先日市内の居酒屋で「魴(ほうぼう)」を戴きました。カウンターに座ると丁度目の前に丸ごとその雄姿を現していましたのでつい注文してしまいました。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が九州を平定し天下統一まで残るは小田原城の北条氏のみとなった。秀吉は20万を越える軍勢で海陸から小田原城を包囲するも堅くなかなか落城しません。城内には領内から集めた主力5万以上の軍勢が篭城しています。
困った秀吉は黒田如水に相談します。如水は「美酒ニ樽と粕漬の魴(ほうぼう)十匹」を贈り単身無刀、肩衣袴(かたぎぬはかま)の姿で小田原城に入城し城主北条氏政、氏直父子に豊臣氏の天下となった世の中の流れを重々と説き降伏を勧めます。その説得に応じた北条氏は如水に感謝し北条家重代の家宝「名刀日光一文字(国宝)」、「吾妻鏡(鎌倉幕府の歴史書)」、「平家琵琶」、「北条白ほら貝」を贈り小田原城を開城しました。そのお陰で篭城中の5万の尊い人命が助かったのです。
ここに豊臣秀吉の天下統一が成し遂げられました。
黒田如水公を偲びつつ居酒屋で戴いたホウボウの煮付けはことのほか美味でした。
黒田官兵衛(如水)公の法要が始まりまず黒田家第16代ご当主黒田長高様がご挨拶されました。そのお姿には何か気品がおありになり、黒田武士のご子孫の方々の心の支えになっていらっしゃるのもむべなるかなと思われました。厳粛な雰囲気の中法要は粛々と執り行われて行き、私達も今回の法要に参加できて何か心が洗われるような気がしました。
世にその武功や勇猛さを讃え後世にまで「〇〇武士」、「〇〇〇〇騎」、「〇〇虎」と呼ばれているもののふは戦国武将の中でも数多くはありません。やはり「黒田武士」、「黒田24騎」、「黒田八虎」と讃えられるだけの武勇や逸話が残されているからこそと思われます。
そしてまた、このように黒田家とその家臣の方々が明治維新後も御当主を敬い固い絆で結ばれている姿をみるにつけ黒田武士の誇りと素晴らしさを再確認する次第です。