黒田官兵衛(如水)の生涯 「官兵衛さんの大きな夢」

2010-04-29 08:07:20 | Weblog
播磨の黒田武士顕彰会さんから送ってきた歴史絵本「改訂版・官兵衛さんの大きな夢」を折々書棚から取り出しては読んでいます。黒田官兵衛(如水)の生涯が分かりやすく1ページ毎に歴史に残る有名な場面にて描かれています。官兵衛の生涯は歴史上欠くべからざるエピソードが数多くありますがこの本には上手くまとめられています。快心の一冊といえましょう。多くのお子さん達に読んでほしいものです。
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織田信長公本廟

2010-04-27 08:53:59 | Weblog
織田信長公本廟は一見雑木林と思われる中にひっそりとありました。信長が本能寺の変で薨去した1年後、秀吉がその霊を鎮めようとして焼け落ちた安土城天主閣の近くに建立しました。多くの城址を訪れ目の当たりにするのは400年もの永い間には当時無かった雑木林が自然のなすがままに広がっていることです。荒涼とした風景を目の当たりにすると一入栄枯盛衰、諸行無常、兵(つわもの)どもが夢の跡という言葉がひしひしと胸に沁み込んで来ます。
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安土城よりの眺望

2010-04-25 07:56:36 | Weblog
安土城天主閣を巡ると眼下に琵琶湖が見えてきます。安土城が琵琶湖畔に燦然と聳えていた当時、この安土の地は日本国の中心であり、この眺望は天下人のみの特権であった。出雲大社を訪れた方や高野山に上った方は何か知れないが霊気のようなものを感じるとよく言われますがこの安土城跡に立つと同じような霊気を感じます。ぜひ多くの方々に安土城祉を訪れて織田信長の生涯やその成さんとした天下布武の精神を偲んでほしいと思います。
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安土城の全貌

2010-04-23 08:42:49 | Weblog
安土城の全貌図ですが特筆すべきは金箔瓦です。それを目の当たりにするといかに安土城が絢爛豪華な建造物であったかが想像できます。この金箔瓦実は中津城でも出土しています。中津城も中々のものだったのです。金箔瓦の普請は天下人の許可が必要でした。黒田官兵衛(如水)の心意気と力量が秀吉にも一目置かれていたことになります。
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織田信長 銅像

2010-04-21 08:47:54 | Weblog
近江の湖畔、安土城祉のほとりのある安土駅前に織田信長の銅像がまるで天下を見下ろすかのように建っています。今、織田信長公に代わって滋賀県では全国の「歴女」へ「戦国時代の歴史の宝庫滋賀の里へお出でください」と大号令を発しています。ご存知のように近江琵琶湖畔には安土城祉、秀吉の長浜城祉、三成の佐和山城祉をはじめ戦国時代の史跡が綺羅星のように点在しています。宿泊費のサービスなど色んな特典が用意されているようです。グッドタイミング!滋賀県も中々やるなという感じです。大いに頑張って欲しいと思います。
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織田信長 真肖像画

2010-04-19 08:13:02 | Weblog
安土城の傍に安土城考古博物館があり信長と安土城に関する史料が豊富に展示されています。その中に各地の神社仏閣などで残されている織田信長の肖像画が幾枚も展示されていました。その中でも織田信長に最も似ているものがこの肖像画といわれています。眼光鋭く己のみが信じるに足るものであるとの信念がそこから伺えるようです。信長の勘気を被り若き日の徳川家康が正室築山殿と嫡男松平信康の死を命じられたり後に天下を取った秀吉でさえその一挙手一投足に震え上がったのですから他の武将達は推して知るべしであった。
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安土城 天主閣  信長の館  

2010-04-17 22:15:32 | Weblog
完成して僅か3年で消失した安土城の天主が復元されその絢爛豪華な内部が当時を彷彿してくれます。織田信長の美的感覚は世の如何なる人々の想像を超えたものであった。未だ彼方此方で戦が毎日のように行われていた戦国時代にこのような安土城を建てたのは己を天主(神)と信じ世の人々は全て自分の前にひれ伏せるべきだという信長の美学でもあったに違いない。
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安土城 天主閣 全容   

2010-04-14 08:51:03 | Weblog
近江の湖岸安土の地に天下布武を旗印に巨大な城を築いた織田信長の安土城天主閣の模型です。絢爛豪華、壮大な八角形の天主閣は地上6階地下1階、高さ46mもあったその木造建築は周囲を睥睨し圧倒した。信長の力を天下に知らしめたこの建物に戦国武将達は勿論世の中の人々は驚嘆した。又、武将の中で実際に天主閣に住んだのは織田信長と大阪城の豊臣秀吉のみであった。天主閣からの眺めはそれこそ天下人としての特権であった。さぞかし眺めは満足するものであったに違いない。
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安土城 天主閣    

2010-04-12 07:50:13 | Weblog
織田信長が天下布武の夢を描いた安土城天主閣の跡です。今では礎石が1、2mおきにきれいに並んでいるだけですが地上6階地下1階の天主がそびえ建ち宣教師フロイスはヨーロッパでも見れないほどの壮大な建造物だと本国へ報告しています。遥か眼下に琵琶湖を望みながら織田信長は何を思い何をせんと思案をめぐらしていたのであろうか。
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安土城 天主閣への石段

2010-04-10 08:11:24 | Weblog
やっと安土城の天主閣へ上る最後の石段が目に入りました。急峻な勾配道が続く大手道とは一変して頂上辺りは平常の生活に適すように平地が広がっています。そこを過ぎると石段が目の前に現れその先に信長の住んでいた天主閣があったのです。右辺上部の空間から口ひげを生やし眼つき鋭い信長公がぬっと現れ「そなた、何処より来た。何、豊前中津からとな。それはご苦労なことであった。どうじゃこの安土の城は。もうじき天下の武将どもはこの信長の下に平伏すであろう。しかとその眼で見ておかれよ。」自信満々の声が聞こえたような気がした。
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