黒田長政と日光東照宮

2009-04-29 10:23:23 | Weblog
豊前国中津黒田武士顕彰会の中尾英治さんがこのほど身内の結婚式で群馬県へ行ってきました。式で豊前中津の黒田武士の舞を披露し大喝采を得たということです。九州男児の心意気を関東の皆さんにお伝えされ祝着至極であったと如水公よりお褒めの言葉を戴いたのではないかと思います。その折、日光東照宮を訪ねた写真をいただきました。黒田筑前守藤原長政と彫り込まれた大きな石の鳥居です。長政公は家康公に特に眼をかけられたのでこんなどでかい鳥居を奉納したのでしょう。皆さんも日光東照宮へ行かれましたらこの鳥居をご覧になって遠く江戸時代の初期に黒田家と徳川家がいかに固い信頼関係で結ばれていたかを感じてみてください。
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中津タウンマガジン

2009-04-26 12:06:58 | Weblog
中津タウンマガジン5月号に先の週刊朝日の取材話等を寄稿したのが載せられていた。写真も程よく笑顔いっぱいで市民の方々に好感を持って受け入れられるのではないだろうか。日々の地道な啓蒙活動がある日突然大きなうねりとなって実を結ぶのを楽しみとして黒田武士の顕彰を続けていきましょう。
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母里太兵衛を讃える短歌一首

2009-04-24 12:29:41 | Weblog
黒田武士母里太兵衛ははしきやし酒にてその名残したりけり (達)
小生が以前詠んだ母里太兵衛公を称える短歌を友人の浦橋氏が揮毫、故服部氏が立派に表装し額に入れてくださったのを自宅に置いていたがこのほど播磨の黒田武士の館に贈呈することになった。この書は母里太兵衛公の生誕地にあるのが最も相応しいと思われるからだ。どうか皆さん播州姫路の妻鹿町の黒田武士の館を訪ねられたらはるばると豊前の国中津市から嫁入りして行ったこの”愛(は)しきやき”書をご覧になってください。
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播磨の太兵衛ちゃん

2009-04-21 16:29:54 | Weblog
このほど播磨の国から神沢、新福両氏を引き連れて播磨の太兵衛ちゃんが来津。黒田の遺跡を案内せよという。心優しい小生としては遠来の友をご接待すべく中津城の天守閣まで登り遥か播州が見えぬかと気を遣ったり合元寺にては村上住職と記念撮影、丁度夕方の6時になったのを幸いに坊守さんの好意で鐘楼に登りグワーンと力任せに時の鐘を六つつかせてもらい、良い思い出になった(合元寺の時の鐘を打たせてもらえることは旅人にとって真にラッキー)と大満足。その後、栗山堂の外郎、双葉堂のあっ官兵衛銅鑼焼を土産にと案内し中津にとって好印象を持っていただくべく大変な努力をした次第。先日発売された週刊朝日の中津特集号を5冊も買っていただいたし、「あっ官兵衛ストラップ」もたくさん買っていただいたのでこのくらいのことはして差し上げねばならないのだ。また、巷では「歴女/歴ドル」なるものが跋扈していて、戦国時代の歴史おんなオタク(それも美人が多いらしい)と呼ばれている。今日お見えの太兵衛ちゃんは母里太兵衛の甲冑を着るほどの「つわものin歴女」なのだ。お供の両氏も小生もたじたじであった。
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あっ官兵衛ステッカー

2009-04-19 11:07:04 | Weblog
少し明るい話題を。このほど顕彰会で製作中の「あっ官兵衛ステッカー」が完成した。早速我が車に貼り付けたところよく目立ち、中々の仕上がりであった。コンセプトは信号待ちをした時に後続の車に良く目立ち「何だこれは!」と注意を引くものであること。さて、これを見た運転者の方々の評判になって我も我もと貼る希望者が出てきたら中津市のすべての車に貼られて町中が官兵衛だらけになれば凄いと思います。もちろん、全国の黒田如水のフアンの方々には是非貼ってほしいものです。
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赤壁合元寺縁起

