黒田官兵衛生誕の日

2009-11-29 13:12:57 | Weblog
11月29日は黒田官兵衛(如水)公の生誕の日です。天文15年(1546年)ですから生誕463年になります。黒田家譜(黒田家の歴史書)によりますと「その日辰の時、雪降りて其家をおほふ。是英雄の生るる奇瑞なるべし。又家門の繁昌すべき前兆なるか。」という大いなる期待感のなかに産声を上げたのである。黒田武士フアンとしては最も大事な日でもあります。戦国時代にその生涯を精一杯己の可能性をかけて生き抜いた稀代の軍師と称される武将黒田官兵衛(如水)公の数々の戦歴を偲びつつまた其の人となりや人生観に思いを寄せながら今宵は皆さんとともに杯を傾けようではありませんか。
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黒田武士 経済効果は?

2009-11-28 08:42:42 | Weblog
黒田官兵衛(如水)がNHK大河ドラマになればその経済効果たるや?というと泉下の如水公にほやりとされそうですが、現実的な記事が出ていましたので紹介します。昨年度の篤姫は350億円でした。皆さんの身近な方々が鹿児島へとこぞって旅発って行ったことと思います。篤姫の実家今和泉島津家跡や鹿児島市内の島津家、西郷隆盛のゆかりの史跡には大勢の観光客が連日押し寄せていました。鹿児島市内も篤姫で盛り上がっていましたね。明日から坂の上の雲の放映が始まります。多くの方が松山市を訪れることでしょう。次回の大河ドラマ「竜馬伝」の経済効果はゆかりの高知、長崎とも200億円を悠に超えるそうです。もし黒田如水が大河ドラマへ登場したら姫路市、中津市、福岡市を中心にゆかりの町に多くの観光客が訪れ一躍全国に知られることになります。姫路市は世界遺産国宝姫路城で、福岡市は黒田藩の城下町でもう十分に有名ですがさて中津市は?と問えば福沢諭吉の里というだけで主だった宿泊を伴った観光スポットも少なく残念ながら全国的には観光地としての認知度も低いようです。黒田官兵衛(如水)という日本の歴史に大きな足跡を残した稀代の名軍師がその円熟期に統治していたのがこの中津藩の時代であるということの価値を分かる方が少しずつ増えてほしい。これからの観光地には史跡のみならずそれを「物語る歴史」が必要です。黒田如水公はまさに物語れる武将です。行政のバックアップと市民の意識の高揚が今こそ求められています。
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黒田武士 「デスク日誌」に登場

2009-11-25 19:55:30 | Weblog
この23日の大分合同新聞朝刊の「デスク日誌/各支社のデスクのコラム」に阿部支社長の署名入りで中津の黒田官兵衛のことが載っていました。戦国時代ブームということから思いを馳せて黒田官兵衛にまで筆を引っ張るなんぞ流石はプロですね。地元のデスクさんの応援に応えるべく我々ももっと頑張らなければなりません。
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黒田武士 大分合同新聞 「ひと」 に登場

2009-11-20 11:05:53 | Weblog
大分合同新聞の時の人を紹介する「ひと」欄に豊前国中津黒田武士顕彰会の小野会長が載りました。今最も旬な戦国武将が「黒田官兵衛(如水)」ならば大分の地で孤軍奮闘?しては居ますが「時の人」は当顕彰会の小野会長でしょう。中津の黒田官兵衛がまずは大分県中に広まり県民の絶大なる後押しがあってこそNHKさんも大河ドラマへと動いてくださるものではないでしょうか。この小野会長の写真映り中々良いですね、記事の内容も申し分ありません。良くぞ大分合同新聞さんも取り上げてくれたものだと会員一同深く頭を垂れるものであります。今後も黒田官兵衛(如水)と中津の歴史的な関わりを深く掘り下げ埋もれていた史実や伝承を発掘して、黒田武士のことをもっと知っていただくように勤めていきたいと思っています。皆さんも今よりもっと声のトーンを上げていただいて戦国時代に豊臣秀吉に天下を取らせた黒田官兵衛(如水)というすごい武将が居たんだよと友人知人に話していただければその声がNHKさんに届く日もより早くなるのではないでしょうか。ご協力を宜しくお願いいたします。
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黒田官兵衛ジョージア缶

2009-11-18 21:41:05 | Weblog
東京出張でしたので合間を見て黒田官兵衛ジョージア缶を求めてコンビニを回りました。戦国武将シリーズということでずらりと棚に並んでいました。コンビニ行脚も面白いものです。机の上に置いて眺めています。缶にはそれぞれの武将の来歴が記されています。黒田官兵衛缶には「1546~1604播磨の豪族小寺氏の家老から身を興し羽柴秀吉の下で竹中半兵衛と並ぶ天才軍師と称された。秀吉の天下統一を助け、関が原では九州を席巻した。」とあります。皆さんはもう手に入れましたか?
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中津市寺町 赤壁の合元寺

