童門冬二講演会6

2008-12-31 13:08:17 | Weblog
市報なかつに先の童門冬二先生の講演会のことが載せられていました。市長はじめ市の幹部の方々が先生の講演を最後までお聞きになり深い感銘を受けられていたので市の広報担当が載せてくださったのだと思います。2階までびっしり聴衆の方々が埋まっているのがよくわかります。今更ながら講演会の盛会が思い出されます。今日で100年に1度といわれる激動の2008年も終わりです。豊前中津国黒田武士顕彰会としても様々な事がありました。来たるべき2009年が皆様にとって素晴らしい年になるように心からご祈念申し上げ1年間当ブログをご支援戴いたことに感謝申し上げます。
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如水井3

2008-12-30 13:55:54 | Weblog
如水井が中津市指定文化財史跡に指定されたときの証書です。何しろ400年以上も前からこの地方の古老により代々言い伝えられてきた如水井です。ロマン豊かに想像するのも歴史を紐解く上において中々興味のあるところです。先日大宰府に行ったときに天満宮の境内に如水公が中津から筑前52万石に転封されたときの仮寓居跡には使用していた如水井がきちんと整備され説明板もあり中津市のとは対応に大きな差があるのに残念に思ったことですが、今後この如水井を整備することは我々豊前国中津黒田武士顕彰会の務めとせねばならないことの一つと思われます。
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如水井2

2008-12-29 11:46:43 | Weblog
如水井の跡に行って来ました。今は平地になっていますが当時は大塚山と呼ばれていた小高い所でしたが如水公が切り開いて仮の館を建てました。今では県道を拡張したとき如水井も歩道の下に埋め立てられてしまいました。井戸側は近くの八社神社に、その下の石組みは中津市歴史資料館に保存されているとのことです。何時の日にかしかるべき所に設置し謂れの説明板を立て市民の皆さんに黒田如水公がこの地に住んでいたということを知っていただけるようにしたいものです。
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如水井 1

2008-12-28 10:38:56 | Weblog
昨日、好天気に誘われて久しぶりに如水井を訪ねました。NHK中津放送局の桝田さん、高椋元教育長、顕彰会の中尾英治さんが一緒です。如水公が中津城を築城するとき出来上がるまで中津城の東にある大塚山に仮の住まいをしていました。その時に使っていたのがこの井戸です。一枚岩をくり貫いて作られており、釣瓶を手で引いた跡が削れて凹んでいます。数年前に道路拡張となったときに埋めて立てられ今は井戸側が近くの八社神社の境内に一時的に保管されていますが説明板もなく淋しそうでした。何時の日にか顕彰会の手で立派な説明板を作りしかるべき所に設置できればと思います。
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石垣原の合戦2

2008-12-27 10:34:54 | Weblog
別府市誌の続きです。石垣原合戦の模様が詳しく述べられています。歴史を紐解いてみるのも必要な時期に来ています。戦国時代のトップの人々が如何に自分の身を処し如何に生きて行ったか歴史は繰り返すものといいますが今の我々に示唆するところ深いものがあります。まかり間違うと当主切腹、お家取り潰し(倒産)でした。この未曾有の不況といわれる現代に生きる我々のヒントがあるのではないかと思われます。世の中の流れを懸命に読み取り自社(自家)の舵取りをしていかなければなりません。
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石垣原の合戦 1

2008-12-26 12:39:40 | Weblog
別府市誌を読む。昭和60年3月発行のもので366頁に石垣原の合戦が詳しく載っている。文禄の役で大友義統が朝鮮の役の不始末で秀吉に領土没収され、身柄が毛利輝元に預けられ幽閉の身となった。そのご秀吉の死去により大友家は東西いずれに組するか大きな岐路に立たされたが結局西軍に付き滅亡への道を歩くことになった。組織の長の判断の難しさが垣間見える。大友義統はもちろん家臣達も同じ運命をたどることになった。今、世の中が100年に1度といわれる恐慌に見舞われているが組織の長は判断を誤ることなく、よく世の中の流れを見据え舵を取らねばならない。皆さん一緒に頑張りましょう。
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同門冬二先生講演会 5

2008-12-23 11:03:24 | Weblog
タウンマガジン最新号に先の「童門冬二講演会」の様子が詳しく載っていた。今でもあの日の感動が蘇ります。多くの中津市民そして大分市や北九州など遠方からも沢山の方がお見えになっていました。童門冬二先生の穏やかな話しぶりに感銘を受けた人も多く先生のお人柄に人生を達観された大人(たいじん)のような雰囲気を感じられた方々もまた多かったのではないでしょうか。その後の記事に「あっ官兵衛」のことも載せていただきました。来年は「黒田武士の里・中津」を大いにアピールしましょう。
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あっ官兵衛

2008-12-22 11:42:20 | Weblog
あっ官兵衛の新バージョンが出来たと広報委員長の中尾堅太郎君から届いた。なんと「あっ官兵衛」君と奥方「幸圓」さんが仲良く登場している。賛否両論はもちろん覚悟の上であるがこれからクリスマスを迎えるにあたりクリスチヤンであった官兵衛公にも相応しいと思えるが如何でしょうか?
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官兵衛巻き

2008-12-17 19:16:41 | Weblog
先日、豊前中津黒田武士顕彰会の集まりがあった時、秀吉の天下統一に唯一従わなかった小田原城の北条氏を降伏させるべく秀吉の使者として単身小田原城に遣いし見事に無血開城させた折持参したのが「糟漬けの魴鮄(ほうぼう)/静岡大学小和田哲男教授著書より」であることから魴鮄を使った創作料理を作ろうということになった。本日会員の新八寿司のご主人が「官兵衛巻き」なるものを作ってお披露目をした。魴鮄の糟漬けを高菜に巻いたものと卵焼きを合わせた物の2種類である。高菜の薄塩加減と糟漬けの魴鮄が程よくマッチして中々の味であった。先日の官兵衛饅頭といい、会員の方々の意欲には本当に頭が下がります。これはまた新しい中津の名物となりそうな感じで希望に胸が膨らむこと限りなしというところで多くの黒田武士フアンの方々に是非味わっていただきたい一品である。
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豊前国中津黒田武士顕彰会の名刺

2008-12-13 12:14:16 | Weblog
本日豊前国中津黒田武士顕彰会の広報担当の中尾堅太郎氏より新しい名刺が届きました。如水公の赤漆塗合子形兜をモチーフにしたゆるキャラ「あっ官兵衛」のロゴマーク入りです。これからはこの名刺を出して大いに豊前中津の黒田武士・戦国時代最強の軍師と謳われた黒田官兵衛公の顕彰をしたいと思っています。何故かこの名刺を財布の中にお守りとして入れておくと良いことが雪崩の如く押し寄せてきそうな気がします。そうです、これは正にラッキー名刺なのです。御利益がどんどん押し寄せてきますように!
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