黒田官兵衛(如水)と魴(ほうぼう) Ⅱ

2012-04-27 13:51:31 | Weblog

魴(ほうぼう)は君魚と呼ばれ殿様が食したという身の引き締まった白身のとても美味な魚です。特に刺身や煮つけが美味しくその名のとうりお殿様が好んで?食したというのもむべなるかなと思われます。昔から君魚と呼ばれていたのでしょうか。その名の意味するところから官兵衛は小田原城の北条氏に贈ったのかもしれません。外の魚では失礼になると考えてのことだったのでしょうか。そう想像するのも面白いですね。

私は煮つけを戴きましたがとても美味しかったです。今、結構お店に出ているようですので皆様黒田官兵衛(如水)公を偲んで是非味わって戴ければと思います。

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黒田官兵衛(如水)と魴(ほうぼう)

2012-04-25 07:47:07 | Weblog

先日市内の居酒屋で「魴(ほうぼう)」を戴きました。カウンターに座ると丁度目の前に丸ごとその雄姿を現していましたのでつい注文してしまいました。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が九州を平定し天下統一まで残るは小田原城の北条氏のみとなった。秀吉は20万を越える軍勢で海陸から小田原城を包囲するも堅くなかなか落城しません。城内には領内から集めた主力5万以上の軍勢が篭城しています。

困った秀吉は黒田如水に相談します。如水は「美酒ニ樽と粕漬の魴(ほうぼう)十匹」を贈り単身無刀、肩衣袴(かたぎぬはかま)の姿で小田原城に入城し城主北条氏政、氏直父子に豊臣氏の天下となった世の中の流れを重々と説き降伏を勧めます。その説得に応じた北条氏は如水に感謝し北条家重代の家宝「名刀日光一文字(国宝)」、「吾妻鏡(鎌倉幕府の歴史書)」、「平家琵琶」、「北条白ほら貝」を贈り小田原城を開城しました。そのお陰で篭城中の5万の尊い人命が助かったのです。

ここに豊臣秀吉の天下統一が成し遂げられました。

黒田如水公を偲びつつ居酒屋で戴いたホウボウの煮付けはことのほか美味でした。

 

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あ!官兵衛 タウンマガジン大分 

2012-04-22 08:06:39 | Weblog

大分のタウンマガジン誌の取材がありこのほどその掲載誌が送ってきた。「黒田官兵衛を大河ドラマへ」と後押ししていただくためには「あ!官兵衛」が大分市はじめ県下各地で大いに知っていただきたいものです。

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黒田官兵衛(如水)を大河ドラマへ 懸垂幕

2012-04-19 07:38:50 | Weblog

先日の大分合同新聞に中津市内の大型ショッピングセンターに「話題の垂れ幕」が下がった記事が掲載されました。中津商工会議所の発案で「黒田官兵衛を大河ドラマへ」の垂れ幕が市内島田のゆめタウン中津店の正面入口の屋上から下がっています。記事も好意的で大河ドラマへの市民の皆様の盛り上げに大いに効果が出てくることでしょう。この頃、市民の間で大河ドラマへの話題も挨拶代わりに頻繁に出てきて、とても身近になってきました。ぜひ大願成就させなくてはなりません。皆さんの応援宜しくお願いいたします。

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黒田官兵衛(如水)公命日n福岡 崇福寺 Ⅶ 墓碑

2012-04-16 07:57:06 | Weblog

黒田家の墓地には歴代の藩主の墓がずらりと並んでいます。藩祖黒田官兵衛(如水)公の墓碑は重厚な趣で一段と存在感のある位置を占めています。我々豊前国中津黒田武士顕彰会一行も如水公の墓碑の前にて読経のあと記念写真を撮りました。そこで解散となり、心に感慨深い思いを抱きながら中津への帰路につきました。

播磨の黒田武士顕彰会の皆さんはその後今日の宿泊地唐津へ向かいました。明日は黒田如水公が縄張りをした朝鮮出兵の基地名護屋城祉を見学するそうです。いつもながら勉強熱心な姿には感心します。まだまだ中津は及びません。

