長岩城址は攻めるに難く、護るに易しというほどの堅い城でした。
断崖絶壁を縄や梯子を伝って、息も絶え絶えになりつつ、幾たびも休憩しながら上って行きました。
眼下には千尋の谷が拡がり、梯子を上る足が震えるのを抑えきれません。
それでも、やっとたどり着いた砲座跡は実に素晴らしいところで、皆、息をのむほどの美しさです。
こんな処に戦の跡があるなんて信じられません。
ここ長岩城址は山城の特徴を残した素晴らしい城跡です。
5月25日(日)の長岩城址探訪には、後藤又兵衛墓碑と籠っていたかまど岩、そして1600年石垣原の合戦のあと、黒田軍が開城させた角牟礼城址(穴太積石垣)、隈城址を訪ね、一つ戸城址、平田城址(栗山利安城代)を巡ります。
昼食には深耶馬渓にて「名物耶馬渓そば」を用意して皆様のご参加をお待ちしています。
大分県教育委員会主催の「大分ふるさと学」が別府市の大分県ニューライフプラザで開催され、「軍師 黒田官兵衛の魅力」についてお話をしてきました。
会場には大河ドラマ軍師官兵衛に興味をもたれている方々の熱気で溢れていました。
やはり、大河ドラマの影響のすごさを目の前にしてとても緊張しましたが、我々が苦心して作った軍師官兵衛の歌と踊りをまず最初にご披露するうちに熱が入り、いつもの調子に戻りましたが、黒田官兵衛公の素晴らしさをお伝えしようと一生懸命でしたので、観客の皆さんにも伝わったのではないかと思いました。
講演が終わって、何人かの方が来られ、次回うちのほうでも講演をと頼まれました。今日の講演は中々良かったようで安心しました。
頼まれれば何処へでも出かけてゆくのが豊前国中津黒田武士顕彰会のモットーですので勿論お受けしました。
黒田武士の研究では第一人者の本山一城先生が来津されました。
先生は黒田官兵衛と竹中半兵衛の血を引かれる方で、戦国時代の時代考証に詳しく特に兜や甲冑、黒田二十四騎の研究など素晴らしい業績を残されています。
このほど我々黒田武士顕彰会が建立した「黒田官兵衛石像」を是非見たいということで、わざわざ長野県からお見えになったのです。(本当はご家族旅行のかたわら寄って下さったのでした、、、、。)
早速中津城黒田の石垣前の官兵衛像までご案内しました。
黒田官兵衛は肖像画は各地にありますが、立体的な像となったのはこの石像が全国初で唯一のものですのでご覧になってとても喜んでいただきました。
黒田二十四騎の標柱にもじっくりご覧頂き、先生の今後のご活躍を祈念してお別れしました。
黒田官兵衛連載17は豪傑後藤又兵衛です。
NHK大河ドラマ軍師官兵衛でも後藤又兵衛が登場して来ました。
後藤又兵衛は人気者だけあって多くの小説や講談等に取りあげられています。
豊臣の大坂城に迎えられ徳川と対峙したとき、家康に高禄で誘われますが、もし徳川方が弱く負けそうであれば行きましょう(真の武士は禄では動きませんよ)と返し、大坂方の負け戦を承知で死んでゆきました。
義を通した潔さや波乱万丈なその生涯が人の心を惹きつけてやまないからではないでしょうか。
中津市片端町に土地の古老の言い伝えで後藤又兵衛屋敷跡があります。
410年前、中津の町を又兵衛が闊歩していたのだと思うと何故か胸がわくわくします。
NHK大分放送の特別番組「大分の官兵衛探訪」の第3回目の放映がありました。
今回の特集は「母里太兵衛」です。意外と母里太兵衛(本当は多兵衛)と中津はゆかりが多いのです。
我々豊前国中津黒田武士顕彰会も「正調黒田節」を踊ったり何かと協力させて頂いたので、その放映を楽しみにしていました。
踊りは何時ものように小野京子先生に振り付けをして頂きましたが、槍と大杯を用いての踊りは自分ながらも誠に格好よく、母里太兵衛に成りきって皆さんとても気分良く踊れたようです。
中津城黒田の石垣の前で私達の手作りの黒田八虎の標柱をバックにしての番組作りでした。
黒田八虎の見守る中、無事撮り終えて良かったです。
レポーターのお嬢さんとても可愛かったです。