このほど大分県立中津東高等学校の第1回同窓会総会が催され、我々豊前中津黒田武士顕彰会が招かれご祝儀舞として「豊前中津の黒田武士」をご披露した。
数十年間にわたって全国へ俊英を送り出しまた中津の商工業の発展の為に多くの人材を育ててきた中津工業高校と中津商業高校が統合され新しく中津東高等学校として創立されました。それぞれ中津工業高校は如水会、中津商業高校は箭山会という同窓会があり学校の統合と共に同窓会も「箭山如水会」と名称が変わりました。その名誉ある初代同窓会長に中津黒田武士顕彰会の小野眞六会長が就任したので我々もお祝い方々駆けつけたというわけです。
校舎は中津工業高校の校舎をそのまま使用しますがその地は「如水原」と呼ばれ黒田如水が関が原の合戦の前、上方で石田三成が兵を挙げたとの知らせを受け徴兵した中津近在の男子を閲兵した歴史的な場所です。
その後、黒田如水は関ヶ原の合戦の中へ割ってゆきあわよくば天下を窺わんとの壮大な思いを実現するためにこの地より出兵し九州中の豊臣方の城を攻めて行きました。
新しく発足した「箭山如水会」が末永く同窓生の心のふるさととして益々ご発展し隆盛されんことを心より祈念いたします。
大分合同新聞の朝刊をめくるとなんと見開き片面を総て使って黒田官兵衛(如水)を大河ドラマへと特集記事が載っていました。中津城黒田の石垣を背に小野会長が火坂雅志講演会のポスターを持って大きく載り、あ!官兵衛ゆるキャラ、焼酎、銅鑼焼、ステッカーなども大きく紹介されていてとてもびっくりしました。今回、このように黒田官兵衛(如水)を大河ドラマへの記事を中心に中津市とのゆかりや顕彰会の活動が取り上げられたことはとても意義あることで嬉しい限りです。顕彰会としてはこれからも兜の緒を締めて大河ドラマへ向かってますます頑張って行かねばなりません。全国の黒田武士フアンの皆さん!今こそ皆さんの地で一人ひとりが今一声「黒田官兵衛を大河ドラマへ」と鬨の声を上げて行くべき時が来たようです。大いに頑張りましょう。
「あ!官兵衛銅鑼焼き」に続いて「あ!官兵衛焼酎」がカウンター正面にデンと据えられている中津市日ノ出町商店街の中にある「居酒屋二十八万石」へ取材に行きました。店主にインタビューしていましたが飲み口がさっぱりして美味しいとお客様の評判も上々との事で常に店の中で一番目立つところに置いているとか。嬉しい限りです。取材の佐藤記者もビックリしていました。これからも中津の町を最初に造って下さった官兵衛公に報いる為にも多くの黒田武士フアンの方々に大いに飲んで戴きたいと思います。ご希望の方は全国何処でもお近くの酒屋さんに「あ!かんべー」焼酎を注文していただければ取り寄せていただけると思います。特に25度は美味しいと評判です。
大分合同新聞の佐藤記者に中津の黒田所縁の史跡をご案内しました。小野会長の背後にあり指差しているのが「黒田の石垣」と呼ばれる黒田官兵衛(如水)が中津に初めて入部した時に築城した時の石垣です。その左側が細川忠興の築いた石垣ですがその境が良く分かります。黒田官兵衛(如水)は中津城を築きながらも豊前の国人(旧領主)達の反乱を抑えてゆきまた、秀吉の小田原北条攻め、文禄・慶長の役への出兵などでひと時も休まることのない日々を送っていました。豊臣秀吉が死去した後、関ヶ原の合戦時では九州の関ヶ原(豊後陣)といわれる大友氏との戦(別府石垣原の合戦)を勝利し、その後怒涛のごとく九州の豊臣方の城を攻めて行ったので自分の本来築きたかった城が完成しないまま嫡男黒田長政の関が原の合戦戦功により筑前52万石へと移封して行きました。ちなみに三大築城名人といわれているのは黒田官兵衛、藤堂高虎、そして加藤清正です。