京都霊山護国神社 坂本竜馬像

2010-03-31 09:53:49 | Weblog
京都霊山護国神社の坂本竜馬の墓に詣でるとすぐ傍に銅像がありました。遥か彼方、時代の向こうを見据えているかのように立っています。大政奉還の成った二年後、京都近江屋の二階で同志中岡慎太郎と居るところを急襲され刀を抜く間もなく切り殺されたのです。明治維新という激動の時代に真に日本の行く末を案じおのれの信じた道を歩んだ多くの志士達が眠っている霊山寺ですがその中でもひと際存在感のある人物が坂本竜馬であるといっても過言ではないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本竜馬と京都

2010-03-29 08:39:36 | Weblog
京都東山高台寺のすぐ傍に霊山護国神社があり、坂本竜馬の墓があるというので訪ねました。大河ドラマの放映でヒートアップ中だけあって大勢の観光客が訪れていました。明治維新という大きな時代の節目に活躍した大勢の志士たちの墓のなかに竜馬と中岡慎太郎の墓があり、隣接する霊山歴史館には竜馬の生涯や明治維新の荒波の中に揉まれながら歴史に名を残した人々が如何に世の中を変えようと命を賭けて生きぬいて行ったかその様子が見事に再現されています。京都へ行かれたら是非足を向けてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高台院ねねと秀吉と黒田如水

2010-03-28 08:33:01 | Weblog
京都東山の圓徳院(ねねの居住した屋敷)には秀吉の肖像画もありました。隣接する高台寺(秀吉の菩提を弔うためにねねが造った寺)には千利休の意匠による茶席重要文化財の傘亭、時雨亭などがその庭園に溶け込むごとく竹林の静寂とともに良い雰囲気を醸し出しています。この寺の門を幾度か黒田如水はくぐりねねと茶を飲みつつ世間話に興じたのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北政所ねねと黒田如水

2010-03-27 09:38:10 | Weblog
京都東山の地にある圓徳院は秀吉の妻北政所ねね終焉の地です。秀吉の死後、政権が徳川に移って豊臣方の武将は家康に遠慮して訪うこともし難いところ黒田如水のみは上洛の折訪問しては何かと世話をやいたり世間話に興じたようです。それも信長の人質になっていた嫡男幼い長政の面倒を見てくれていたのがこの北政所ねねでしたのでその恩を終生忘れなかったからとおもわれます。ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送りました。院内は庭園や襖絵など見るべきもの多く京都へ行かれたら是非お訪ねになることをお勧めいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)公法要

2010-03-25 14:48:07 | Weblog
黒田官兵衛(如水)公の法要の記事が大分合同新聞に載りました。小野会長が官兵衛公の御影の御前に深く頭を垂れ在りし日の御姿を偲んでいます。「豊前国中津黒田武士顕彰会の皆さんにはいつも何かと気にかけて頂き嬉しい限りである。これからも黒田武士のことを後世に伝えてくだされ。よろしく頼むぞ!」どこからか官兵衛公の声が聞こえてきたような気がしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)公法要in西蓮寺

2010-03-24 08:04:20 | Weblog
黒田官兵衛(如水)公の法要も無事に終えることができました。中津市寺町西蓮寺本堂の正面にお招きした黒田官兵衛公の肖像も何かしらお喜びになっているようでした。これからいよいよ黒田官兵衛公がNHK大河ドラマへ登場する日を皆様と一緒に「天の時(時は官兵衛公の登場を待っている)、地の利(官兵衛公縁りの地が大いに盛り上がること)、人の和(各地の官兵衛(如水)公を顕彰する会をはじめ敬う人々の和がいよいよ強くなること)」の三徳でもって叶いますように祈りましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田如水公法要と中津大津絵音頭

2010-03-23 08:29:33 | Weblog

黒田如水公の法要に中津大津絵音頭保存会の川上正子会長の社中と小美の会小野京子主宰も参加していただきました。
「時は天正夏の頃 中津の城主黒田候は ハ ソウジャソウジャ 扇の城を築かんと 大工、左官や石工をば はるばると姫路より 春夏秋冬としを経て 築き上げたるその祝い~」
昔から歌い続けてこられた歌に中津城築城と姫路の歴史が語られています。
小生が作詞作曲した「豊前中津の黒田武士の歌」を浦橋さんに歌っていただきましたが小野京子先生にはこの歌に振り付けをしていただけることになりました。とても楽しみです。
この歌は歌詞と歌曲が「あ!官兵衛」のホームページに紹介されていますのでどうかご覧ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田如水法要と黒田武士の舞

2010-03-22 08:47:30 | Weblog
黒田如水406回忌の法要が中津市寺町西蓮寺さんにて営まれましたが我々豊前国中津黒田武士顕彰会では中尾英治、熊谷大輔両君の中津黒田武士の舞で花を添えました。この舞が由緒あるお寺の本堂でご披露されたことは初めてのことでしたが荘厳なる背景に負けることなく立派に奉納の大役を果たしてくれました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)と中津西蓮寺

2010-03-21 08:22:49 | Weblog
中津西蓮寺さんの第20代黒田義照住職は音楽を愛するとても温厚な方でお経の声も心にずんと響いてきました。法話の中にあった播州の徳栄寺さんと400年ぶりに縁ができたことも元を質せば姫路の顕彰会の神澤、新福さんの来津の折ご案内したことからでありとても嬉しい限りである。各地の顕彰会の皆様との交流のなかに新しく歴史が発見されそれが基となって縁ができることはとても素晴らしいことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)公406回忌

2010-03-20 11:26:05 | Weblog
今日3月20日は黒田官兵衛(如水)公の命日であり、406回忌です。天下分け目の関ヶ原の合戦の武功で筑前52万石を賜り中津から福岡へ転封されてまもなく1604年の今日(旧暦)京都伏見の黒田屋敷で歴史に名を残したその偉大なる生涯を終えました。法号は「龍光院殿如水円清居士」。京都大徳寺の塔頭龍光院は長政公が父如水公の菩提を弔うために建立しました。中津に於いては黒田如水所縁の寺町西蓮寺さんにて当顕彰会と中津大津絵音頭保存会の川上社中の皆さんが参集し厳かに法要が営まれました。ここは黒田如水公の弟黒田市兵衛が如水公と共に播州姫路徳栄寺から当地へお出でになりこの寺を開基されました。住職は20代目の黒田義照氏でご法話に姫路からの歴史を語っていただき心が震えるような感動を覚えました。その後中津大津絵音頭、豊前中津の黒田武士の舞、豊前中津の黒田武士の歌を奉納し無事に法要を終えることが出来ました。今日は姫路、福岡でも同じく法要が営まれ泉下の如水公もさぞお喜びになっていらっしゃることと思います。どうか全国の黒田武士フアンの皆様在りし日の戦国武将・秀吉に天下を取らせた名軍師黒田官兵衛(如水)公を偲びつつひとときを黙祷、献杯されんことをお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする