今日は黒田官兵衛(如水)生誕日

2010-11-29 08:58:29 | Weblog
今日は黒田官兵衛(如水)公の生誕日です。天文15年(1546年)播州姫路城に小寺家の家老職の家に嫡男として生をうけました。父は小寺職隆(本姓は黒田であるが小寺家に取り立てられた縁で殿様より小寺の姓を与えられる)、母は明石宗和の娘(小寺政職の養女)。今から464年前「天文十五年丙午の歳十一月廿九日辰の時、(午前8時頃)孝高を播州姫路に生り。此時雪降りて其の家をおほふ。是英雄の生るる奇瑞なるべし。又家門の繁昌すべき前兆なるか。幼よりして大志あり。其天性聡明頴敏にして、才智たくましく、武略人に勝れたり。」と「黒田家譜」には記されている。今宵は黒田官兵衛(如水)公の生涯を偲んで黒田武士フアンの皆様にはまず一献の酒を天上の官兵衛(如水)公へ奉げていただき、黒田官兵衛(如水)をNHK大河ドラマへと大願成就ならんことを祈念致しましょう。
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あ!官兵衛くんと「のだめかんたーびれ」

2010-11-27 09:11:55 | Weblog
映画「のだめかんたーびれ」の中で演奏をされた方を含め海外や国内で大活躍されている著名な演奏家(ピアノ松本和将・ヴァイオリン長原幸太・チェロ金子鈴太郎・ヴィオラ生野正樹・ヴァイオリン浅来桂一という錚々たる各氏)のコンサートが中津市文化会館で催されました。大分県民芸術文化祭主催の行事で芸術文化を県民のためにということで今回は大分市と中津市の2箇所での開催です。県よりその演奏会の中で中津市の代表として「あ!官兵衛くん」に出演依頼がきました。演奏会は本当に素晴らしいもので音楽を学んでいる方々の中にはこのような方の演奏は地方ではなかなか聞けないほどのものだと感激していました。演奏曲目の中でNHK大河ドラマ「風林火山」がありその関連で我々豊前国中津黒田武士顕彰会が「黒田官兵衛をNHK大河ドラマへ」と活動中ということで「黒田節」を演奏していただくことになり「あ!官兵衛」くんの今回の出演となりました。おまけに「あ!官兵衛くんのかわいいテーマソング」も作って戴き舞台の袖から登場する時に恐れ多くもその舞台でテーマソングの演奏と演奏家の方による独唱付きでご披露していただきました。後日皆さんにお披露目出来れば嬉しい限りです。お楽しみに!舞台中央では司会の方や指揮者の方とのやり取りも堂々としたもので、中津に可愛い「あ!かんべ~くん」あり!と大いにアピールできました。演奏中の録音、撮影は厳禁でしたので楽屋でツーショットです。演奏家の方々もこの「あ!官兵衛くん」をたいそうお気に入りで何度も何度もフラッシュの光が止まないほどの撮影会となってしまいました。
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黒田官兵衛(如水)と城井(宇都宮)鎮房 Ⅴ 城井上城祉

2010-11-24 11:09:32 | Weblog
城井(きい)谷はひょうたん形の谷で守るに易く攻めるに難い地形です。黒田長政が若さに逸って官兵衛の留守中にこの谷を攻め散々な目にあったことはむべなるかなと想像出来ます。その「上城の登口」の碑がありました。ここから坂を登って行くと城井(宇都宮)家の上城があります。平素はこの谷の下流の平坦な地に居館を構え有事にはこの上城に籠もって相手の出方をじっと見据え隙があると打って出て行ったのです。
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黒田官兵衛(如水)と城井(宇都宮)鎮房 Ⅳ

2010-11-19 08:37:06 | Weblog
城井谷には城井(宇都宮)鎮房軍が籠った城井の上城があります。深い谷をなおも奥深く遡って行くと鬱蒼たる木々の陰宿す細道に城井の上城祉入口の碑はありました。苔むした自然石に彫りこまれた文字に思わず合掌し、しばしそのかみの名門城井(宇都宮)家の栄枯盛衰に思いを馳せるとともに黒田軍と存亡を懸けて戦った兵(つわもの)どもの怒号や雄叫びが戦場と化したこの峪一帯に響き渡ったであろう昔を偲びました。
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黒田官兵衛(如水)と城井(宇都宮)鎮房 Ⅲ

2010-11-17 16:27:03 | Weblog
宇都宮一族の碑の側文です。宇都宮氏がこの地に治政してからのことを記しています。名門ゆえに一族の末裔としては誇り高いものが感じられます。戦国の世の大きなうねりの中で儚くも消えて行った宇都宮家の鎮魂の碑です。暫し碑の前で瞑目し歴史の非情さに思いを到らせていると何処からともなく幾百年もの間流れ続けている城井川のせせらぎの音が諸行無常の響きを持って聞こえて来るばかりでした。

せせらぎの音幽かなる城井谷に城井氏一族の御霊鎮まる (達)
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黒田官兵衛(如水)と城井(宇都宮)鎮房 Ⅱ

