黒田官兵衛桜狩り

2014-03-30 07:56:10 | Weblog

黒田官兵衛が求菩提山(豊前市)を訪れ、桜狩りをした故事にちなんで、私達も中津城北側官兵衛石像前で桜狩りをしました。

あいにくの小雨模様の空の下でしたが、多くの観光客の皆さんにお茶のお手前と中津名物はも汁をサービスし、我々も「正調黒田武士」と「軍師官兵衛」をご披露しました。

室内で踊るのと違って、お城の前で踊るのはとても気分が良かったです。

お客様にも大満足されたことと思います。

 

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後藤又兵衛手彫りの手水鉢

2014-03-29 07:55:43 | Weblog

福岡県築上町の正光寺に後藤又兵衛手彫りの手水鉢というものがあります。

伝説では黒田軍が宇都宮氏を攻めた時に、ひととき捕らえられ、この寺に暮らしていた時に手慰みで彫ったそうです。

さて、真偽は不明ですが豪傑だけあって又兵衛伝説は各地に残っています。

 

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軍師官兵衛誕生秘話と中津青年会議所

2014-03-26 07:44:45 | Weblog

中津青年会議所公開例会にパネリストとして招かれました。

私の持分としての演題は重々しく「軍師官兵衛誕生秘話」なるもので、我々豊前国中津黒田武士顕彰会が足掛け9年に亘り、「初代中津城主黒田官兵衛を大河ドラマへ」と活動してきた軌跡をお話しました。

中津にはこんな宝物がありますよ、皆さん気付いて欲しいと始めた9年前のことを思い出すと感慨深いものがあります。

播磨の黒田武士顕彰会の皆さんとの連携があったことで、我々の活動も今日まで続いたとも言えます。

継続は力なりといわれていますが、継続するためにはその人物が惚れ込むほどに素晴らしく、また推進する側も共に目的意識を持って突き進む強い意志力がなくてはなりません。

豊前国中津黒田武士顕彰会が小野会長を先頭に今まで活動出来たのは正に意気に感じる「中津のさむらい」が惚れ込んだ黒田官兵衛公を世に出すべく頑張ったからでもあります。

 

 

 

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黒田官兵衛と後藤又兵衛屋敷跡In中津

2014-03-24 08:06:55 | Weblog

中津城西御門の近く、片端町の一角に後藤又兵衛屋敷跡があります。

後藤又兵衛は言わずと知れた黒田二十四騎の中でも、さらに勇猛果敢な黒田八虎の一人に数えられる有名な豪傑です。

その屋敷跡は、昔から古老の言い伝えがあり、御木屋(おこや)通りあたりです。

モラロジーの提唱者広池千九郎先生の著書「中津歴史」にその記述を発見しましたので、このほど豊前国中津黒田武士顕彰会でその標柱を建てる事にしました。

全て顕彰会員の手作りというのが微笑ましいところです。

中津には官兵衛ゆかりのものが少なく、全国からお見えになる観光客の皆さんに喜んで戴ければ嬉しく思います。

 

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黒田官兵衛公 411年遠忌法要崇福寺 2

2014-03-22 07:58:53 | Weblog

小雨のぱらつく中、バスは太宰府に着き、宝物殿に寄りました。ここには黒田官兵衛の肖像画や書状などが展示されています。

その後、官兵衛が暫らく草庵を結び暮らしていた旧居そばの如水井戸を見学し、福岡市の崇福寺に向かいました。

崇福寺では藤香会の皆さんがお迎えくださり、官兵衛公のお墓の前で法要が始まりました。

まずキリスト教式でのお祈り、そして仏式ではお経という法要です。

このように二つの教義で法要が執り行われるのは珍しいそうです。

法要のあと柳生新陰流兵法、黒田藩砲術抱え大筒、神田紅さんの講談「黒田官兵衛」がご披露されました。

官兵衛公がNHK大河ドラマになって注目度も高く、法要にも多くの市民の皆さんがお参りにこられていましたが、泉下の官兵衛公もさぞかしお喜びになっていることでしょう。

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黒田官兵衛公 411年遠忌法要 in 福岡崇福寺

2014-03-20 06:44:12 | Weblog

今日、3月20日は初代中津城主黒田官兵衛公の命日です。

1604年のこの日、京都黒田屋敷にてご逝去されました。まさに巨星落つという感じではなかったでしょうか。

葬儀には徳川家はじめ各家からの弔問も多かったそうです。

本日、黒田官兵衛公の菩提寺である福岡市の崇福寺にて411年遠忌法要が執り行われます。

官兵衛公はキリシタンでしたので本日は仏式とキリスト教式で法要が行われるようです。

我々豊前国中津黒田武士顕彰会もバス1台を仕立てて参列します。

全国の黒田武士フアンの皆様、どうかひと時でも戦国時代の名軍師黒田官兵衛公を偲んで、献杯して戴ければと存じます。

それでは今から行ってまいります。

 

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NHK歴史秘話ヒストリアと黒田官兵衛 城井谷2 三丁弓の岩

2014-03-19 07:39:20 | Weblog

NHK歴史秘話ヒストリアの取材班を福岡県築上町の宇都宮氏の詰城である「城井の上城跡」をご案内していると、福岡県の観光課の撮影班の皆さんがゆるキャらさんと一緒に来ていました。

三丁弓の岩(この崖から三張の弓射手のみで下の道を通る軍勢をくい止められると言う難所)の下で撮影して帰ろうとしていたので、その奥の「城井の上城表門跡」まで行くと良いよとアドバイスしましたら、ご存じなかったみたいで一緒にご案内して、とても喜ばれました。

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NHK歴史秘話ヒストリアと黒田官兵衛 城井谷 城井の上城表門跡

2014-03-17 08:34:51 | Weblog

NHK歴史秘話ヒストリアさんが再来津しました。

今回は赤壁合元寺と城井谷の取材及び撮影です。

久しぶりに城井谷を訪ねましたが、未だ雪の消え残っている野山もあり、宇都宮鎮房が籠っていた詰城である「城井の上城/きいのこうじょう」は麓より5度Cも気温が低く、この地に籠り不安な日々を過ごしていた一族や民を思いました。

420年前の殺るか、殺られるかの戦国時代に生まれた人々の運命は、今の平和な時代に生きている我々の思いも及ばない世界なのです。

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黒田官兵衛(如水)連載 16 桜狩り

2014-03-14 07:42:35 | Weblog

黒田官兵衛は豊前国六郡を拝領し、12万3千石の領主となって間もなく求菩提山を訪れている。

求菩提山には修験道の山伏達が住み着き、厳しい修行を行う傍ら、各地に足を運lんでいた。

官兵衛はその山伏達の情報力を重要視していたようで、度々この山を訪れています。

官兵衛が求菩提山に上り桜狩りをした時の和歌が求菩提山資料館に残されています。

  山深く分け入る花のかつ散りて春の名残りのけふのゆふ暮

そろそろ桜の花の頃です。

官兵衛に倣って桜狩りを計画中です。

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NHK大河ドラマ軍師官兵衛放映感想

2014-03-11 17:02:26 | Weblog

大分合同新聞読者の声にNHK大河ドラマ軍師官兵衛を見て、官兵衛の人柄にふれとても感激したとの宇佐市の時枝様の投書が載っていました。

とても嬉しかったので、ご紹介しました。

まだまだ皆さんの知らない人間としての官兵衛、武将としての官兵衛がこれから随所に見ることが出来ます。

皆さんとドラマの展開を大いに楽しみましょう。

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