あ!官兵衛in広島

2011-01-31 08:58:19 | Weblog

天皇杯争奪全国都道府県対抗駅伝大会会場でのあ!官兵衛くんです。その存在感たるや他を圧倒していました。あまりの可愛いさで子供さん達がひっきりなしにまとわりついては記念写真をせがんでいました。ばっちり「黒田官兵衛を大河ドラマへ」と幟も目立っていました。

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福岡城の雄姿再び!

2011-01-30 18:03:17 | Weblog

福岡城市民の会さんより平成23年新年号「福岡城だより」が届いた。福岡城は舞鶴城とよばれ黒田藩主黒田長政により築城され江戸時代260年ものあいだ福岡藩住民の親しまれてきました。今、福岡県民の皆さんの意識のなかに福岡城の再建が強く望まれているとのことです。やはり城下町にはお城があるほうが良い。特に福岡城跡は桜の名所となっているほど見事な桜並木が市民の方々や多くの観光客に心の安らぎを与えています。姫路城を例に出すまでもなく見事な桜の背景には舞鶴城の雄姿が相応しい。博多祇園やどんたくも有名ですが日常見れるものではない。福岡に行ったらいつでも福岡の印象が残るものが欲しいですね。そのためにも福岡舞鶴城の一日も早い再建が望まれます。

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全国都道府県駅伝競走大会に「あ!官兵衛」参上!!

2011-01-29 08:02:16 | Weblog
広島市で開催された第16回天皇杯争奪全国都道府県対抗駅伝大会に初参加した「あ!官兵衛」君の勇姿が新聞に掲載されました。NHKや民放TVでもスタート付近で愛嬌良く「がんばれ大分県」ののぼりを立てて大分県チームを応援している姿が全国に放映されはるか大分の地にも流れてきました。中々存在感のある頼もしいあ!官兵衛でしたね。当会の中尾英治広報担当は各県人会は郷土のチームを応援すると共に郷土料理や物産品をずらりと並べ宣伝合戦がすごく、来年はぜひ「中津のから揚げ」をブースで紹介したいとの感想です。日本全国何処へでも出かけて行くわれ等が「あ!官兵衛」くんは「黒田官兵衛を大河ドラマへ」と大いに頑張っているのです。
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あ!官兵衛 広島へ いざ出陣!!

2011-01-22 12:38:14 | Weblog
この23日(日)、第16回天皇杯争奪全国都道府県対抗男子駅伝競走大会が広島で催される。広島といえば関ヶ原の合戦後福島正則が49万石を家康から拝領し入封した地である。1596年(文禄5年)黒田家が中津藩主の時代、黒田家重臣の母里太兵衛が伏見城下の福島家屋敷にて宴席の折、強要された大杯の酒を飲み干し福島家家宝の名槍日本号を飲み取ったことから生まれた民謡黒田節であるがその福島公の地で催される駅伝競走の大会にこのほどあ!官兵衛が大分県チームの応援に駆けつけることになった。小野会長の指示で「がんばれ大分県」ののぼりを作り応援団(黒田武士顕彰会より4名のゆるきゃら隊)を編成し大会にはせ参じることになった。その記事が大分合同新聞に大きく掲載されたので多くの県民の皆さんにもあ!官兵衛と「黒田官兵衛(如水)を大河ドラマへ」なる黒田武士顕彰会の活動がが大いにアピールできたので当日はTVでの応援も一段と熱が入ることでしょう。全国の黒田武士フアンの皆さん、23日の駅伝大会のNHKTV放送を是非見てください。そこであ!官兵衛君がチラッとでも画面に見えたらそちらも応援よろしく。
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大分麦焼酎 by 豊前国中津黒田武士顕彰会

2011-01-20 08:24:41 | Weblog
大分といえば麦焼酎が有名である。口当たりが爽やかで本当に飲みやすいのです。ということでこのほど豊前国中津黒田武士顕彰会では焼酎を出そうという機運が盛り上がってきた。居酒屋やスナックでこの焼酎がずらりと棚に並んだ光景を夢に見ています。それが多くの人々の目に触れると「ありゃなんじゃ」と話題に花が咲くのはもちろん酔客同士が昵懇となり「黒田官兵衛(如水)を大河ドラマへ」の意識も高まるというものです。デザインは決まりましたがネーミングが未だ決まっていません。広く皆様方にネーミングのお願いができれば嬉しい限りです。このブログをご覧の方にももし良かったら素敵な名前をお願いしたいとおもいます。このブログのコメントか顕彰会(FAX0979-24-0222)までお名前と連絡先を。後日完成し世に出ることになればほやほやを5名様にプレゼントいたしますのでよろしくお願いいたします。
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姫路城平成の大修理