2010-11-15 08:03:57 | Weblog
宇都宮鎮房は城井(きい)鎮房というのが正式な呼称です。統治している土地の名前を冠にし城井にある宇都宮氏の流れを汲む一族であるゆえに城井鎮房です。以前ご紹介した如法寺(ねほじ)の如法寺氏、日熊の日熊氏などその土地の豪族は土地の名を苗字として呼ばれそれが本名として伝わっています。
城井谷の城井地区には宇都宮一族の碑がありました。400年前に滅んだ宇都宮氏ですが今でもこの地域では城井(宇都宮)氏は大事にされています。何処の馬の骨かも分からない輩からやられたのではなくあの戦国時代の名将、天下を動かし歴史にその名を残す黒田如水軍と戦い滅ぼされたゆえに城井(宇都宮)家も後世にその名を残すことが出来たのです。
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黒田官兵衛(如水)と城井(宇都宮)鎮房

2010-11-13 08:17:43 | Weblog
城井宇都宮氏は鎌倉幕府から豊前の国の地頭に任じられ下野の国(栃木県宇都宮)から赴任して400年にわたりその地方を統治していた有力豪族でした。その第16代当主が城井(宇都宮)鎮房です。黒田官兵衛(如水)が秀吉から豊前6郡を与えられ入部した後、城井(宇都宮)鎮房は秀吉から発せられた伊予転封(諸説有)の朱印状を拒否したため怒った秀吉の命により黒田家に滅ぼされました。城井には城井(宇都宮)氏の史跡が数多く残っています。
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黒田官兵衛(如水)と豊前緒方城址

2010-11-11 08:20:20 | Weblog
秋の麗かな一日、配達の途中中津市からほど近い豊前国緒方城址を訪ねました。先日訪れた佐井川のほとり日熊城址の近くにありました。天正15年(1587年)11月1日黒田官兵衛が肥後一揆で佐々成政の助勢に出かけていたとき豊前国上毛(こうげ)郡で豊前国人一揆が勃発した。秀吉の検地に対する反乱であった。
その中の一国人が上毛郡緒方村の豪族緒方十六郎惟綱であった。長政の軍勢は馬ヶ岳城(福岡県行橋市)から出陣。
緒方城主緒方惟綱は長政軍に攻められ日熊城主日熊小次郎直次らと共に壮絶な討死。天下統一を目指した豊臣秀吉による戦国時代の流れの中で翻弄された運命でした。
穏やかな田園風景が続くなかにこんもりと繁る森の中にある城址に佇んでいると何処からともなく秋風が兵どもが夢の跡を吹き過ぎてゆきました。
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黒田奨学会

2010-11-09 08:52:25 | Weblog
中津城の天守閣に登り黒田官兵衛(如水)も望んだであろう遥か海の彼方を眺め、九州最古の穴太積「中津城黒田の石垣」を見学した後、中津での一日研修を無事終えました。帰路に向かうバスを見送りつつ黒田奨学生の前途洋洋なることを祈りました。お別れの時、黒田奨学会の田中理事さんより「黒田奨学会90年の写真集」など奨学会の貴重な書籍を戴きました。なんと黒田奨学会は大正4年(1915年)から95年間にわたって福岡の優秀な学生達に奨学金を支給(返済義務なし)しその学究生活を援助しているのです。90周年の記録集に載っていましたが毎年4~50名の奨学生に一人1ヶ月40000円、総額年間2000万円もの奨学金を支給しているのです。今までの総額は一体幾らになるのでしょうか。このように長期にわたり存続している奨学金を支給している私的な奨学制度は日本全国を見回しても無いのではないでしょうか。全く頭が下がります。このような世のため人のために素晴らしいことを黒田家がなさっているのに尊敬の念を抱かずには居れません。黒田奨学生が何時までもそのご恩を忘れず世の中に無くてはならない人物に成長して欲しいと思います。
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黒田奨学生と福沢諭吉

2010-11-07 08:52:13 | Weblog
福沢諭吉は江戸封建時代の身分制度から学問による一般市民の自主独立を目指し啓蒙した明治の先覚者です。黒田奨学生を福沢諭吉が幼年時代を過ごした旧居と隣接の記念館にご案内しました。福沢が唱えた「独立自尊」は日本国民にとにかく学問は大事ですよ、学べば一身が独立し、一身が独立すれば一家が独立し、ひいては一国が独立する。西洋諸国に蹂躙されていた幕末から明治にかけての日本が文化国家として国も市民も西洋列国と肩を並べるようにならなければならないと尽力したものです。蘭学から英語へと転換したこと、幸運にも3度にわたる欧米への渡航が出来たことにより日本国を憂え、有名な 天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと力強く宣言した「学問のすすめ」、日本国民に西洋文明の現状を伝えた「西洋事情」などを著した諭吉の日本開明に果たしたものをこの記念館で学ぶことができます。黒田奨学生の中から福沢諭吉のような人物が現れるのではないかと大いに期待するものであります。
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