あっ官兵衛2

2008-10-30 12:08:38 | Weblog
「あっ官兵衛」の第2弾の初お披露目です。如水の兜のゆるきゃらをビーズで創作した優れものです。これを襟に付けて黒田官兵衛をアピールしていこうというわけです。如何ですか?中々良い出来上がりでしょう。今の世の中は難しい顔をして官兵衛を語ることも大事ですが、まず第一に官兵衛を知っていただくこと。そしてその人物が戦国時代に天下をも伺うほど如何に素晴らしい武将であったかに興味を持っていただき更に中津や姫路、福岡等との関わりを知っていただくのが黒田如水という戦国時代の名軍師を顕彰するために大事なことだと思うのです。
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黒田長政と二十四騎展2

2008-10-29 11:27:54 | Weblog
会場で奇しくも播磨の黒田武士顕彰会のご一行様に遭遇。我々と行き違いになるところ姫路からのバスが早く着いたのでお会いできました。この展覧会に態々姫路から1泊旅行で20名の方々が来られたとか。頭が下がります。神沢さん、新福さんを始め旧知の方々もお元気そうでした。会の方々の今後益々のご活躍を祈念しお別れしましたが明日小生は皆さんが泊まる大分県日田温泉まで出かけて別府の石垣原合戦場と宇佐神宮をご案内することになりましたので行ってきます。
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黒田長政と二十四騎展

2008-10-27 15:36:15 | Weblog
福岡市立博物館で開催中の「黒田長政と二十四騎展」に中津より列車1両を借り切って総勢四十余名で行ってきました。西博物館長さんの歓迎の言葉を戴き、宮野学芸員さんによる展示物の説明をお聞きすることが出来ました。会場に入るや否やその質、量に圧倒されました。黒田武士の世界にしばし頭がくらくらするほどでやはり凄かったです。今まで書物でしか見れなかったものが目の前に見れるのですから。盛岡から来た如水の「銀白檀塗合子形兜」国宝「日光一文字」「へし切長谷部」の名刀、そして「北条の白法螺貝」や秀吉の「ご朱印状」などなど、、、。11月3日までありますので未だ行かれてない方は是非ご覧になることをお勧めします。
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黒田如水の兜

2008-10-25 12:08:28 | Weblog
この黒田如水愛用の「銀白檀塗合子形兜/ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと」は如水の奥方「光の方/てるのかた/光姫/幸円」の実家である櫛橋家に伝わるものであったが、光姫が如水のもとに嫁ぐ前に櫛橋家より贈られたものです。光姫の父上がその当時如水を大変気に入って娘の婿殿にと目をつけていたようです。合子(ごうす)とは蓋付の器のことを言います。よく目にする兜は角をつけたり月や日輪といった勇ましいものが多いが如水のこの兜はシンプルです。しかし如水の赤合子と戦場では恐れられました。如水の下には後に黒田二十四騎とうたわれた猛将が一騎当千の働きをしていたからです。如水は戦わずして勝つという孫子の兵法をとりいれ戦はなるべくお互いに合戦で血を流さぬように戦う前から戦の是非を敵の大将に問いかけ無血での降伏を心がけていましたがそうでない時はそれらの勇者が大暴れしたからです。今回、この兜をモチーフに「黒田のあっ官兵衛!・あっかんベー」が完成したのです。皆さんの感想は如何ですか?
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ゆるキャラ 黒田の「あっかんべー /あっ官兵衛」

2008-10-22 11:04:22 | Weblog
豊前国中津黒田武士顕彰会では世紀の大発見ならぬ大傑作を創った。会の広報担当の中尾堅太郎君がかねてからの懸案であったゆるキャラ(ほのぼのキャラクター人形)がほぼ完成したので皆さんに見ていただきたいと持参した。もうお分かりと思いますがこの黒田の「あっかんべー」はあの舌を出しておどけてみせる あっかんべー と、戦国時代の名軍師を見つけたときに感動の言葉と共に発する「あっ官兵衛だ!」を掛けた優れものです。戦国時代、「如水の赤合子」と敵陣を震え上がらせた黒田官兵衛愛用の「銀白壇塗合子形兜/ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと」をイメージしたもので、遡る事今年の春4月、童門冬二先生の講演会を企画した時に全国的に流行っているユルキャラを創ろうということになり中尾君が日夜格闘して創り上げた物だ。先日来ニュースで鹿児島の阿久根市長が取材拒否であっかんべーをしたことが話題になっているが、こちとらそんなもんではない。魂が入っているのである。勿論奈良県で喧々諤々のゆるきゃら「遷都君」を意識したのは否めないがそれよりよっぽど可愛く何よりもセンスが良い。*少し自画自賛ぽくなったが皆さんの応援でこの黒田の「あっかんべー・あっ官兵衛!」が早く全国区になることを切に祈念するものです。
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城井宇都宮氏

