黒田官兵衛(如水)公命日 Ⅵ 如水幼より大志ありて~

2011-03-30 07:56:46 | Weblog

 

如水幼より大志ありて、信長公に仕え忠を尽くし、信長公薨じ給ひて、豊臣秀吉公を助けて天下を平らげ、後に源大君に忠を尽くし、九州を平らげ、世に類なき功業を立給へり。平生の武略戦功挙げて数へがたし。智勇兼備り、大力人に過たる故、其功名世を蓋へり。武勇大に人に勝れたりといへども、智略を好み、人を殺す事を好まず。毎毎和議を以、敵を降参せしめ、人の軍を全うして、人の命を助くる事、毎度其数をしらず。然れば如水は智仁勇の三徳共に備はりたる人傑なるべし。

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黒田官兵衛(如水)公命日 Ⅴ 然れば國の政は~

2011-03-28 10:04:54 | Weblog

然れば國の政は、汝心を用ひ勤むべし、若國家の大事あらば、我にたづねとふべし。然らずば國の政、何事も我あづかり聞べからず。我今の生涯は、一身の安楽より外、何の望もこれなし。金銀も用なければ、土石のごとくおもふなり。又人に用られ、誉を得んと思ふ心もなし。奇麗なる家作、衣服等も無用なり。朝夕の食美味を用ゆべからず。只飢えず寒からずして、身を養ひ、心を楽しむべし。とぞのたまひける。

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黒田官兵衛(如水)公命日 Ⅳ 或時如水長政に~

2011-03-26 15:46:14 | Weblog

或時如水長政に語り給けるは、家康公関ヶ原の一戦に若打負たまはば、天下又乱世となるべし。然らば我九州を打したがへ、其勢を以、中国を平らげて、上方へ攻上り、家康公秀忠公を助け、逆徒をほろぼし、天下を一統して、忠義をつくさんと思ひしなり。然れ共、家康公関ヶ原の戦に、御運を開かせ給ひ、今天下太平になりしかば、我世において別につとめなし。今より後は、只いとまある身に成て、しづかに余年を楽しむべし。

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黒田官兵衛(如水)公命日 Ⅲ 如水の遺骸は~

2011-03-24 08:14:30 | Weblog

如水の遺骸は那珂郡十里松の内崇福寺に葬る、龍光院と号す。京都大徳寺内にも一院を建立し、龍光院と号し如水の位牌を安置せり。

崇福寺初は大宰府に近き横岳といふ所に在しを、長政ここに移し給ふ。故に横岳山と号す。

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黒田官兵衛(如水)公命日 Ⅱ 如水病中に~

2011-03-22 08:22:04 | Weblog

如水病中に辞世の歌を詠じ給へり。

 おもひおく言の葉なくてつひに行く 道はまよはじなるにまかせて

 此歌、自短冊に書て名を記し、判取を加へらる。

 

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黒田官兵衛(如水)公命日 今日3月20日は~

2011-03-20 08:55:08 | Weblog

今日3月20日は黒田官兵衛(如水)公の407回目の命日です。

黒田家譜に「三月如水病に臥したまふ。かねて長政に告ていはく、我が死期来る二十日の辰の刻ならん。我死なば葬禮を厚くすべからず、又佛事を専とすべからず、只國を治め民を安ずる事、我が好む志なれば、是を以死後の孝養とすべしとぞのたまひける。長政父の病を憂へ、湯薬をもみづから試みて、孝養を盡し給へども醫療驗なくして、終に三月二十日辰の刻に身まかり給ふ。

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東日本大震災

2011-03-13 07:21:18 | Weblog

100年に1度といわれる東北関東大震災が起きました。戦国時代の地震としては1592年(黒田官兵衛/如水が中津城主の時)の慶長伏見地震があります。当時国内最大の豪華絢爛たる豊臣秀吉自慢の伏見城が築城されましたが完成2年後に地震で倒壊しました。相当大きな地震だったようです。

日本国での観測史上最大の地震ということで連日報道されています。被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。

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中津城人間雛飾りと黒田武士

2011-03-11 08:27:36 | Weblog

先日の中津おひなまつりの一環として中津城で人間雛飾りが催された。

そのお祝いに豊前中津の黒田武士の舞をご披露することになった。当日は快晴の空の下、中津城と人間雛飾りをバックに見事に豊前国

中津黒田武士の舞いを当顕彰会の殿畑、中尾、熊谷の三者でお勤めした。中津城もひと時の騒動より落ち着いてきました。観光客も多く

なり今後の中津のシンボルとしての存在に期待しましょう。

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「あ!官兵衛飴」新登場

2011-03-09 08:42:18 | Weblog

当豊前国中津黒田武士顕彰会企画担当の中尾君が「あ!官兵衛飴」を作った。何処から切ってもあ!官兵衛が出てくる金太郎飴だ。よくぞこんな複雑な絵柄を飴に出来るものだと感心した。パッケージも可愛いので多くの皆さんに可愛がって欲しいと思います。

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豊前国下毛郡 長岩城址

2011-03-07 08:23:35 | Weblog

このほど豊前国下毛郡長岩城址(中津市耶馬渓町)が大分県の県指定文化財に指定された。宇都宮氏の流れを組む野仲氏の居城で黒田家が豊前中津に入封後、宇都宮氏一族が黒田に反抗したために同調し栗山四郎右衛門の黒田軍と戦闘の後滅ぼされた。以前長岩城址を石塁や石積みの重厚な城壁を傍に見ながら本丸跡まで登ったことがあるが中世の山城としては他に類を見ないほどの素晴らしい城址であった。平たい石を幾重にも重ねそれが山頂の本丸まで続いて行くさまは本当に見事というほかはありません。一見の価値がありますので是非皆さん一度見学されることをお勧めいたします。

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