『THEナンバー2』 黒田如水

2011-08-29 07:42:32 | Weblog

毎週月曜日 夜10時放送のBS-TBS・TVの人気番組に「THEナンバー2」があります。来週9月5日の放送は「黒田如水特集」ということで先日プロデューサーの黒田さん外数名が東京から来られ小生と中尾(堅)、高橋の3名の豊前国中津黒田武士顕彰会が中津での取材に協力しました。中津城の天守閣でピンマイクをシャツに挿まれカメラの回る中、少し中津藩時代の黒田如水のエピソードや史実をお話しましたがはたして放映されるや否や楽しみです。この番組は私も毎週欠かさず観ていますが中々良く編成され時代考証や解説、ナレーションもしっかりしていて勉強になります。今回は姫路や備中高松城祉にも取材してきたそうです。まず今日月曜日夜10時の放送をご覧になってください。そして、是非来週の放送の黒田如水特集をお見逃しありませんように。

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豊前中津の黒田武士n中津とうろうまつり

2011-08-25 07:50:14 | Weblog

中津の夏の夜はとうろうまつりで賑わいます。中津市寺町にある七つの寺の観音様をその日に拝観すると千日のご利益があるそうです。寺町のお寺を一つづつ拝観して行くとその道筋には手作りのとうろうが立ち並びその灯りがほのかに揺れつつ寺の白壁に映ってなんともいえない幻想的な雰囲気を醸しだしています。寺町から歩いてすぐそばの福沢諭吉旧居の駐車場はにわかお祭り広場となって多くの市民の方々が浴衣姿で集まってきており焼き鳥や焼イカ、かき氷などの屋台がずらりと並んでいます。とうろうまつり実行委員会のお勧めで我々もその舞台に立って豊前中津の黒田武士の舞をご披露しました。今夜は中々上手く舞えたナとは舞手の熊谷君と中尾(英)君の満足そうな顔でした。多くの観客の皆さんを前にしてに豊前中津の黒田武士は格式があって優雅で気品のある真に如水の生涯を思わせるような舞曲ではありました。

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あ!官兵衛くんと中津からあげ

2011-08-22 06:59:14 | Weblog

あ!官兵衛くんが「中津からあげ」に一役買いました。今や全国区の人気商品となった「中津からあげ」ですがこのほどコンビニのローソンが「中津塩だれからあげ」を大いに宣伝しようということになり、市内のローソンの店で大々的なキャンペーンを行った。そこに我等があ!官兵衛くんも招かれてそのかわいいキャラクターでお客様の人気を一身に集めていた。特に子供さんたちはあ!官兵衛くんにまとわりついて離れないほどで今更ながらその人気者ぶりにびっくりです。「唐揚げの聖地中津市」と言われるように中津では何か催しがあると必ずからあげが出されます。また、日々のお弁当や食卓にはからあげがよく入っています。中津のからあげは近頃塩ダレ味も出てきましたがしょうゆダレ味が一般で料理店や家庭に伝わる秘伝のたれに浸けて料理されるので冷えても美味しいのです。中津へ来られたら道を歩きながらほおばるのも良し、お土産に買って帰るのも良し。ビールのつまみにはことのほか良く合います。ぜひお試しあれ。

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城下町杵築と黒田官兵衛(如水)

2011-08-19 07:28:14 | Weblog

かくのごとく坂道の絵になる風景は杵築ならではのものです。志保屋の坂から酢屋の坂を望むとまるで時代劇の中に迷い込んだような感じがします。杵築は北台と南台に武家屋敷がありそこから坂道を下りてゆくと商人町に至ります。関ヶ原の合戦の前、細川領の杵築では城代松井康之が大坂方に付いた大友義統(よしむね/大友宗麟の嫡子・朝鮮の役で粗相があり秀吉により領地没収となった)の猛攻に耐えかねて中津の黒田官兵衛(如水)に助勢を頼んだが官兵衛の到着が間に合って辛くも杵築城は助かった。杵築には白壁、坂道、武家屋敷など城下町の風情が至る所に残っておりまるで一幅の童画を見るようです。ここだけ時間が止まっているような気がします。また、海に面しているだけあって海鮮料理は新鮮でとても美味しく、道を尋ねたり一休みしていたりしていると触れ合う人々の人情の優しさに心が和みます。日ごろの生活に疲れた体と心を癒しに一度は訪づれて欲しい町といえるでしょう。

 

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城下町杵築市と木付氏

2011-08-16 07:47:49 | Weblog

杵築城はもともと木付氏の治世する木付城と呼ばれていたがあるとき幕府の書状に杵築と書かれていたので相談の結果書状のとうり杵築となった。黒田藩でも日本号呑み取りの黒田節で有名な母里太兵衛友信が受け持った江戸城の石垣造成が見事だったので幕府から感謝状を戴いたがその中で記載されていた名前が「毛利但馬守友信殿」となっていたので黒田の殿様にお伺いをたてるも記載どうりにそのまま毛利姓となった。母里太兵衛の旗指物は毛利但馬守友信となっているのはそのような経緯があったからです。そして明治維新まで毛利姓としていました(明治になって母里に戻す)。当時徳川幕府は絶大な力を持っていたので訂正を申し出ることなど恐れ多くほぼ不可能であった。

