黒田官兵衛(如水)と戦勝祈願 3 中津若旗神社🉂

2017-05-22 08:46:32 | Weblog

中津市植野にある若旗神社は承和2(835年)宇佐神宮の御分霊を勧請した由緒ある神社です。

黒田軍は関ヶ原合戦の折、息子長政が徳川家康について上杉征伐のため、関東へ出兵していました。

秀吉の薨去の報に接し、官兵衛は天下の争乱を予想し九州を平定すべく、中津城に残しおいた黒田二十四騎の精鋭の大半と招集した九千人の浪人たちで中津黒田軍を編成し、まず西側の大友氏と一戦を構えるために進軍しました。

その戦勝祈願に、この若旗神社にお参りしたのです。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願2中津市若旗神社

2017-05-15 09:55:44 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願をした神社の一つに、中津市植野の若旗神社があります。

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黒田官兵衛(如水)と戦勝祈願 闇無浜神社3

2017-05-03 08:33:36 | Weblog

黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願にお詣りした神社の中でも、歴史的に最も古い社がこの闇無浜神社です。

万葉集(759/天平宝字3年~)にもこの浜のことが載っています。

官兵衛(如水)は母の影響で幼時より文学に熱中したことがありました。

しかし、武家の棟梁として生を受けたからには、これからは兵法を学ぶべしとの箴言を受けやむなく文学から離れた経緯がありました。

関ヶ原の合戦が終わり、中津から福岡へ移封の折、福岡城が築城される間、太宰府の草庵に仮居しました。

官兵衛(如水)は比較的平安な時となった太宰府で、よく連歌会を催したほど、和歌に造詣が深かったのです。。

当時でも文武、智勇に優れていた武将でしたので、万葉集に詠まれていたこの神社はとくに親近感があったと思われます。

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