黒田官兵衛(如水)と光姫像の今

2017-02-24 08:48:03 | Weblog

先日、中津城に行って来ました。

なんと驚いたことに、官兵衛・光姫像にショールが着せられていました。

市民の方どなたかが編んでくださったのでしょうか?

このところ全国的に大寒波が押し寄せ、各地で降雪による被害が相次いでいます。

中津でも大雪の日があり、町中真っ白になっていました。

温かいショールを着せられて、官兵衛・光姫ご夫婦もお喜びになっていることと思います。

ショールを着せてくださった方、ありがとうございます。

 

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黒田官兵衛(如水)と南蛮船 3

2017-02-17 09:00:11 | Weblog

ヨーロッパのロッテルダム港を出港して、太西洋を南下し、アフリカ大陸西端をめぐり、南米大陸の南端マゼラン海峡を越え、太平洋を北上し、2年もの長い航海の果て、はるばるとやって来たオランダ船リーフデ号は、豊後の国佐志生(大分県臼杵市)の港に漂着した。

出港の時、5隻の船団に110人居た乗組員は日本に漂着したときは嵐や病苦で生き残ったのは20人弱という余りにも悲惨で困難な旅でした。

ただ、乗組員たちは、地元の人々に救助され、温かくもてなされた。

その後、乗組員たちは家康のもとに送られ、船の備砲や砲員は関ヶ原の合戦に活用されたという。

この船がもし隣の豊前国に漂着して居たら、官兵衛は南蛮船の先進的な武器や戦術を利用し、天下取りの野望を膨らまし、歴史を変えるほどの働きをしたのではないかと想像するのも歴史を愛する者としての楽しみではあります。

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黒田官兵衛(如水)と南蛮船 2

2017-02-10 08:50:13 | Weblog

当時の航海は生死を賭けた壮絶なものであった。

このリーフデ号の航跡を見ても、

オランダ・ロッテルダム港を出港し、

大西洋を南下、

南米大陸最南端の沖を回り、

太平洋を北上してはるばるやって来たその日々は

想像を絶する荒天や船中での疾病等の中、

なんと二年近くに亘るものであった。

 

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黒田官兵衛(如水)と南蛮船

2017-02-03 08:58:26 | Weblog

1598年6月オランダロッテルダムの港を出港したデ・リーフデ号は、1600(慶長5)年4月豊後の国臼杵(大分県臼杵市)佐志生に漂着した。

時は秀吉が薨去して、今まさに風雲急を告げようとしている頃であった。

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