2011-01-18 08:41:48 | Weblog
姫路城の大修理が始まっている。白鷺城とも言われ日本のお城の中でも最も美しい城の一つである。播磨の黒田武士顕彰会の皆様と縁を戴いて何度か訪れ天守閣も汗かきながら登ったのも懐かしい思い出だ。今は城内に入れないがシースルーエレベーターで城の外側から眼の前近く見れるのが嬉しい。城内から見えない瓦や城壁の美しさが見れるというのが観光客には受けるのではないでしょうか。多くの予約が来ているという。(昨年の新聞記事なので今春からできる見学の予約は始まっています。)何と言っても姫路は城でもっているので如何なる方法でもお城が見れるのはありがたいことです。
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大河ドラマ「江~姫たちの戦国」 茶々(淀君)

2011-01-16 08:07:44 | Weblog
小谷城主浅井長政と信長の妹お市の方の娘たち三姉妹の長女「茶々」は長じて豊臣秀吉の側室となり淀君とよばれ世継ぎ秀頼を生んだことから天下の動乱に巻き込まれその波乱の運命をたどることになる。その生涯を慮るに父浅井長政を伯父信長に滅ぼされた浅井三姉妹は再婚した母お市の方とともに柴田勝家のもとに引き取られる。その柴田勝家も秀吉との権力闘争に破れ滅ぼされて母お市の方は自刃、城から助け出された三姉妹のうち長女の茶々は秀吉に引き取られ側室となり淀君とよばれ世継ぎ秀頼を生む。その後自身は我が子秀頼とともに大阪夏の陣で三姉妹の末妹お江が嫁いだ徳川二代将軍徳川秀忠に滅ぼされその生涯を終えた。お互い天下人に愛された姉妹二人であったが正反対の運命という非情な結果となった。戦国時代のならいとはいえ姫君として生まれてきたその運命は時代の荒波に翻弄されるのが常であった。
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NHK大河ドラマの経済効果

2011-01-14 08:25:30 | Weblog
ふと手に取った冊子に歴代のNHK大河ドラマのご当地経済効果一覧表が出ていた。さすがに昨年度の「龍馬伝」は幕末時代に数多いる人材の中で唯一国の将来の姿を見通し且つ憂え、大げさに言えば日本国が欧米の侵略を受けずに独立国としての現在の姿を現出させた恩人というほどの活躍が日本国中の人々を熱狂させたことも相俟ってその経済効果はその他の年度のものとは桁違いとなっている。小生も昨春高知市へ行った時に当時は200億円といわれていた経済効果が最終的には400億円を超えたとのことである。高知だけでなく鹿児島、長崎、下関、京都、東京などゆかりの地はみな多くの観光客で溢れていた。NHK大河ドラマはそれだけの魅力ある人物が素晴らしい脚本により一大フィーバーを起こしているのだ。大河ドラマにはその人物の素晴らしい人間像や生涯を知ることができ、ゆかりの土地を訪ねることによりその息吹を身近に感じることができるのであろう。その意味でも一日も早く我が「黒田官兵衛(如水)」公の登場が待たれるところである。
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「江~姫たちの戦国」 お市の方

2011-01-12 08:05:42 | Weblog
お江の父は浅井長政。母は有名なお市の方である。織田信長の妹で戦国一の美女と賞され男達の憧れの的であった。父は織田信秀、母の名は不明。長兄信長を筆頭に兄弟姉妹は18名という。天下布武を掲げ天下統一を目指す信長の妹なるがゆえにその運命も戦国の世の荒波に翻弄されることになる。
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NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」始まる

2011-01-10 08:15:27 | Weblog
昨日より平成23年度のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が始まった。戦国時代の荒波に翻弄されたお江の一生は丁度黒田官兵衛(如水)の生きた時代と重なり官兵衛となじみのある武将や人物も多く登場し、これからのドラマの展開が楽しみである。第一話はお江の生誕から父浅井長政が母の兄織田信長により滅ぼされ自刃、そして三人の姫を連れた母お市の方が夫の小谷城落城により兄信長の元へ引き取られていく悲しい場面であった。小谷城主浅井長政は領民に慕われた名領主であったが古くからの盟友越前朝倉義景が織田信長に敵対したためにやむなく朝倉方に味方し義兄織田信長に滅ぼされた。お江の運命は生誕日よりすでに波乱の様相をていしていた。政略結婚で織田家から嫁いできたお市と浅井家の棟梁長政であったが夫婦仲はすこぶる良かったという。ゆえに一層悲しみが深い。写真はお江の父浅井長政像(高野山持明院蔵)。
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