それはそれとして、杵築城は日本一かわいいお城として有名です。その城下町は昔の面影を残し家老屋敷や武家屋敷がほぼそのまま残っていてそのご子孫が住んでいる家敷もあるようです。また、酢屋の坂、勘定場の坂など景観も素晴らしく昔ながらの情趣豊かな街並みを歩いていると何故か心が優しくなっていくようでした。(写真は勘定場の坂。昔ながらの石垣と白壁が城下町の雰囲気を伝えています)

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黒田官兵衛(如水)と豊後・杵築城 Ⅱ

2011-08-13 07:02:25 | Weblog

杵築城は別府湾に突き出たような海岸の小高い台地に建っています。徳川家康が上杉征伐へ向かった隙を突いて大坂の石田三成が兵を挙げたと早船の情報を受けた黒田官兵衛(如水)は中津城の天主閣より貯め置いた金銀銭を大広間に広げ兵を募り集まった3千6百の男子を郊外の如水原にて閲兵し西下。九州の豊臣方の城を攻めて行った。杵築城は細川領であったが大阪方に付いた大友宗麟の息子義統(よしむね)に攻められ落城寸前、黒田官兵衛に助勢の要請が来る。官兵衛はすぐさま駆けつけ本丸を残すのみとなっていた杵築城を助けた。兵を引いた大友義統は別府立石の本陣にて黒田軍と対峙。慶長5年(1600年)9月13日別府石垣原にて激突するもあえなく破れ400年続いた名門大友家は滅んだ。今、別府湾を見下ろす杵築城の天守閣に立ち静かに目を閉じるとこの城内に於いて烈しい攻防戦のさなか多くの兵士どもの鬨の声が響き渡り多くの血が流されたさまが思い描かれ何故かしら無常の思いに心を痛めざるを得ないのです。晴れ渡った青空の下、別府湾より打ち寄せる白い波が静かに海苔網を洗っている。海を渡ってくる風がやさしく頬を撫でていった。

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黒田官兵衛(如水)と豊後・杵築城 Ⅰ

2011-08-10 07:48:51 | Weblog

大分県の北部、国東半島の付け根にある杵築市にお住まいの黒田幸一郎さんを訪ねました。先日、小生と切り絵作家の工家さんの載った新聞記事を見て是非会いたいと連絡してくださったので杵築城を取材方々顕彰会の小野会長と中尾英治さんとで出かけて行きました。黒田さんは初代筑前福岡藩主黒田長政公の三男である秋月黒田藩主黒田長興公の末裔ということでびっくりしました。こんなにも身近なところに黒田家の殿様のご子孫がいらっしゃったのです。(写真右側より小野顕彰会会長、黒田さん、小生)

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あ!官兵衛 里帰り 福岡ドームの乱

2011-08-07 07:20:09 | Weblog

先日、福岡ドームであったプロ野球ソフトバンクVS西武戦の試合前のアトラクションに「あ!官兵衛」が出場することになり、顕彰会から両中尾、殿畑、花岡、熊谷、和才さんがはるか福岡へ出陣しました。各地から参集したゆるキャラ君たちに混じって50メートル走や数々のパフォーマンスをご披露し、超満員のドームのお客さん達に大いに楽しんでいただけたようです。人工芝がとても奇麗なドームのグランドの上に勢揃いした多くのゆるキャラ達の中でも「あ!官兵衛」君は一番目立っていました。「あ!官兵衛」君が福岡藩祖黒田官兵衛(如水)の赤兜より生まれたゆるキャラだと大いにアピールできたのではないでしょうか。里帰りできて大満足の「あ!官兵衛」君でした。関ヶ原の合戦での武功により豊前中津12万3千石から筑前福岡52万石の大大名になった黒田家ですが戦国時代にその名を残した名軍師、天下を窺った智将黒田官兵衛(如水)は残念ながらその4年後に波乱に富んだ生涯を閉じたのです。その時、脳裏を過ったのは生まれ故郷の姫路であり戦国史に確かな足跡を残した中津での日々であったにちがいない。そしてより深く思いやったのはやはり黒田家の行く末であったであろう。

 

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姫路城NOW

2011-08-04 07:31:02 | Weblog

先日NETの中で姫路城が稲で描かれている様が紹介されていました。白壁がとても鮮やかです。一体どうしてこんなに素敵な姫路城が出来上がったのでしょうか。本物の姫路城は今はまだお化粧直し中です。いつの日か青く晴れ渡った空の下、天空に飛び立つごとき白鷺の姿をした姫路城がその雄姿を現してくれる日を日本国民は今か今かと待ち続けています。

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中津城黒田の石垣 新作切り絵

2011-08-01 07:00:46 | Weblog

中津城黒田の石垣の切り絵が出来たことで大分合同新聞の取材を受けました。それが一昨日の朝刊にカラー版で載りました。記事ははがき2枚を並べたより一回り大きく作者の工家さんと小生が作品を両手に抱えた写真がばっちり載っておりびっくりしました。嬉しかったのは我々の「黒田官兵衛(如水)をNHK大河ドラマへ」の活動の一環として出来たこともあわせて紹介されていたことです。6年前は黒田って誰?と言われたものですが今では「いつ大河ドラマになるの?」と挨拶の言葉も変わってきました。中津市民の方々にも大河ドラマへとの声がたくさん出はじめ盛り上がりつつあります。あとは官民一体となってこの運動がますます盛り上がっていければ大願成就も叶うのではないかと、、、。

 

 

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