2009-04-17 15:29:31 | Weblog
黒田家にとって中津での赤壁合元寺の変は避けて通れないものです。戦国時代は現在のものの考え方、価値観が全く異なり攻めるか守り抜くか、生きるか死ぬか、やるかやられるか、権力者の一声で運命が180度変わる問答無用の世界でした。それを前提として戦国武将の生き方に思いを馳せるときその是非はその時代に生きた人たちでしか述べる資格はないと思われます。信長の叡山焼打ち、秀吉の秀次一統の皆殺しや朝鮮出兵での耳切り取り、徳川幕府のキリシタン弾圧等々時代の流れの中で権力を得るため、またそれを万全なものにするまでの過程における戦略や治世のやり方により無血開城や皆殺し(多くは見せしめの意味合い)といった方法で行われてきました。そんな思いを胸にしつつ初夏を思わせる今日の昼前、合元寺を訪ねました。先日週刊朝日の編集部の方と共に訪れた寺の門をくぐると境内の左方にその縁起の立て札がありました。これには空誉上人は宇都宮鎮房の庶子であると記されていますが、先の則松弘明先生の著書では庶子でも血縁でもなく、また福岡城で誘殺されたのは別の住職と思われるとなっています。じっくり著書を読んでからまたご報告します。
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赤壁寺合元寺

2009-04-15 15:42:03 | Weblog
先の週刊朝日の赤壁寺合元寺の取材のときの写真が出来たので村上住職に届けに行きました。お茶を飲みつつ、ひととき週刊朝日の村井さん、太田さんの取材のときのことに話が弾みました。司馬遼太郎氏のこられた時の話とか、中津南高校の同級生だった前田晃伸さん(みずほフィナンシャルHD社長)が日本の銀行協会のトップになられたことやご子息が公認会計士になられて寺の跡を継ぎそうになく困っているとか近頃酒が弱くなったとか諸々の事に話が及びました。このブログもよく見ているそうです。どうか黒田如水がNHKの大河ドラマになるまで元気でいて欲しいものです。帰り際に豊前宇都宮氏の研究では我が国の第一人者である則松弘明氏の著書「あかかべ 合元寺縁起の世界」を戴きました。合元寺は播磨から空誉上人を黒田如水が連れて来て開基したとなっていますがその上人が宇都宮鎮房の庶子(弟?)であるという謎みたいな由来があるのでこの本を読めば真実が分かるのではないかと読むのが楽しみです。ただ残念なのはこの本の前書きをされている中津市出身の早稲田大学教授中世日本史の泰斗外園豊基氏(帰郷のたびによく合元寺を訪れていたそうです)がつい先日65歳の若さで亡くなったと新聞の訃報欄で知ったことです。ご冥福を祈りたいと存じます。
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あっ官兵衛 Tシャツ4

2009-04-13 10:28:49 | Weblog
あっ官兵衛Tシャツにもう一つラブリーバージョンがありました。見ていて何か楽しくなります。作者の優しい気持ちが表現されていて中々のものです。強面の戦国武将がハートマークにデザインされていますが、これは中津城における宇都宮鎮房と合元寺の変に対する鎮魂の意味がこめられているのではないかと思います。泉下の官兵衛公もびっくりされていることでしょう。何時の日にか四百年の時を超えて黒田家と宇都宮家の合同法要が出来たらいいなと思います。
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あっ官兵衛 Tシャツ3

2009-04-12 11:26:05 | Weblog
前回のあっ官兵衛Tシャツにはなんと後姿があったのです。どうですか?ちょっと悪乗り?でもないのです。作者は真剣に、頭をひねって、夜も寝らずに、赤い目をこすりこすり、仕事で疲れきった体に鞭打ち、全国の黒田官兵衛フアンのために?頑張ったのです。有名な山頭火の俳句「うしろすがたのしぐれてゆくか」なる雰囲気を漂わせつつ、、、。これを着て赤壁寺の合元寺前の石畳道を歩いてみるのも一興かと。
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あっ官兵衛 Tシャツ2

2009-04-11 08:07:09 | Weblog
あっ官兵衛Tシャツのおとなしバージョンです。昨日のデザインと違い白地をバックにしてます。少しおとなしい感じで仕上がっています。これも中々可愛いと好評です。町で見かけたら声をかけてください。
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