直江兼続のことば

2010-02-27 19:35:56 | Weblog
上杉家のある家臣の話ですが罪のあった部下を成敗したらその家族が怒って生き返らして戻せと抗議し弔慰金の吊り揚をねらった。直江兼続はその家族に「死んだ人間を連れ戻したければお前たちがあの世へ行け」と切り殺した。あの優しそうな直江兼続がこんな決断をするとは。びっくりです。そうでなければ国というものは治まらないのですね。ちなみに直江兼続と妻お船の墓がある米沢市の林泉寺にはNHK大河ドラマの放映後45万人もの観光客が押し寄せたそうです。黒田官兵衛(如水)が大河ドラマになった時には、、、、。早くその用意をしなければ。中津市や市民の方々の対応、盛り上がりが一日も早く待たれるところです。大願成就まで豊前国中津黒田武士顕彰会の活動ももう一踏ん張りです。
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武田信玄の箴言

2010-02-25 10:53:17 | Weblog
先の「戦国武将のことば」の中の今日のことばは戦国時代最強の武田軍団を組織した武田信玄です。臆病者も使い道があるとの箴言です。中々含蓄のあることばです。部下の能力を最大限に発揮させることこそリーダーとしての役目である。最前線で戦闘に生きがいを感じる者、その後方で味方の為に補佐し己の出来る限りのことをする者。それも自軍が生き残るために大事なことなのだと信玄は語っています。人は適材適所で能力を発揮することこそ生きる道であり大将たる者それを見極むべし。今の世にも十分通じる言葉です。
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豊前中津の黒田武士の舞

2010-02-23 12:36:50 | Weblog
豊前国中津黒田武士顕彰会の新人が初舞台を踏みました。熊谷君と殿畑君です。友人の開店20周年のお祝いに祝儀舞として是非「豊前中津の黒田武士の舞」をと望まれましたのでご披露することになりました。その日に合わせて猛特訓しましたがよくぞ皆さんにご披露できるまでになりました。この真剣な表情、頭の中は真っ白になっていたらしいです。しかし中々格好も決まっています。無事舞い終えて仲間からやんやの喝采を浴びていました。これからもお座敷が掛かれば何処までも?行きますのでよろしく。ちなみに出演料は 今のところ 無料です。
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播磨の黒田武士顕彰会

2010-02-21 10:59:31 | Weblog
先日の読売新聞に播磨の黒田武士顕彰会の記事が載っていました。初代会長の中元様は播磨学研究会を設立し現在の「NHK大河ドラマ黒田官兵衛を誘致する会」へと活動は続いている。翻って我が町中津市の現状を思い見るに姫路市に大きく後れを取っている。竜馬伝の放映が始まって長崎や高知が竜馬記念館や所縁の史跡を整え素晴らしい対応をし多くの観光客が訪れているのを見て必ずや中津市も動いてくれると期待はしているのですが、、、。一日も早く中津市民の方々に秀吉と家康に天下を取らせた戦国時代の名軍師黒田官兵衛、長政父子が中津の地に13年間も居てその間、黒田官兵衛(如水)の活躍による小田原北条氏降伏により秀吉の天下統一が成された事、二度にわたる朝鮮出兵/文禄・慶長の役での黒田武士の大活躍、黒田の重臣母里太兵衛による名槍日本号呑み取り/黒田節として名を残す、関ヶ原の合戦における長政の勲一等の武功、官兵衛の面目躍如たる九州の関ヶ原といわれる石垣原の合戦から九州を押さえて行った一連の活躍など最も黒田武士が輝いていたその歴史的意義を知って欲しいと思います。そんな凄い軍師が中津の地に居たのです。素晴らしいことではないでしょうか。播磨の皆さんの熱意と相俟って豊前国中津黒田武士顕彰会の活動が少しでもそのお役に立てれば本望です。応援宜しくお願いいたします。頑張りましょう。
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黒田官兵衛の陣駕篭

2010-02-18 08:35:59 | Weblog
これが黒田官兵衛が戦場で使用した陣駕篭です。伊丹有岡城の荒木村重が信長に反旗を翻したのを説得に行きそのまま劣悪な牢に一年ほど捕らえられた時に左足を痛め歩行も叶わぬほどとなりました。しかし信長の有岡城攻めの折、家臣の栗山利安や母里太兵衛により九死に一生を得て助けられた後、健康を回復した官兵衛はこの駕篭に乗り采配を振るい自軍の士気を高め数々の戦に連戦連勝していったのです。如何ですか?黒田官兵衛が眦(まなじり)を決して戦場を駆け巡った様が窺い知れますね。この駕篭は現代まで現存していたのですが惜しくも先の大戦で焼失されたようです。もし眼前にあれば官兵衛公の魂が宿っているかのようで頬擦りしたくなるような愛しさがあります。多く黒田官兵衛についての物語や史書、研究書が発行されていますがこの駕篭が載っているのはごく僅かですので初めてご覧になった方もあるかと思います。*写真は本山一城著「黒田軍団」より
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黒田武士顕彰会と「天地人」

