黒田官兵衛(如水)とキリスト教10~官兵衛と細川ガラシャ

2015-11-29 08:27:55 | Weblog

黒田官兵衛(如水)と細川ガラシャが会ったことがあるか?

今まで官兵衛(如水)の事を調べてきたが、迂闊にも確信は持てないままでいる。

ガラシャが石田三成の大坂城への人質要請を拒否して命を絶ったことを聞いて、同じキリシタンとして如何に思ったか。

生命を賭けた信仰を目の当たりにして、多くの家臣を抱えている己の境遇を考え苦悶したのではないかと思えるのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教9 秀吉と二十六聖人

2015-11-25 08:57:50 | Weblog

官兵衛(如水)を語る時、キリスト教を外すことはできない。

秀吉は宣教師たちが信者を増やし先兵となって植民地化せんとそれぞれの国々を思うがままにしようとしたことに気づき、一部の国の宣教師たちの横暴を目のあたりにしたことから宣教師国外追放令を発令し、その後切支丹受難の日々が始まった。

知識人であった官兵衛は精神的な憧れや異文化に対する好奇心とも相俟ってキリスト教に帰依したが、晩年は秀吉に対する反骨心からもキリシタンとして生きたのではないかと思われる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教8 ザビエル

2015-11-20 08:28:11 | Weblog

戦国時代末期キリスト教はフランシスコ・ザビエルによって伝わった。

ザビエルはスペインのバスク地方(フランスとスペインの国境あたり)のナバラ王国の宰相家で生まれた.

大航海時代にスペインは西のアメリカ大陸、ポルトガルはブラジルやアジア・アフリカの地を目指したが、ザビエルはポルトガル王ジョアン三世の要請でリスボンから出港し、布教のためインドへと向かう。

インドのゴアで切支丹となっていた薩摩出身のアンジローと1549年薩摩国に上陸した。

黒田官兵衛(如水)がキリスタンとして生涯を終えたのはよく知られることであるが、そのきっかけとなった経緯は未だによく知られていない。

 *この度本ブログが閲覧PV200万回,IP訪問者44万名を越えました。大河ドラマ軍師官兵衛が終わってもお付き合いくださっている皆様に感謝です。それにしても黒田官兵衛(如水)は知れば知るほどすごい武将です。

 *ザビエル(Xavier)はポルトガル語で「シャヴィエール」と発音し、語尾の(シャヴ)ィエールを尻上がりにはねます。小生が40数年前、ドイツの企業に勤めていた時、同僚のポルトガル人ヴィータ・アラゴネス君に教えていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教7 中津教会のステンドグラス

2015-11-16 08:26:51 | Weblog

中津教会のステンドグラスにはキリスト教が伝わってきた当時の様子のなかに黒田官兵衛(如水)や大友宗麟と思しき人物が描かれています。

 画像自体はとても綺麗で信者がこれを見るとより信仰が深まるような気がします。

中津市は軍師官兵衛や福沢諭吉の里ですが、皆様が中津へ来られたらカトリック中津教会のステンドグラスもご覧になってください。

*教会は信者さんのためにありますので、見学は教会の方の許可を得てからお出でくださるようにお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教6 ステンドグラス全景

2015-11-12 09:08:06 | Weblog

キリスト教中津教会の壁面を飾るステンドグラスを紹介しましょう。

外から入る光を通して物語を描いた絵ガラスがとても綺麗です。

430年前頃にも教会のような伝道所があったと思われますが、官兵衛もこのようなステンドグラスを目のあたりにしたのでしょうか。

今見てもその美しさに圧倒されるほどですから、もしその中の一片でも見たのであれば感動したことでしょう

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教5~戦国時代を描いたステンドグラス

2015-11-08 07:55:34 | Weblog

 戦国時代、1549年フランシスコ・ザヴィエルによって広まったキリスト教ですが、大友宗麟や小西行長などの戦国大名により各地で信者を増やしてゆきました。

織田信長は鉄砲や先進技術を取り入れるために利用しようとしましたが、知識人でもあった官兵衛はその教えにも興味を覚えたのです。

官兵衛の生涯を思うに、戦に明け暮れる日々を憂え真の平和な世を目指そうとの思いが強く、もしかしたらキリスト教の教えによりその実現が可能であるかもしれないとの考えに至ったと思われます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教4~ステンドグラス解説

2015-11-05 09:04:49 | Weblog

カトリック中津教会のステンドグラスは光を通してとても綺麗でした。

黒田官兵衛(如水)が凡そ430年前に初めてその教えに触れた時、如何なる思いで自身の血となり肉として取り入れたのか、興味のそそられるところです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒田官兵衛(如水)とキリスト教3~長政受洗

2015-11-01 07:45:43 | Weblog

カトリック中津教会のステンドグラスの解説書には、官兵衛が1587年3月29日に山口からゴメス神父を招いて中津で初めて復活祭を行い、長政、大友義統(宗麟の嫡子)たちを授洗させ、伝道所を作ったとあります。

 官兵衛が何時キリスト教に受洗したか、多くの歴史学者が調べ私見を述べていますが、当時の宣教師フロイスの書いた「日本史」もあやふやなところがあり、三百年弱にわたる永い間の徳川幕府のキリシタン弾圧の世にあって黒田藩は官兵衛とキリスト教の痕跡を消してきたことと相まって真実は未だ謎に包まれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする