕彰会の活動で少しずつ黒田如水が如何に凄い武将であったかまたそんな武将が中津に居たのだということが知られつつあるのに会員として嬉しく思います。
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週刊朝日 週刊司馬遼太郎2 合元寺

2009-03-26 10:46:22 | Weblog
中津市寺町の赤壁合元寺を訪ねました。丁度村上住職が居られ司馬遼太郎が来られたときの様子や合元寺の由来、赤壁寺に生まれて幼時はどの様に感じていたかとかインタビューを受けていました。宇都宮家と黒田家の家臣達が切り合った時の刀疵が生々しく柱に残っていますが何か殺気が感じられてなりませんでした。週刊朝日の村井編集委員と村上住職とで記念撮影をしました。カメラを太田編集部員さんにお願いしました。黒田如水といえば中津と言われるようになるためには多くの市民の方々にもっと黒田如水、長政、二十四騎や黒田武士のことを伝えて行かなければなりません。
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週刊朝日 週刊司馬遼太郎 村井・大田記者来津

2009-03-25 10:33:33 | Weblog
週刊朝日の特集で「週刊司馬遼太郎」の連載が始まっています。この3月27日号は「黒田官兵衛・軍師の器」で「播磨灘物語の世界」の第2回を御着城の評定ということで姫路を中心に編集されています。一昨日、週刊朝日の編集委員村井重俊さん、太田覚さんが中津編の取材に見えられ市内の黒田家ゆかりの史跡をご案内しました。小野会長とも挨拶され一通り中津の時代のことをご説明し、中津城の黒田の石垣や合元寺などを訪ねました。丁度合元寺には村上住職が居られ司馬遼太郎がお見えになった時の事など話していただきました。村井さんには特に「あつ官兵衛」人形やストラップが中々可愛いと褒めていただき、「官兵衛銅鑼焼」にも興味を持たれ一緒に写真を撮りました。「官兵衛銅鑼焼」を本社にお持ち帰り社の皆さんで味わっていただければまた一つ中津の思い出になることと思います。多くの黒田如水フアンの皆様どうか今発売中の週刊朝日をお買い求めになって「週刊・司馬遼太郎」をお読みになることをお薦めします。黒田官兵衛の特集は6回続きとのことです。中津編の特集号は四月上旬に発行されるようなので楽しみに待ちましょう。
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京都上京区 如水町 2

2009-03-24 10:31:23 | Weblog
如水町の町名標識がもう一つ見つかりました。何か時代を彷彿させます。京都に相応しい感じがします。この町には一体どんな方々が住んでいるのでしょうね。一度どなたかお会いしてお話してみたい気がします。
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京都上京区 如水町

2009-03-23 12:41:10 | Weblog
黒田如水邸址の石碑がある辺りは京都府上京区如水町といいます。町名の標識を見つけました。何か愛しい人を見るようで心がホンワカするのを覚えました。来て良かったです。
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京都 黒田如水邸跡

2009-03-22 17:18:28 | Weblog
16日~18日まで商用で京都に行ってきました。会議の合間を縫って黒田如水邸跡を訪ねました。陰陽師の安倍晴明神社の傍にあります。今は石碑が残されているだけですがここに400年の昔、如水公の屋敷があり住んでいたのだと思うと何故かこの石碑に頬ずりをしたくなりました。
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