2010-02-16 15:06:22 | Weblog
本日、NHK大河ドラマ「天地人」の原作者火坂雅志先生からお葉書が届きました。先日大分県国東町で催された先生の講演会のあとの数分間お話をさせて頂いたとき中津から持参した「あ!官兵衛銅鑼焼」と深耶馬渓の名産「椎茸のからし漬」を差し上げましたがそのお礼を兼ねてのことです。何かしら筆跡も風格がありますね。今後の先生のご活躍をお祈りしましょう。皆さんも火坂先生著竹中半兵衛と黒田官兵衛の物語「軍師の門」面白いですから是非お読みください。
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黒田官兵衛の名刀 安宅切

2010-02-14 12:03:09 | Weblog
黒田官兵衛は殺傷を嫌う武将でした。孫氏の兵法により戦わずして勝つことを心がけ天下の趨勢や命の大切さ、いたずらに血を流すことの無意味さを説き出来るだけ相手を説得して城を開かせ戦を終えるようにしました。しかし、官兵衛の生涯にはただ二度ほど自分の手で人を殺傷したことがありました。未だ小寺家の家老の時、小寺の殿様よりの下知(命令)で織田信長に通じた小寺家の重臣を仕物にかけたとき(皮肉にも後のち官兵衛は織田に付くことこそ小寺家の生き残る道だという考えに到った)。そして今ひとつは秀吉の四国平定の折、信長の命で官兵衛自ら淡路島の三好一族の剛強の勇士安宅河内の守を仕物にて討ち取ったときです。そのときの刀が今に伝わる重要文化財に指定されている備前長船祐定作「名物 安宅切り」です。文武に通じ生の営みのはかなさを人一倍知っていたからこそ意に沿わぬ殺し合いの無意味さを心のどこかに嘆きつつ戦場を駆け巡った生涯ではなかったかと思われます。
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黒田官兵衛と徳川家康

2010-02-12 11:43:46 | Weblog
今日2月12日は徳川家康が江戸幕府を開いた日です。関ヶ原の合戦で勝利を収め実力者となった徳川家康は1603年(慶長8年)伏見城にて征夷大将軍の宣下を受け足利義満以来の武家政治の首長となり、ここに政権も豊臣から徳川へと移りました。その時の黒田官兵衛の胸中は如何なるものであったであろうか。「天の時、地の利、人の和」が揃って初めて事が成就されると云われますが官兵衛は天の時に恵まれなかった。「天・地・人」の他に官兵衛には類まれなる「智」が備わっていたが故にそれが災いし天は味方せず幸運の女神の前髪を掴めなかったのだ。もしも関ヶ原の合戦が一日で終わらず三ヶ月いやせめて一ヶ月の攻防が続いていれば黒田官兵衛の天下は実現していたかもしれない。秀吉、家康が最も畏怖した智将黒田官兵衛の胸中を思い見るに穏やかならざるものがあったに違いない。胸中に無念さを秘めたままその翌年京都伏見屋敷にてその波乱の生涯を終えた。享年59歳であった。
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黒田官兵衛と長政、太兵衛、又兵衛

2010-02-08 08:44:40 | Weblog
先日、県委嘱企画OABTVの取材を受けた時に「官兵衛の赤合子型兜」をと望まれたので用意しました。左から後藤又兵衛、黒田長政、黒田官兵衛、母里太兵衛の勇姿です。如何ですか?中々のものでしょう。今にも画面から飛び出して来そうな気がします。甲冑は凡そ25キロ位でかなり重いです。これを纏って戦場を駆け回っていたのです。体が頑健でなければやられてしまいます。日頃の鍛錬がものをいいますね。
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黒田官兵衛・竹中半兵衛の物語「軍師の門」

2010-02-06 13:48:11 | Weblog
NHK大河ドラマ「天地人」の原作者火坂雅志先生の著書に「軍師の門」があります。戦国時代を代表する竹中半兵衛と黒田官兵衛二人の名軍師の物語です。豊臣秀吉の天下取りに大きな役割を果たし、敬意をこめて秀吉の軍師「二兵衛」と謳われた両名の友情と息をもつかせぬ展開に必ずや読者は引き入れられることでしょう。火坂雅志先生の渾身の一冊であり全国の黒田武士フアンには必読の傑作です。司馬遼太郎の「播磨灘物語」と双璧をなす著作と言っても過言ではないと思われます。黒田官兵衛を語るとき師とも思い恩人(息子長政の命を助けた)でもある竹中半兵衛は世の中を達観した武将としてもとても魅力のある武将です。是非お読みください。
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