黒田官兵衛(如水)命日in秋月 Ⅳ 如水書簡

2012-03-30 07:46:48 | Weblog

秋月郷土館に黒田如水公の直筆書簡が展示されていました。

だいこんとかきを贈られたことへのお礼状とか。注目されるのは左の書簡ですが黒田官兵衛(如水)公の洗礼名である「JosuiSimeon」の丸印が押印されていることです。秋月藩は熱烈なクリスチャンであった藩祖如水(官兵衛)の弟黒田直之(洗礼名ミゲル)の治世(その後如水の孫長興が5万石の黒田藩支藩秋月藩主としてして入封)していた地ゆえにキリスト教が熱心に布教され多くのクリスチャンがいました。熱心なクリスチャンであった如水公の逝去した後、徳川幕府によるキリスト教禁止令が出たあとも人々は隠れキリシタンとなって信仰に生きたのです。秋月郷土館にはその他多くの黒田藩に関する重要な史料が展示されています。これから桜の季節でもあり見事な桜並木のある城下町秋月へ是非皆さんお出かけください。

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黒田官兵衛(如水)命日n秋月 Ⅲ 木砲

2012-03-28 08:37:35 | Weblog

黒田秋月藩の資料館である秋月郷土館に木砲がありました。普通大砲は黒光する青銅などの重厚な材質で出来ているものですがなんと木砲なのです。丸太をくり貫いて大砲に造るとは凄い発想ですね。実際戦に使われたようです。

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黒田官兵衛(如水)公命日n秋月 Ⅱ 如水の甲冑

2012-03-25 07:50:22 | Weblog

黒田秋月藩の史料を多数展示している秋月郷土館を加峰館長さんが親切に案内してくださいました。この甲冑は「律管の冑、猩々緋の甲」と呼ばれ黒田官兵衛(如水)公から譲られたものです。左胸に黒田家の藤巴紋が見えます。これを見るだけでも郷土館を訪れる価値があります。

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黒田官兵衛(如水)公命日n 秋月 郷土館

2012-03-23 07:28:04 | Weblog

中津を発って福岡市崇福寺へ向かう途中、朝倉市秋月にある郷土館に寄りました。関ヶ原の合戦の後、黒田官兵衛(如水)の弟である黒田図書助直之が一万石を与えられ治めていましたが長政の遺言により二代目藩主忠之の弟長興(長政の三男)公が五万石の藩主となって黒田家の支藩として秋月藩が生まれました。歴史資料館となっている秋月郷土館には黒田如水公から譲られた甲冑や備前長船の名刀、木砲等黒田家の支藩としてゆかりの品々がたくさん展示されています。城下町の風情を色濃く残す町ですが4月初旬には館の前の杉の馬場には空が見えないほど素晴らしい桜並木(以前は杉並木でしたが今は桜並木に)が続き多くの観光客が訪れます。秋の紅葉も見事です。黒田武士フアンには欠かせないゆかりの史跡ですので是非皆さん一度はお訪ねになってみてください。

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黒田官兵衛(如水)公 命日

2012-03-20 07:26:08 | Weblog

今日3月20日は黒田官兵衛(如水)公の命日です。関が原の合戦(1600年)が東軍の勝利に終わり、黒田長政の武勲により豊前国12.3万石から筑前52万石の太守となって福岡へ移封して行きました。その4年後1604年の今日、京都の黒田家屋敷にて59歳の波乱の生涯を閉じました。全国の皆さん、黒田官兵衛(如水)公のご冥福を祈って献杯をお願いいたします。

本日は福岡市にある黒田家墓所の崇福寺にて法要が催され、黒田家第16代ご当主黒田長高公もお見えになるそうです。我々豊前国中津黒田武士顕彰会は30名ほどで参列いたします。姫路より50名ほどの播磨の顕彰会の皆様がお見えになるそうです。福岡には藤香会(黒田藩士のご子孫の会)の方々をはじめゆかりの方々がご参集されるとか。皆様とお会いし旧交を暖めたいと思っています。

