黒田と長岩城の野仲氏

2007-05-14 11:00:42 | Weblog
秀吉が九州平定後、黒田如水は豊前六郡を領し中津に入封した。中津城の造営を豊前の諸豪族に下知するも殆んど聞かず。如水は宇佐高森城の加来氏、中津犬丸城の犬丸氏、上毛の鬼木城の鬼木氏といった二十余の下毛、上毛、宇佐郡内の反黒田の諸城を次々に攻略して行った。宇都宮氏の縁戚である津民郷長岩城(写真)の野仲重兼が最後まで抵抗したが遂に落城。その折豊前今様(黒田節の元歌)を歌いながら自刃したという。逃れた人々は身を隠し、密かに永らえた。しかし名前が野仲では残党とわかるので名前を変えたという説が伝わっている。

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