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黒田官兵衛(如水)公命日n福岡 崇福寺 Ⅵ 

2012-04-14 07:34:53 | Weblog

崇福寺本堂での法要が無事に終わり、寺内にある黒田家の墓地にむかいました。ここには藩祖黒田官兵衛(如水)公、初代藩主長政公はじめ歴代藩主の墓群が立ち並んでおりその墓碑の大きさに圧倒される思いがします。この墓地は普段は門が閉じられていて入れません。

如水公の墓碑の前に参拝者の皆さんが集まると崇福寺の僧によるお経が上がりました。戦国時代の荒波に負けず己の信じるままに生き抜いた稀代の軍師黒田如水公の墓前に頭を垂れ暫し遺徳を偲びました。その後黒田家ご当主黒田長高様と一緒に写真を撮らせていただきました。

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黒田官兵衛(如水)公命日n福岡 崇福寺 Ⅴ 日の本一の黒田武士

2012-04-12 08:04:22 | Weblog

播磨の顕彰会の奉納吟と舞に続いて私達豊前国中津黒田武士顕彰会も「日の本一の黒田武士」の歌と舞を奉納しました。黒田家ご当主黒田長高様の前で舞うのは初めてですのでとても緊張しました。正面の如水公に一礼し左側は黒田家藤香会の皆さん、右側は播磨や岡山の黒田武士顕彰会の皆さんがずらりと並んでいます。本堂に入りきれない方々は廊下に座っています。こんなに多くの黒田武士ゆかりの方々の前では本当に緊張しました。ほぼ4分間があっと言う間に過ぎました。無事に勤めを果たした後、黒田長高様に労いの声をかけていただき緊張も取れほっとしました。

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黒田官兵衛(如水)公命日n福岡 崇福寺 Ⅳ 播磨顕彰会の舞

2012-04-09 07:50:31 | Weblog

ご来賓の挨拶の後、本堂にて掛け軸の中から黒田官兵衛(如水)公の見守る中、播磨の黒田武士顕彰会の神澤さんと新福さんによる黒田武士奉納吟と舞が披露されました。新福さんの声は地を揺るがすほどに響き渡り誠に素晴らしい声でした。また神澤さんの舞はなにか神がかりの感があり参列している方々の魂をゆすぶること限りないほどでしたので黒田如水公の法要も一段と引き締まりました。黒田家第16代ご当主黒田長高様、藤香会会長山崎拓様はじめご参列の皆様もきっと満足されたことと思います。

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黒田官兵衛(如水)命日n福岡 崇福寺 Ⅲ 黒田家第16代ご当主黒田長高様

2012-04-07 07:41:34 | Weblog

黒田官兵衛(如水)公の法要が始まりまず黒田家第16代ご当主黒田長高様がご挨拶されました。そのお姿には何か気品がおありになり、黒田武士のご子孫の方々の心の支えになっていらっしゃるのもむべなるかなと思われました。厳粛な雰囲気の中法要は粛々と執り行われて行き、私達も今回の法要に参加できて何か心が洗われるような気がしました。

世にその武功や勇猛さを讃え後世にまで「〇〇武士」、「〇〇〇〇騎」、「〇〇虎」と呼ばれているもののふは戦国武将の中でも数多くはありません。やはり「黒田武士」、「黒田24騎」、「黒田八虎」と讃えられるだけの武勇や逸話が残されているからこそと思われます。

そしてまた、このように黒田家とその家臣の方々が明治維新後も御当主を敬い固い絆で結ばれている姿をみるにつけ黒田武士の誇りと素晴らしさを再確認する次第です。

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黒田官兵衛(如水)命日n福岡 崇福寺 Ⅱ 本堂

2012-04-05 07:59:37 | Weblog

崇福寺の本堂には黒田家第16代ご当主黒田長高様、藤香会会長の前副総理山崎拓様はじめ大勢の方が法要に参列されていました。厳粛な雰囲気の中お経の声が響き渡り黒田官兵衛(如水)公の戦国時代の歴史にその名を残した武勇の数々やお人柄を偲びつつ私達もご冥福と大河ドラマへの道が成就されんことをご祈念しました。

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