松平定知氏講演会in姫路 中津大津絵音頭

2009-08-31 11:42:53 | Weblog
松平定知さんの講演会前のひと時をアトラクションとして中津から二番出し物を。まず中津大津絵音頭を保存会の川上先生一門が「時は天正夏の頃 中津の城主黒田侯は 扇の城を築かんと 大工左官や石工をばー はるばると 播州姫路より春夏秋冬 年を経て 築き上げたる その祝い~」と中津と姫路の関わりを口説きの歌に合わせて三味線、太鼓、尺八そして合いの手の入る中、踊りを小野先生一門が満員の観客の中堂々とご披露しました。これが正調中津大津絵音頭です。中津でこのように昔から歌われ続けて来たのを姫路の方々にご紹介できたことはとても嬉しいことでした。

松平定知氏講演会in姫路  3 前夜祭 神沢氏

2009-08-29 08:16:35 | Weblog
前夜祭には懐かしい顔ぶれの方々が揃っていました。その中の一人、播磨の黒田武士顕彰会の神沢輝和さんです。今日、姫路の黒田武士の顕彰がこんなに盛り上がってきたのは彼とそのご友人たちが地道に一歩ずつ黒田官兵衛、母里太兵衛を始めとする黒田武士と姫路の関わりを歴史的意義から研究し史実を紐解いてきたからにほかありません。そしてその流れは姫路市民を始めとする多くの賛同者が郷土の誇りとして黒田武士を身近に感じ憧憬していくうちに今日の勢いとなりました。それは大きなうねりとなって未来へと続いていくことでしょう。共通の思いでもあります「黒田官兵衛をNHK大河ドラマへ」という大きな目標に向かって共に頑張りましょう。中津も見習わなければならないことがたくさんあります。今後益々のご活躍を祈念いたします。

赤穂義士の里 3 赤穂城

2009-08-28 14:27:01 | Weblog
日本百名城に指定されている赤穂城は瀬戸内海に面した平城です。元禄時代江戸城松の廊下であった主君浅野内匠頭長矩の刃傷事件を早馬早籠を飛ばしやっと辿り着いた早水藤左衛門、萱野三平両名はこの橋を息せき切って渡り家老大石内蔵助はじめ家臣の方々へお家の一大事を伝えたのです。その心中や如何なるものがあったでしょうか。その後赤穂三代はお家断絶。家臣たちは浪人となり討ち入りへと時は流れて行きました。

赤穂義士の里 2

2009-08-27 11:30:01 | Weblog
赤穂義士の里には大石神社があり記念撮影をしました。以前細川元首相の奥様と会食したことがありました。その時細川夫人は「細川家は何百年もの間、欠かさず日誌をつけておりそのなかで最も厚いページがあります。それは12月14日の赤穂浪士討ち入りの日の日誌です。細川家の江戸屋敷は吉良家の屋敷の隣にあり討ち入りの様子は塀越しに見聞した事をこと細やかに記述されているので数頁にもなりその日だけ特に分厚くなったのです。」と仰っていました。当時世論は赤穂義士に同情すること大であり赤穂浪士の討ち入りは細川家にとってもどちらにも助太刀することも出来ない出来事であったようです。本望を遂げた赤穂義士たちが預けられた各大名屋敷では貴賓待遇で切腹までの日々をお世話したのです。

赤穂浪士の里へ

2009-08-26 17:07:31 | Weblog
赤穂へは姫路から高速で50分ほどでした。赤穂浪士の義士資料館には討ち入りの装束や刀などが保存されていて何か身震いがするようでした。姫路の顕彰会の山下さんには何故忠臣蔵と呼ばれているのかとか詳しく説明していただき今までよりもっと忠臣蔵が身近に感じられるようになりました。