2009-11-15 08:45:32 | Weblog
中津市の観光名所は天下の名勝耶馬渓(市内から40km)と市内は中津城、福沢諭吉旧居・記念館と寺町の赤壁の合元寺といわれています。観光用絵葉書に合元寺がありました。戦国時代末期(今から420年ほど前)、太閤秀吉による今治転封の朱印状に従わず怒った秀吉の命を受けた黒田家に滅ぼされた豊前国の旧主宇都宮鎮房ですがその家臣たちがこの寺にて討ち死にしました。豊前地方誌には「中津城内で討死した者15名、合元寺庫裏で討死した者2名、、」とある。黒田方と斬り合い殺された宇都宮家臣の血が壁に飛び散り何度塗り替えても血がにじみ出るので今は壁全体が赤く塗られ赤壁寺として有名になっています。広い白壁を埋めるほど血が飛び散ったとは思えませんが何時の頃よりかそのように後世に伝わり残念ながら中津の観光スポットとなっています。
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あ!官兵衛 「毎日新聞」に登場!

2009-11-12 08:36:23 | Weblog
あ!官兵衛の創案者顕彰会の中尾堅太郎君が昨日の毎日新聞朝刊の記事に載りました。あ!官兵衛が今日の話題性を全国に発信しているのも彼の創作したキャラクターの賜物です。戦国時代の歴史ブームという大きな後ろ盾と黒田官兵衛という稀代の軍師として喧伝されているいま最も旬な武将が中津城主としてこの地に14年もの間居たという僥倖に感謝しつつこれからも大ブレイクしていくように頑張って行きたいと思います。近い将来黒田官兵衛(如水)が大河ドラマへ登場しその生涯が一本のドラマとなった時、われわれ日本国民にとって一人の人間としてまた集団を率いる方々の生き方に大いなる示唆を与えてくれるに違いないと確信するのは私一人ではないでしょう。その日が早く来たらんことを切に祈る次第です。
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黒田官兵衛ジョージア

2009-11-09 18:41:49 | Weblog
ジョージアから黒田官兵衛バージョンが発売されたとSさんからコーヒー缶が届きました。びっくりです。皆さんもう飲まれたでしょうか?ジョージア戦国時代の武将シリーズ全10将(黒田官兵衛、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、真田幸村、直江兼続、前田慶次)のうちの1つですが、10人の戦国武将の中に我等が「黒田官兵衛」が堂々と入っています。赤合子形兜をかぶり(黒田の藤巴が兜の正面に大きく描かれているのには参りましたが、、)知的で精悍な顔つきは誠に戦国時代最強の軍師として相応しく描かれています。やはり注目されて来始めたのですね。いよいよ大河ドラマへもう1歩と近づいたようです。黒田武士フアンの皆様にお願いしたいのはジョージアを呑む時はどうか黒田官兵衛のみを御飲みあるように。またお歳暮や御遣物にはジョージア官兵衛缶10本セットなど如何でしょう。そうすれば官兵衛のジョージアがいつも品切れになり「ジョージア官兵衛大人気!いつも品切れ」ということで大きな話題となりニュースになればいよいよ黒田官兵衛の名が上がるというものです。宜しくお願いいたします。
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篤姫と御馬下の角小屋 3

2009-11-08 08:48:15 | Weblog
御馬下の角小屋と言っても大名の参勤交代の休憩場所なのでそれなりの屋敷でなくてはなりません。この部屋は殿様の間で肘掛は篤姫も肘を預けたそのものです。ただの参勤交代の休憩所でしたがNHK大河ドラマで篤姫が登場したところ一気にこの商家跡の屋敷が脚光を浴び観光客が10倍以上も増えたそうです。またこの屋敷を訪れた観光客が「あるところ」を触ってきたら1億円の宝くじに当りそれが週刊誌に載りその後同じように触った人も高額の宝くじに当たったとのことです。「あるところ」は行ってのお楽しみ。橋本館長さんにお聞きください。
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篤姫と御馬下の角小屋2・篤姫の駕籠

2009-11-06 08:48:54 | Weblog
天璋院篤姫が使用した籠です。最近米国のスミソニアン博物館で発見されましたがその複製です。明治維新のころ新政府が他の貴重な品々とともに資金調達のために米国に売り渡したそうです。内部の装飾もさすがに徳川幕府第13代将軍徳川家定の御台所として嫁ぐ方に相応しい上品な造りです。この籠に乗って鹿児島から江戸まで(京都で近衛家の養女として身分を整え)行ったのかと思うとそれが歴史の重要な役割の一端を担っていたこともあり何かじーんとくるものがあります。
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