豊前中津の女黒田武士

2007-04-30 17:26:23 | Weblog
今日はふじまつりの二日目です。我がクラブの主催なので頑張りました。ご祝儀舞を「豊前中津の女黒田武士」留め袖の衣装が青空に映え素晴らしい出来で大喝采を浴びました。博多どんたくもこの調子で頑張ろう。


中津みなとふじまつりと黒田武士

2007-04-29 18:46:12 | Weblog
今日は我が中津沖代ライオンズクラブ主催の第6回中津みなとふじまつりで1日世話係担当ですが満開の藤の花房の中をオープニングのご祝儀舞で豊前中津の黒田武士の舞を披露しました。もちろん中津における黒田武士の活躍を一通り説明し会場の市民の皆さんに中津の黒田武士がより身近に感じていただけたようです。快晴の空の下すごい人数の来場で気分も最高でした。このまつりは我がクラブが単独で開催する中津市の初夏の風物詩で17基の藤棚に藤の花が今を盛りと咲き誇り、藤棚に沿って会員の手作りの屋台が列を成して並びます。夜8時頃には花火が打ち上げられ一日目のフィナーレです。明日も良い天気になーれ。

軍師

2007-04-28 11:25:48 | Weblog
昨日の新聞記事に再来年のNHK大河ドラマは上杉景勝の軍師直江兼続に決定とあった。日本の戦国武将において名軍師といわれるのは山本勘助と黒田官兵衛が双璧であろう。特に黒田官兵衛は信長、秀吉、家康という天下人に相まみえていた数少ない武将であり、軍師としては秀吉の名参謀として天下にその名を轟かし、それらの武将の合戦や生涯に多くの影響を与えている。その上、その名は戦国時代の歴史上の有名な合戦には必ず記され、軍師としての采配の妙は多くの人々に喧伝され、NHK「その時歴史は動いた」でも取り上げられたようにその人望も厚くひそかに天下を狙えるほどの器量を持っていた。また黒田藩の重臣母里太兵衛の名槍「日本号」呑み取りで有名な「酒は呑め呑め呑むならば~」の黒田節は酒席では定番になるほど黒田武士に関する諸々のエピソードは豪快さ、豊かさに於いてこのうえないものであり、他に比類なきものである。まさしく大河ドラマには最も相応しく人口に膾炙した合戦には手に汗握る画面が次々に展開されるに違いない。一日も早く待望の黒田官兵衛を主役にした物語の製作を望むものであります。多分、NHKさんはレッドソックス松坂大輔のように満を持しての登板を予定しているのではないかと思われる。軍師としてはその次に竹中半兵衛あって直江兼続、島左近、真田幸村、小早川隆景らが続く。中国最高の軍師は誰と思われますか?そうです、かの三国志で有名な劉備玄徳の軍師諸葛孔明(写真)です。しかし、我等が黒田如水はこの諸葛孔明に勝るとも劣らない軍師であると人は言うらん。戦国時代にその名を残した武将には運命的な邂逅による名軍師の存在なしでは語ることはできない。組織の長たる者は名参謀との巡り合いがあるかないかでその組織の命運が分かれる。もちろん名参謀を使いこなせるだけの熱い使命感と武将としての器量がなければならないのは言うまでもないが、、、。日々己を高めるべく励みましょう。


済州島

2007-04-27 20:32:35 | Weblog
実は親しい友人がこのほど退職されたので、仲間内で記念に旅行して慰労しようということになり済州島に行って来ました。気候が温暖、空気が澄んで良い所です。キムチが美味しくてつい食べすぎました。元こうのころ蒙古民族に占領されていたそうで、その影響であちこちに牧場があり多くの馬が悠々と放牧されていました。秀吉の朝鮮出兵の時は本土に上陸したのでここは無事でした。焼き肉美味しかったです。


黒田武士竹森新右衛門

2007-04-24 11:46:22 | Weblog
面白い話がある。黒田が近江から備前福岡、姫路へと流浪してきたころ、如水の祖父重隆一家は大百姓の竹森新右衛門の農奴の空家を借りて住み、わずかに一振の太刀と一領の甲冑を持つのみというほど零落していた。しかし、日々、黒田家は食うや食わずの中でも古典の素養に励んだり、立ち居振る舞いが高貴な品性を漂わせていたのをみて、只者ではないと感じ、新右衛門は自家の行く末を黒田に託すことにした。なんと、母屋を重隆父子に明け渡し、竹森一家は農奴の空家に移り、重隆の家来になったのだ。ある日、重隆は夢のお告げを受け、廣峯大神宮の祈祷札につける目薬(黒田家家伝)を創ったことにより大きな財を成しその身代はますます大きくなっていった。竹森新右衛門の人を見る目は確かで重隆、職隆(もとたか)、孝高(よしたか:如水のこと)と代々家来は増えていき、黒田は小寺家の家老までになった。竹森新右衛門の子孫は黒田に尽くし幾たびの合戦にも手柄を立て後に黒田が筑前52万石の太守となった時三千石の重臣に取り立てられている。なぜかしら竹森新右衛門に男を感じてしまうのです。新右衛門はすごい。自分なら大百姓でそこそこの暮らしのできている目の前の小さな利得しか見えずましてや母屋を譲り農奴の住むような部屋に自分の家族共々移るなど考え付かない。人間は何時の世にも謙虚に学び、品格を磨き、厳然たる姿勢を保ちつつ生きていれば誰かが見ているのです。