松平定知氏講演会in姫路 前夜祭 2

2009-08-25 12:08:56 | Weblog
松平定知さんの講演会前夜祭に特別ゲストがお見えになっていました。福岡藤香会(旧黒田藩士の子孫の会)の小池玲子(櫛橋玲子)さんです。何とこの方は黒田如水の正室光姫(てるひめ)の実家櫛橋家のご末裔なのです。連歌の雅号は幸円と署名されていますが、本名は「光(てる)の方」とよばれており才徳兼備と謳われ家臣からとても慕われていたと史書にはあります。また、如水は側室も置かずこの方のみを生涯愛しました。我々がデザインした「あ!官兵衛」の「赤合子形兜」はこの光姫の実家「櫛橋家」から贈られたものです。丁度、隣の席に座られていましたので改めて御礼を申し上げ、親しくお話をさせて頂きましたが先祖は藤原氏まで遡る名家ということでその何百年もの間脈々と続いている家の方とお話しするのも初めての経験でしたので本当に驚くやら感激しました。何時までもこのお血筋が続きます様に黒田武士フアンとしては願わずには居れません。写真は左から小池様、小生、作家の柳谷様、播磨の黒田武士顕彰会の新福様です。

松平定知氏講演会in姫路 前夜祭

2009-08-24 13:06:56 | Weblog
松平定知氏講演会を明日にひかえ我々中津から30名が播磨の黒田武士顕彰会の応援に駆けつけました。姫路駅にはすでに会の方々がお出迎えくださりホテルに荷物を預け直ぐバスで姫路城へ。何時見ても優雅な姿で心を和ませてくれる国宝・世界遺産のこの白鷺城は世界の宝であります。中津にこんな城があったら、、、としばし嘆息。天守閣までふうふう言いながら登り天下の絶景を堪能。今回はボランティアの方が詳しく説明してくださったのでよく学ばせていただきました。その後赤穂市へ。大石内蔵助旧邸や大石神社、義士資料館を見学し帰りには如水の妹志織姫の悲話の伝わる室津の八朔のひな祭りを見学。夜は姫路の酒造所灘菊二階の大ホールにて三市交流会。福岡から藤香会の方々、中津は30名そして明日の用意で忙しい中お世話をしていただいた播磨の顕彰会の皆さんを交えて歌に踊りの楽しいひと時でした。中津から持参した殿畑双葉堂の「あ!官兵衛銅鑼焼」をお土産にお配りしましたところとても喜ばれました。

中津市明圓寺さん縁起

2009-08-22 07:23:19 | Weblog
中津市明圓寺さんの縁起です。晩年の秀吉に授かったことで溺愛された秀頼がこの地を訪れたとの言い伝えですが名刹ゆえにさもありなんと思える雰囲気があります。中津市から日田市を抜け福岡佐賀長崎へ通じる九州を横断してゆく街道の中にあります。すぐ傍には中摩温泉があり中々良いところですので皆さんもぜひ訪れてみてください。明日はいよいよ姫路で松平定知氏の講演会がある日です。豊前国中津黒田武士顕彰会と中津大津絵音頭保存会の総勢30名で松平さんの講演会を盛り上げ中津を大いにアピールするために行ってまいります。会の様子はまた後日報告いたします。

豊臣秀頼と中津明圓寺

2009-08-21 08:20:29 | Weblog
中津市から日田市へ抜ける耶馬渓町の一つ戸城をさらに日田市へ向かうと山国町があります。その町の道の駅の傍に浄土真宗明圓寺さんがありますが中々立派なお寺です。その縁起に豊臣秀頼、秀次が立ち寄ったとあります。またまた想像力をくすぐる出来事であります。

豊前中津 一つ戸城 2

2009-08-18 08:42:24 | Weblog
豊前中津一つ戸城の縁起です。1587年、九州平定の功で黒田如水が豊前六郡を秀吉から賜り入封してきたとき、この地方の豪族のほとんどが反抗しましたがここ一つ戸城主中間統胤はいち早く臣従したので如水は統胤に黒田の姓を与え一つ戸城城番として厚遇しました。近くの平田(白米)城主栗山備後守利安とともに黒田藩の対外的な備えとなり、黒田六郎右衛門となった統胤はその後朝鮮征伐、関が原の合戦などで大活躍し如水の筑前転封時には行動をともにしました。播州出身者が多い黒田譜代の中で豊前の中間氏が黒田の重臣として如水の信頼を得たのです。