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黒田官兵衛を大河ドラマへ 中津タウンマガジン

2012-03-18 08:03:57 | Weblog

中津タウンマガジン誌の3月号に「黒田官兵衛を大河ドラマへ」として我々豊前国中津黒田武士顕彰会のこれまでの活動が2ページに渡り掲載されました。先日、記者が来られて詳しく取材されましたので楽しみにしていたのですが大きく載りました事に地元の方々へ少しはアピールできたのではないかと思います。熱く熱く郷土のことを思っている人々は必ずや賛同していただけると思いますがなにやら面子やこのことが良く理解できてない方もいらっしゃってまだまだ一本にまとまるには至っていませんが今はただ信念を曲げることなく戦国時代の名軍師黒田官兵衛(如水)公をもっと世の中の人々に知っていただくためにこれからも全国の黒田官兵衛フアンの皆さんと手を取り合って歩んでゆきたいと思います。

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閑話休題 斉藤茂吉を訪ねて

2012-03-15 08:24:32 | Weblog

今回機会がありましたのでみちのく最上川沿いの歌人斉藤茂吉のふるさと山形県大石田町、上山市を訪ねることが出来ました。中津を出るときは春、大石田は吹雪、上山は大雪でした。

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる  

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり                                                                                

最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも   (茂吉)

私たち短歌を学んでいるものにとって斉藤茂吉は神様のような存在です。蔵王連山を彼方にして茂吉の生家、茂吉記念館、そして雪深き最上川畔の茂吉が歌作のために散歩した辺りを茂吉を感じながら歩きました。いつかは訪れたいと思っていたところなのでとても思い出に残る旅になりました。

写真は左より斉藤茂吉生家、中央は斉藤茂吉記念館にて、右は夕べの最上川とご案内していただいた庄司大石田町長。

      この橋に立ちて茂吉の歌ひしか逆白波よ最上の川よ    

      雲晴れてするどき蔵王の山が見ゆ雪に沈める町の彼方に  (達)

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大河ドラマ龍馬の原点 高知

2012-03-12 07:37:56 | Weblog

高知市桂浜にある坂本龍馬像です。はるか海彼を望み日本の行方をじっと思案しています。地元の青年達の募金活動によって浄財が集まりこのでっかい銅像が建ちました。今では高知を象徴するほどの観光スポットとなっています。

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竜馬の会 橋本会長来津

2012-03-09 07:44:57 | Weblog

小生の友人であります中津龍馬の会の楠木さんのお引き合わせで全国龍馬の会会長の橋本氏にお会いすることが出来ました。橋本会長は高知出身で三十年ほど前から郷土の英雄坂本龍馬の素晴らしさを全国に発信しようと各地に「竜馬の会」を設立して行き、今では全国に147箇所に竜馬の会が発足され海外にも数箇所設立されるほどになっているとのことです。名誉会長に坂本龍馬、顧問として高知県知事、福島県知事、京都府知事、長崎県知事、岩手県知事をはじめゆかりの地等の多くの市長が名を連ねています。

高知の桂浜にある坂本龍馬記念資料館も橋本会長が中心になって資金集めに努力され今では年間数十万人の観光客が訪れる施設になっています。また、橋本会長の尽力で坂本龍馬が「龍馬伝」としてNHK大河ドラマになった時のことや全国初の人名空港として高知空港が「龍馬空港」と改名された経緯も語っていただきました。世の中にはすごい人がいるものです。

さて我々も全国に「黒田官兵衛の会」「如水の会」なるものを立ち上げる時が来たようです。

写真は橋本会長と福沢諭吉記念館にて。

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黒田如水 新著書

2012-03-06 07:46:59 | Weblog

黒田如水について新書が出ました。小和田哲男氏の力作です。如水の出生から史実に基づいてその生涯が詳しく検証されています。黒田如水(官兵衛)を今一度確認する意味で読lんでいただきたい一冊です。

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