求菩提山の歴史資料館には修験道の様々な資料が展示されています。
そのなかに黒田官兵衛が桜狩りをして和歌を詠んだ短冊が展示されていました。
「山深く分入花のかつ散りて春の名残もけふのゆふ暮」 円清
歌意:中津平野ではもう桜は終わってしまった。花を求めて求菩提山の山深く分け入ると桜の花は咲きつつもはや散り始めている。春の名残もいよいよ尽きようとしている今日の夕暮れだなあ。 (解釈:松本達雄)
短冊に残しているだけあって素晴らしい歌です。
年代が不詳ですが隠居したあとの法名「円清」と署名されていますので文禄の役(1592年4月~1593年・7月)で石田三成との確執(囲碁事件)があり無断で帰国して秀吉に蟄居させられ隠居し法名の「如水円清」と号した(黒田家譜より)のでその後何時の年か官兵衛が心安らぐひと時を求めて、従者を連れて求菩提山の桜を愛でに行った時に歌会を催し歌を詠んだものではないかと思われます。
黒田官兵衛は豊前の国に入封(1587年7月3日)してまもなくまず情報網に長けていた山伏の力を頼みにして求菩提山に上り挨拶方々友好関係を築いたと思われます。その後、幾たびか求菩提山を訪れているようですので戦乱の世において求菩提山の座主と過すひと時は何物にも変えがたい心安らぐひと時であったのかもしれません。座主との信頼関係の深さが窺えます。
黒田官兵衛が名勝求菩提山を訪れ桜狩りをしたシーンが来年の大河ドラマに登場すると大河ドラマも一層華やかになり視聴者も心がほっとする名場面になるのではないかと思うのですが、、、、。NHKさん、よろしくお願いいたします。地元の豊前市ももっとアピールして欲しいものです。
因みに中津城を築いたとき求菩提山の座主を招き地鎮祭をしています。