福岡城歴史市民の会3

2007-04-23 12:19:07 | Weblog
福岡城歴史市民の会のツアーは福岡から来られるだけに少しハードな行程になると会の野田さんはおっしゃつていました。先日電話でのお話やお送りした資料に次回は如水原や長久寺を訪ねたいとのこと。その時は上如水町の官兵衛会の方々にお願いできればと思っています。官兵衛会のお話では如水が兵の訓練をした如水原の地には如水軍に協力(助けた)した(助部:すけぶ)というような関係から如水から戴いた「陣太鼓」「太刀」「槍」が伝わっていたそうです。そのうち太刀と槍は行方不明、陣太鼓は地元の中津工業高校が甲子園に出場した時にもって行き大いにその音を甲子園で轟かしたそうです。ただ残念なことに雨の中、力の強い高校生が力任せに敲いたので皮が破れ張り替えたそうです。そのほか官兵衛会の方々には黒田に関するいろんなすごい情報を持っていそうです。そのうち、お酒をたらふく飲んで戴き酔ったところで少しずつ秘蔵の話を聞こうと思っています。でもね、いくら飲んでも酔わなかったらどうしょう?


福岡城歴史市民の会2

2007-04-22 10:22:50 | Weblog
福岡城歴史市民の会の方々をご案内しました。黒田如水、長政公はその生涯を知るにつけても素晴らしい人格と器量を持って戦国時代を生き抜いた武将でありました。ただ一つの黒田藩にとってあまり触れたくないのが、ここ中津での宇都宮氏の誘殺です。赤壁の合元寺の変がまことしやかに伝承されているので(何度壁を塗り替えても血が滲んできて壁が赤く変色するなど常識では考えられないのですが、残念ながら中津市の観光の目玉になっている)福岡の方は少し気にされていられるようです。私ども中津黒田武士の会としては戦国時代秀吉の下知(命令)は有無を言わせない厳命ゆえ、従わざるを得ないものであったと歴史を学ぶものには理解できるのでそのことを広く市民の皆さんに啓蒙していかなければならないと思うのです。そもそも九州征伐時に宇都宮氏が秀吉に従わず日和見をし、後、今治転封の朱印状(命令)を拒否したことから、秀吉は如水をわざわざ宇都宮氏の領地である豊前に入封させ、宇都宮氏を討てと出した下知であったと私には思えるのです。山之内一豊は土佐24万石を家康からもらい土佐に入封したが長宗我部の旧家臣(郷士)を相撲大会といって集め皆殺しにした。入封するとは有無を言わさずその地を平定することで、押さえ切れなければ熊本の佐々成政のように切腹させられるのが戦国時代の慣わしでした)如水は信長、秀吉、家康には約束を反故にされたり、ひどい仕打ちを受けたにもかかわらず誠実に仕えてきた。(信長ー伊丹長岡城で捕らえられたのを寝返ったと誤解され人質の息子長政の首を刎ねよと竹中半兵衛に命令した。秀吉ー信長に仕えていたとき如水と生涯兄弟の約束をしどんなときも助け合おうと言った。家康ー関が原の前、切り取ったほど領地を進呈すると約束した)しかし自分は一度も裏切ったり背いたりしていない。人間としては先の3人よりよほど優れていた。中津は如水が丸山の地に中津城を築いたから城下町として発展し、今の繁栄があるのだ。いわば恩人なのです。もっと顕彰していくのが中津市民としての勤めだと思います。(写真は右上手前、斜めのものが黒田の石垣その左横は細川の石垣)


福岡城歴史市民の会来る

2007-04-21 14:50:11 | Weblog
本日お昼頃、福岡城歴史市民の会の方々50名ほどが中津城に来られた。岡部先生、野田先生とも1年ぶりの再会である。耶馬溪一つ戸城址、平田城址を回られて中津城へ。官兵衛会の方々も明日投票日で選挙カーに同乗し連呼しなければならない中を時間を割いて駆けつけてくれたのには福岡の方々も感激していただいた様子。お城では穴太積みの黒田の石垣の説明を受け、加来歯科さんの庭に案内し首供養塚をみて帰られた。皆さんメモを取ったり写真を撮ったりでとても熱心でした。栗山堂(黒田藩筆頭家老栗山備後守利安のご子孫)のういろうもたくさんお土産に買っていただき中津の良い宣伝になったことと思う。こうして黒田を縁りとする方々と戦国時代の智将黒田如水、長政はじめ黒田の猛将達の話が弾むことにこの上ない喜びを感じるものです。5月3日、博多どんたくでまたお会いしましょう。

閑話休題6

2007-04-20 10:53:45 | Weblog
今日は嬉しいお知らせ。弊社のイオン三光店ジュエリー「ラフルール」が新装オープンしました。みんなの頑張りのお陰でなかなか良い店が出来たので、朝礼では少しウルルンとしました。この店はチームワークはすごいし、店長を初めオーラが限りなく発散されています。黒田武士とジュエリーは何か接点はありそうにないのですが、如水が家臣を大切にし、働きやすいように心配りをしたことは今の世においてもとても学ぶべき大事なことと思えるのです。