黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 鶴市神社2

2017-06-25 08:24:28 | Weblog

鶴市神社では、毎年夏のお祭りが多くの市民に慕われています。

昔、中津に広がる沖代平野を流れる山国川が氾濫し、多くの人々が亡くなっていた。

地域の長老が集まり、その氾濫を鎮めるために人柱をということになった。

その人柱に鶴と市太郎母子が進んでお役に立たんと自ら名乗り出た。

今でも毎年八月の終わりころ、お鶴と市太郎の霊を慰めんと、お祭りが催され、多くの市民が詣でています。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 中津鶴市神社

2017-06-19 09:19:43 | Weblog

中津城から南に二里ほど、国道212号線を行くと、黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願をしたという鶴市神社があります。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願4 若旗神社㈣

2017-06-10 08:43:27 | Weblog

黒田官兵衛(如水)率いる黒田中津残留軍は、1600(慶長五)年九月九日中津如水原から出陣した。

それは黒田二十四騎と呼ばれた栗山四郎兵衛、母里太兵衛などの侍大将に編成された九千もの(領内で応集)強力な軍団でした。

目指すは西軍に組する大友義統(よしむね/宗麟の息子)である。

東軍の黒田を落とせば太閤より召し上げられた旧領を復領してやるとの石田三成の甘言に乗って豊後に舞い戻って来たのだ。

官兵衛(如水)は出陣の際、中津城東方の若旗神社に戦勝祈願し、目出度く豊後石垣原にて大友軍を打ち果たした。

若旗神社には勝利のお礼として神田二十町歩、神酒株五十石、雄弓二張を奉納した。

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黒田官兵衛(如水)戦勝祈願 4 若旗神社 🉁

2017-06-01 07:51:55 | Weblog

中津市植野にある若旗神社は、 

関ヶ原の合戦時、

黒田軍の主力が関東の上杉征伐へ

出兵している間、

中津城に残った官兵衛(如水)が

領内の浪人たち九千名もの

招集兵団を編成し、

豊後の大友氏を責めるべく

後に中津城東方にある

如水原と呼ばれる小台地より

出陣した時に戦勝祈願をした

由緒ある神社です。

 

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