2008-10-19 19:10:52 | Weblog
如法寺氏の墓群にある説明板には城井谷の写真も載ってます。宇都宮氏は最初福岡県犀川町の城井馬場に居を構えていましたが後に要塞として理想的な城井谷へ移りました。その地から山一つ超えていくところに自分の兄弟や親族を領主として配置し万全の体制を敷いたので400年もの間統治することが出来た。その一つがここ如法寺城の如法寺氏である。遠く城井谷を望んでいるのは本家に対する愛慕の証しを豊前市教育委員会の情として載せていると思えば何かしら鼻の奥がクシュンとなるのを覚えるのである。
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宇都宮氏居館跡

2008-10-17 13:32:02 | Weblog
如法寺城址にある宇都宮氏の墓群にある説明板に先日則松先生とご一緒した築城町松丸の宇都宮氏居館跡の写真がありました。何故この地にあるのか不思議ですが宇都宮氏の屋敷跡を遠く望んでいる様は何故か郷愁を誘います。先日訪れたときは現地に赴き地上から眺めたのですがこの図は航空写真のようでその形態がよくわかります。空堀の跡が現存しており、教育委員会の説明板なのでこれは推定ではなく断定されているようです。
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如法寺城跡 3

2008-10-15 12:50:16 | Weblog
宇都宮氏の流れを汲む如法寺氏の墓群の説明板です。遥か遠くの宇都宮氏の居城である城井谷を望んでいます。400年間この地方を治めていた宇都宮一族の栄華も一瞬のうちに滅亡してしまいました。しかし、400年間も地方の豪族として栄えてきたのですからそれはそれで幸せな一族ではなかったかとも思えるのです。未来永劫に栄え続くことなど有り得ないのですから。
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如法寺城跡 2

2008-10-13 11:46:13 | Weblog
如法寺の門を潜り左辺のなだらかな竹薮の丘の麓を少し歩くと秋の柔らかい木漏れ日の降り注ぐ中に如法寺氏の墓群があります。黒田如水に滅ぼされた如法寺氏の祖が眠っています。鎌倉幕府の命で関東の宇都宮(今の栃木県)からここ豊前の国の地頭に任じられ九州までやってきた宇都宮氏の血を引く名門でしたが秀吉の九州征伐に宇都宮鎮房が積極的に助勢しなかったことから四国の今治へ転封(諸説あり)となるもその朱印状に従わず結局秀吉の怒りを買い400年の歴史を誇る名門宇都宮氏と共に如法寺氏もその運命を共にして滅びました。訪れる人も少ないのか、墓群の上に降り積もっている落ち葉も深く、足にて踏めば何処からとも無く栄枯盛衰の音が聞こえてくるようでした。
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黒田武士列車2

2008-10-09 17:05:14 | Weblog
今日は地元の放送局「ノースFM中津」の生放送の番組で黒田武士列車の宣伝をしてきました。小野眞宏会長と広報の中尾英治、中尾堅太郎両君と小生の4名です。今回は英治君が列車の中で味わう「戦国サムライ弁当」、堅太郎君がいま全国で話題になっているユルキャラを黒田武士でも創ろうということになって傑作!【あっかんべー/あっ官兵衛】なるものを製作したので初披露をした。黒田如水が戦場で恐れられた「合子形兜」をもとにかわいいユルキャラ人形が出来た。これは中々のものですぞ!!次回のブログでご披露できそうです。ノースFM中津のパーソナリティの小泉亜恵美さんが上手にリードしてくれ無事に生放送を終えることが出来ました。放送を聴いて多くの方々が参加を申し込みにこられることを期待して、、、、。
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